勤務している小学校のマラソン大会です。穏やかに晴れ渡り,風もほとんどない絶好の天気になりました。毎年恒例の大会です。わたしはこの催事があまり好きではありません。
これほど能力があからさまにでる競技はほかにはあまりないからです。
楽しみにしている子もいますが,多くの子にとっては試練の大会でしょう。1位から最下位まで整然と順位がつきます。1位2位の上位の子はいいでしょうが,うしろの方の順位をとった子には屈辱以外の何ものでもありません。最下位の子に激励の拍手を送る習慣がありますが,あんなのはちっとも激励にならない,最下位のものを出してしまった勝者の言い訳でしかありません。
勝者と敗者の差は努力の差ではありません。もって生まれた能力の差です。
学校というところは残酷なところです。努力しても成果のない子に「もっとがんばれ」と言います。「努力が足りない」と言います。
1位の子も10位の子も30位の子も最下位の子もみんな努力しています。それでも1位の子がいて,30位の子も最下位の子もいます。そして,来年走ったとしてもさほど順位の変化はありません。もって生まれた能力が違っているからです。それを,学校は「努力すれば報われる」と言います。でも,先生は本当はそれがウソだと知っています。ウソだと感じていながらそう言わざるを得ない独特の世界が学校にはあります。
それはたぶん,競争させることで成果が上がるという信仰(みたいなもの)が学校を支配しているからだと思います。
マラソン大会だけではありません。いわゆる”勉強”も同じです。「努力すれば報われる」と叱咤激励しながら鞭をふるいますが,努力しても報われない子を大量に製造しています。
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