この間、職場である数学者とお話ししました。
私の職場は、学者がチラホラといて、この方も元文部教官です。
文系と理系とは違いますが、同じような現状認識で、びっくりしましたね。
今、論文を書いているといったら、
「小出しにせよ」
などと言われました。
「決定版を出しても、一本だけなら意味はない」
とも。
評価制度がこんな具合で、上が詰まっているとは、困ったものです。
それならば、引用回数の方がいいと思いますが、
そうすると、引用頻度稼ぎのために、年譜などをやるひとがでます。
この問題で腑に落ちないのは、
ニッチな論文などは、誰がどう見てもミエミエであるというところです。
これは、ちょっと専修分野が違ってもわかります。
(たとえば、仏教と説話についての関係をやっているぼくが、和歌についての論文をよむなど)
それなのに、恥ずかしくないのか…と思います。
いくら、職にありつけるかもしれないといっても、恥を晒すのはどうも。
論文評価は、
書き手の問題であると同時に、審査の側の問題でもあります。
出世欲だけの人をアウトにすればいいのにと思います。
それはともかく、
こんなことを積み重ねていたら、
日本の学術のレベルは落ちます。
現に、
能力があってもこの道に進まない人が多いです。
後輩の、将来を嘱望された院生も、
コロッと、専業主婦になってしまいました。
当然ですね。
30くらいで就職先がなかったら、とんでもないことになりますから。
財政難で、資源の乏しい技術立国を強いられている国が、研究者すら抱え込めないのに、
何が、オリンピックだ!
と言いたくなります。
■国立大学で若手研究者が減少、研究機関は「民間への就職の流れが必要」
(THE PAGE - 10月28日 11:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=177&from=diary&id=4264442
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