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2016年10月16日22:45

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日本共産党小史 〜 国民政党なのか、外国工作機関なのか

日本共産党は世界共産化を狙うコミンテルンによって設立され、その資金と指示で武闘路線を歩んできた。

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■1.日本共産党は改憲政党だった

 近年、SEALDs(シールズ=自由と民主主義を守るための学生緊急行動)という学生団体の安保法案反対デモの様子が新聞で報じられている。そのSEALDsの行動予定が日本共産党の機関紙『しんぶん赤旗』に掲載されており[1]、同党の関連団体か、少なくとも志を同じくする団体のようだ。

「護憲」を叫ぶSEALDsの若者たちは、日本共産党が日本国憲法制定時に反対した唯一の政党であることを知っているだろうか? 昭和21(1946)年8月24日、衆院本会議で野坂参三は共産党を代表して、反対演説を行った。

 野坂の主張は「世襲の天皇制が残っている限り、とうてい民主主義憲法とは言えない」という点と、「我が国の自衛権を放棄して民族の独立を危うくする危険がある」という2点だった。日本共産党の改憲の主張は、その後も長く続いた。

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 昭和48年(1973年)2月に行われた第12回(共産党)党大会では、「民主連合政府綱領案」が採択される。ここでの方針は、自衛隊は憲法違反の軍隊なので解散させ、その上で憲法改正を提案し、「最小限の自衛措置をとる」としていた。合憲の軍隊を持つということである。[2,p225]
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「世襲の天皇制」云々は別にして、防衛論議としては筋の通った主張である。共産党が今もこの政策を表明していたら、SEALDsから反対のデモをしかけられただろう。

 それが今では、集団的自衛権に対しても「憲法を破壊し、『海外で戦争する国』をめざす歴史的暴挙」(日本共産党ホームページ)などと、徹底した護憲政党ぶりを見せている。

 この見事な豹変振りは何なのか。日本共産党とは一体どんな政党なのか。それは同党の100年近い歴史を辿ってみれば、明らかになる。約40年も党員として過ごし、党ナンバー4の政策委員長に上り詰めながら、離党した筆坂秀世(ふでさか・ひでよ)氏の著書[2]を参考に、考えてみたい。


■2.「共産党はコミンテルンの歯車の一つだったに過ぎない」

 日本共産党は大正11(1922)年に結成されたが、その誕生からして、日本人が日本国のために設立した国民政党ではなかった。ソ連共産党が設立し世界に共産主義を広めるための組織・コミンテルンの日本支部であった。この異様な「国際性」は、日本共産党のその後の足取りにも顕著に見られる。

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戦前の党の綱領的文書は、このコミンテルンで作成されたものであり、当然のことながら、そこにはソ連の意向が色濃く反映されていた。・・・

 このコミンテルンの方針には、「日本のプロレタリアートおよびその共産党に、・・・帝国主義戦争を内乱に転化し、ブルジョア=地主的天皇制の革命的転覆を招来するという任務を課している」・・・などとなっていた。

 つまり、戦争を内乱に転化し、共産革命を成功させることが最終目標だったということである。
「帝国主義戦争を内乱に転化」と謳っているわけだから、当然、武力闘争路線である。[1,p24]
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 さらに筆坂氏は「活動資金までコミンテルンに依存していたこともあり、共産党はコミンテルンの歯車の一つだったに過ぎない」[2,p35]としている。

 世界共産化を狙うソ連と、共産主義から国柄を護ろうとしていた日本は冷戦状態にあり、その最中で日本共産党はソ連の指示で動く尖兵だった。

 日本の政党とは、日本人が日本のために、ある理想を議会政治を通じて平和的に実現しようとする組織ばかりだと思っていたが、日本共産党は外国人が外国のために作った、しかも武力闘争を基本路線とする工作機関だったのである。

 日本共産党が、戦前、戦中に非合法政党として取り締まりを受けてきたことは事実であるが、実際に外国の指示に従って「内乱から革命へ」を目指していたら、どこの国でも非合法の謀略工作として治安維持のために取り締まるのは当然だろう。


■3.尾崎秀實「ソ連を日本帝国主義から守る」

 コミンテルンは「帝国主義戦争から内乱、革命」という謀略をどう展開しようとしたのか。これについては、日本国内で暗躍していたゾルゲ諜報網の動きを見れば理解できる。日本共産党は日本の官憲に抑えられていて有効な動きができなかったが、ゾルゲ諜報網はソ連のために大きな働きをした。

 リヒャルト・ゾルゲはドイツ紙の記者、およびナチス党員として在日ドイツ大使館に出入りしていたが、実はコミンテルンのスパイであった。ゾルゲは日本での活動で、「日本軍がソ連と戦う意思はない」という情報を掴み、ソ連に流した。ソ連はこの情報をもとに、極東に配備していた精鋭部隊を対ドイツ戦に投入し、これがソ連勝利の一因となった。

 ゾルゲの情報源となったのは、朝日新聞記者出身で近衛文麿内閣のブレーンをつとめていた尾崎秀實(ほつみ)であった。尾崎はゾルゲに機密情報を流すと共に、朝野に中国の蒋介石政権との支那事変を煽り、和平工作を妨害した。[a]

 尾崎もコミンテルンの活動家であり、逮捕後の取調べで、「我々のグループの目的・任務は、狭義には世界共産主義革命遂行上の最も重要な支柱であるソ連を日本帝国主義から守ること」であったと供述している。ゾルゲと尾崎は昭和16(1941)年に日本の官憲に逮捕され、裁判で死刑になっている。


■4.終戦後の革命運動

 日本共産党結成に参加していた野坂参三は、ソ連に逃れて秘密訓練を受けたり、アメリカ共産党とも関係し、大戦末期には延安で中国共産党と合流して日本兵に向かって脱走を呼びかけたり、と「国際的」な活動をしていた。

 戦後、帰国して、日本共産党を再建し、衆議院議員ともなったが、ある手紙にソ連のシベリア抑留の肯定と延長を求める文面があって国会で大々的に追及された。こういう人物が、その後、24年間も日本共産党の議長になるのである。

 しかしソ連崩壊後の情報公開で、野坂はスターリンの弾圧から逃れるため同志・山本懸蔵らをスパイだと虚偽告発して銃殺刑に追いやったことや、終戦後に延安からモスクワに行き、ソ連情報機関の内通者となって資金も受け取っていたことが発覚し、平成4年(1992)年に党を除名された。[2,p61]

 敗戦後、占領軍に解放され、合法化された共産党は、昭和20(1945)年12月8日、真珠湾攻撃の記念日に「戦争犯罪人追及人民大会」を開き、天皇を含む戦争犯罪人名簿を発表している。これを筆坂氏は「終戦直後に『日本人が日本人を裁け』などと喜び勇んですることなのか」と批判している。

 昭和22(1947)年には、国民の生活が困窮する中で、革命に火をつけようと、日本共産党は大規模なゼネラル・ストライキを計画したが、占領軍司令部の命令で中止させられた。

 昭和25(1950)年6月には、前年の中国共産党による中華人民共和国成立と北朝鮮の侵攻から始まった朝鮮戦争を受けて、革命の波及を恐れたマッカーサーが日本共産党を「民主主義的傾向を破壊」するものとして共産党幹部の公職追放を指令したため、日本共産党は事実上、非合法状態に追い込まれた。

 野坂参三、徳田球一は公職追放を受けて、中国に亡命。ソ連共産党や中国共産党の援助によって「北京機関」を結成し、「日本の解放と民主的変革を、平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがいである」として、中国革命流の農村部でのゲリラ戦を訴えた。


■5.日本共産党と在日朝鮮人「祖国防衛隊」による内乱

 北京の徳田球一を通じて、中国共産党からの「指導」が日本共産党の地下指導部に伝えらた。同時に朝鮮戦争を後方支援すべく、金日成の指示を受けて在日朝鮮人による「祖国防衛隊」が結成され、全国各地で火焔ビン闘争が展開された。

 こうして朝鮮戦争下の三大騒擾事件が起こったが、その最初が昭和27(1952)年5月1日の「血のメーデー事件」である。デモ隊が日比谷交差点での警察官隊列を棍棒と竹槍で突破し、占領軍司令部ビルへ殺到し、「アメ公帰れ」などと怒号した。警察官の負傷者832名、うち重体8名、重傷71名、破壊された警察車両30台というから本格的な内乱である。




 さらに6月25日には朝鮮戦争開戦2周年を記念して、大阪の吹田駅で「朝鮮戦線向けの軍用列車を阻止」しようと、警官隊と衝突。7月には、共産中国を初訪問した帆足計(ほあし・けい)らの歓迎報告会から発生したデモ隊が警察隊と衝突し、火炎ビンが乱れとんだ。

 これらの闘争で検挙された件数は、同年だけで204件、検挙・起訴された者は1605人に上る。このうちのかなりの割合が、在日朝鮮人であった。[4]


■6.中国、北朝鮮、日本共産党の麻薬取引

 1952(昭和27)年、国連の麻薬委員会で米国代表が「中共と北朝鮮は、日本共産党の活動資金を賄うために麻薬取引をしている」と非難した。

 朝鮮戦争を戦う米兵の間でヘロインが蔓延し、米国は詳細な調査の結果、コミンテルンの後継組織としてソ連が結成した国際共産主義運動組織「コミンフォルム」が、中国共産党、朝鮮労働党を指揮し、大陸から日本へ麻薬・覚醒剤を密輸していた事を掴んだ。その日本側の受け入れ窓口が日本共産党だった。

 日本共産党は「祖国防衛隊」とともに、在日朝鮮人女性を「愛国的売春」などという宣伝文句で米兵相手の売春婦に仕立てあげ、米軍基地近くのキャバレーなどで、米兵にヘロインを売らせていた。昭和28(1953)年、日本国内でヘロイン密売で摘発された人数は、在日朝鮮人261人、中国人363人だった。

 米兵をヘロイン漬けにして戦闘能力を奪いつつ、その利益を軍資金として日本共産党と「祖国防衛隊」は火焔ビン闘争で後方支援を行うという天才的な謀略である。[5]


■7.今度は中国共産党に服従?

 中国とソ連が激しく対立するようになると、日本共産党はソ連側に立ったが、毛沢東から激しい攻撃を受けた。毛沢東は、毛沢東思想と自身の神格化、中国共産党流の武力闘争路線を受け入れることを要求した。

 日本共産党内には毛沢東の要求を受け入れる輩もいて、党は分裂した。毛沢東思想に共鳴する新左翼として連合赤軍などが生まれ、彼らは「毛沢東思想で武装した軍隊」だと自称していた。連合赤軍は、内部粛清として集団リンチにより12名を殺害し、またあさま山荘に籠もって、警察と対峙し、社会に大きな衝撃を与えた。

 ソ連が崩壊して、日本共産党は平成10(1998)年に中国共産党と和解した。しかし、近年の中国は、南シナ海に傍若無人な拡張主義をとって、ベトナムとも対立している。筆坂氏は、この点に関する日本共産党の態度を激しく批判している。

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 問題は、日本共産党である。中国共産党と断絶していた時代なら、この中国の無法を厳しく断罪したはずだ。だが中国共産党との関係が正常化した今、口をつぐんでいる。・・・

 ベトナム戦争以来、ベトナム共産党と日本共産党は良好な関係を築いてきた。ベトム戦争でも最大限の支援をしてきた。中国の横暴と戦うベトナムを今こそ支援すべきではないのか。

それができないようなら、覇権主義、領土拡張主義を批判することも、ご都合主義だということになる。これは、チベットやウイグルについても同様である。

 チベットやウイグルの現状は、民族自決権の侵害そのものである。日本共産党は、民族自決権の尊重を強く主張してきた。それは正しいことである。だが、日本共産党はこの重要問題について、なぜ語ろうとしないのか。[2,p110]
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 共産党が心底から世界の平和と諸国民の幸福を願っているなら、相手がどの国であっても「民族自決権を尊重せよ」との声を上げるべきだ。それを自党と中国の関係によって、口をつぐむ、というのでは、ご主人様がかつてのソ連共産党から中国共産党に変わっただけなのではないか。


■8.日本国民のための「国民政党」になったのか?

 日本国民の幸福を第一に考える日本人なら、こういう日本共産党から離れていくのも当然だろう。筆坂氏は、東日本大震災の体験で、日本共産党の過ちを悟った元幹部・山下文男氏を紹介している。山下氏は陸前高田市の病院に入院している時に、津波に襲われた。その時のことをこう語る。

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 僕はこれまでずっと自衛隊は憲法違反だと言い続けてきたが、今度ほど自衛隊を有り難いと思ったことはなかった。国として、国土防衛隊のような組織が必要だということがしみじみわかった。

とにかく、僕の孫のような若い隊員が、僕の冷え切った身体をこの毛布で包んでくれたんだ。その上、身体までさすってくれた。やさしさが身にしみた。僕は泣いちゃったな。[2,p245]
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 自衛隊はまさしく国民のための、国民による組織である。それに対して、日本共産党はソ連共産党が設立し、ソ連と中国の共産党のために戦う武闘組織であった。中国の横暴に口をつぐむ姿勢からは、日本国民のための「国民政党」、というポーズは擬装ではないのか、との疑いを禁じ得ない。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(263) 尾崎秀實 〜 日中和平を妨げたソ連の魔手
 日本と蒋介石政権が日中戦争で共倒れになれば、ソ・中・日の「赤い東亜共同体」が実現する!
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h14/jog263.html

b. JOG(916) 戦後左翼の正体
「安倍に言いたい。お前は人間じゃない! たたき斬ってやる!」と言う人々の正体を探ってみれば、、、
http://blog.jog-net.jp/201509/article_1.html

c. JOG(918) 私の見た戦後左翼の正体
 読者の体験談から浮かび上がる「戦後左翼の正体」
http://blog.jog-net.jp/201509/article_4.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 行橋市市議会議員・小坪しんや『【拡散】共産党≒SEALDs≒朝日の証明、大変なことに。』
https://samurai20.jp/2015/07/sealds/

2. 筆坂秀世『日本共産党と中韓 - 左から右へ大転換してわかったこと』★★★、(ワニブックスPLUS新書、H27
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/484706562X/japanontheg01-22/

3. Wikipedia contributors. "野坂参三." Wikipedia. Wikipedia, 1 Jul. 2015. Web. 1 Mar. 2016.
http://bit.ly/1OLaVDh

4. 安部南牛「日本も戦場だった朝鮮戦争〜在日朝鮮人と中国共産党(上)」、『正論』H27.6

5. 安部南牛「日本も戦場だった朝鮮戦争〜在日朝鮮人と中国共産党(下) 日中北の共産陣営「最大の恥部」ヘロイン」、『正論』H27.7


■おたより

■「日本は共産主義暴力革命が成功する一歩寸前まで追い込まれていた」(達山人さん)

 今回は日本政治の核心をついた内容と特に感謝しております。

 今でこそ平和を謳歌している日本ですが、今回の記事を読めば、日本はまさに共産主義暴力革命が成功する一歩寸前まで追い込まれていたことが分かります。

 これを知らずに多くの純粋無垢な?人たちが九条の会とかシールズとかに扇動されているのを見るたびに憤りを感じておりますので、知り合いの若い議員や心ある人たちに転送して覚醒を促したいと思います。

 ちょうど今、昭和24年刊小泉信三著「共産主義批判の常識」を読んでいるところでした。当時の危機的な状況下でこの書が多くの若者たちを洗脳から救ったであろうと感銘 しております。このブログもそれに劣らない価値があると思います。共産党員の中からも多くの「転向者」が増えることを期待します。

■編集長・伊勢雅臣より

 共産主義革命を未然に防いだ我が先人たちの努力に感謝したいと思います。


■「誤った知識と認識は是正しなくてはならない」(裕子さん)

 今回も衝撃的な講義内容でした。

 ぜひ今日の講義を共産党員及び、SEALDsの若者にも読ませたい!!読んでほしい!!です。

 思い込んでしまうと、それに関連する情報しか目に映らなくなるし、反論はすべてシャットアウトしてしまうであろうし・・家族や友人、身近な人が「ちょっと待って。一緒に考えてみようや」と客観的事実や歴史的事実を学び共有する場があればいいのに、と思います。

 といいながら、私自身もご近所さんや同僚にこの話を持ちかけることはありません。家で憤慨して話す程度です。そんな私の「弱さ」もこの風潮を後押ししているのだろう、と思います

 反対する、声を上げているのだ、という快感を感じている人たちからそれを奪うのは難しいことと思います。しかし、誤った知識と認識は是正しなくてはならないとも思います。

 今、学びながらいつかきちんと外に向かって話ができるようになりたいと思っています。

■伊勢雅臣より

 反対でも声をあげない、というのは多くの日本人の良さでもあり、弱さでもありますね。しかし、それを克服していかないと、自由民主主義は維持できないでしょう。

国際派日本人養成講座
http://s.webry.info/sp/blog.jog-net.jp/201603/article_1.html
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