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2016年04月22日20:07

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縁起の法、因果法則だから、実体なく、無自性、「空」である

仏教における「形而上学的」な思想では、不滅の魂、実体と言う概念は何の証拠もない話,想念だと観る。
真理は、この世界の諸法、諸行には、
実体がないからこそ、すべての現象は流転して別な現象になる。
実体があると流転、無常と言うものが不可能になる。
(例:紙に紙たる実体があるならば、それを燃やして灰にすることは出来ません。灰の中にも紙の実体があるはず。紙は紙という現象で灰は灰と言う現象で、別々なもの。この二つの現象の間にあるのは因果の関係のみ。 )
 
我々が精神だ、こころだ、と言う一時的な現象も想像を絶する速さで流転しているので、
こころが、感情が、精神が瞬間でも止まってくれることはない。
今の現象が次の現象を作りだすのというのは縁起の法、つまり因果法則の話だ。
 
何故、心と言う現象は、死で止まる、ストップになる、次の現象を作らない、虚無になると堂々と言えるのかなど分からない。
それ自体が観念で、形而上学的で、主観的であろう。
 
巨大な物質界を見ても流転は見える。
こころの働きを観察しても流転しか何も見つからない。

諸法、諸行は、縁起の法、因果法則だから、実体なく、無自性、「空」であり、
輪廻(sansaara)といっているのは、今も無常である、流転している、実体のない、心と言う現象の流転。。。
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