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2016年03月28日13:08

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議論する、と言う事は、

シールズや結党した民進党とは関わりのない日記ですみません、
ウチにはこういった反政府を柱にしている各種団体や、
野党の発言に対して、議論が尽くされていない、とする発言があり、
そもそも議論する、とはいったい何か、としばし考えてみました、

2ちゃんねるなどのサイトで書き込みされているものには、
誹謗中傷や悪口雑言も散見し、
それらをいわゆる便所の落書き、と評するのはよく見かけます、

しかし、それらを落書き、とまでこき下ろすなら、
国会での質問内容や、各種反対活動をする団体の行動言動は、
それに対して高尚とはウチは思えないのです、

ウチが考えるに、議論するには土台が必要だと思うのです、
先ず一番重要なのは、話をする相手に対する敬意だと思います、
在特会の桜井氏と大阪市市長の橋下氏の討論であったように、
互いに反目し、相手に対して敬意の欠片もない対応であれば、
それは例え社会的地位が高かろうとも議論にはなっていません、

優先すべきは敬意ではないでしょうか?

安保法案の反対活動も、戦争法案絶対反対、と連呼し続けていましたが、
議論をしたいのであれば、安保法案を戦争法案と言っている時点で終わっています、

例えるなら仲の悪い親子がいたとしましょう、
その親子がどうしても話し合いをせねばならぬ必要に迫られ、
議論をするとして、くそ親父、馬鹿息子、と罵っていては議論になりません、
親子であるなら、せめて息子側は親父、
父親側はおまえ、ぐらいは、節度を持たねばなりません、

次に名称を変更改ざんをしない事です、
政府に反対する団体はよく「アベ政権を許さない」と表します、
安倍首相は民主主義の日本の総理ですから、
ある程度、批判や非難はされ慣れているかもしれませんが、
漢字を知らない幼児ではないのですから、
アベとカタカナで表しこと自体、失礼で議論出来てないのです、
橋下氏に対しても、下と書いてもと、と読みますが、
それを知っている上ではしした、と表するのも無礼で、
議論する気がない、と見られます、

言いたい事があって、話し合いをしたいのなら、
名称は正しくせねばなりませんし、
それが出来ないようでは議論出来る土台がありません、

あと社会的に知られている事柄であっても、
それを議論に持ってくるべきではない事柄を、
安易に持ち出し、議論になってない例も散見します、

例えば、偏差値が28と言う学校に通っていたから、と言って、
何とか28、と言う表現で個人を表そうとするのも無礼です、
まず議論するのに偏差値は重要でしょうか、

大学生の討論会、と銘打っていれば大学生以外は排除されます、
従って大学生か否かは重要になりますが、
議論するのに偏差値は関係がありません、
それを安易に持ち出すのも議論する気がない、
強く言うなら議論出来るレベルに達していない、と思うのです、

次に情報自慢、知識自慢に陥っている例もよく見かけます、
個人で調べた情報や知り得た知識には、
個々人で大きな隔たりがあります、
一方が質問し、それに答える情報を知らなかったり、
門外漢の質問の場合、答えられない事は多々あります、

国会の質問でよく見かけますが、
クイズ番組の収録をしているのではないのですから、
質問の趣旨や機微が伝わらない場合、
凡そ質問者が勝ち誇るか、議論の相手を白眼視する事が多く見かけます、
議論の本題をするのに、あまりにも不勉強では議論にならないのは確かです、
首相になってから、自衛隊の最高司令官が、
自身だと知った不勉強極まりない首相が居ましたが、
相手を馬鹿にするように噛み砕いて質問するのも無礼ですが、
クイズ番組、と化した議論を散見するに、
相手の知識を試すような質問は無礼で控えるべきだと思います、

最後に議論する目的を、論破する事に主眼を置かない事です、
人の考え方を変える、と言うのは非常に大変で、
且つ得るものが少ない行動だと思うのです、

身内であれば、その労を投じたとしても、
考え方を変えるため、議論をするのはあり得ますが、
少なくとも他人で利害関係が絡まないのであれば、
考え方を変えさせようとはしない事です、

論破、とは議論で相手に勝利する事ですが、
勝利とは将棋などの投了を指すものではなく、
相手が自身の考え方の間違いを認めるか、
こちらの考え方の妥当性、正当性を認めさせる事が論破だとウチは考えていますが、

ウチは本来、議論に勝利者は要らない、と考えています、
議論する目的はなんでしょうか、
同じ考え方の人物であれば、そもそも話し合いが成立しません、
相手の考えている事が分り、自分の考えている事も相手が分かっているのであれば、
話し合いをする必要がそもそもないのです、

議論する目的は考え方が違う相手だからこそ、話し合いをする、
異なる事に価値を見出した上で話し合いをする、
それが議論ではないでしょうか、

異なる考え方を持つ相手に敬意も価値も見いだせないなら、
それこそ便所の落書きをすべきですし、議論などしてはいけない、と思うのです、

これらの考え方は、あくまでウチの持論であり、
それを以て正邪や正誤の判断をするものではありません、
ただ単にウチにとって、これでは議論にならない、と感じてしまう例を、
文章にしてみたにすぎません、

ただ、この考え方で見ていると、政府への各種反対活動や、
野党の政府批判、反原発や在日米軍批判、
それらをする団体には、
ウチからすれば、議論しようと考えていない、
反対活動をすること、それ自体に目的を見出している、
そのようにしか見えないのです。


■シールズ招き若者へアピール=民進党
(時事通信社 - 03月27日 19:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=3918005

民進党は27日の結党大会に、
来賓として学生団体「SEALDs(シールズ)」の奥田愛基さんを招き、
若者へのアピールを狙った。夏の参院選での「18歳選挙権」導入をにらんだ演出だ。

 登壇した奥田さんは「若者の声を聞いてほしい。
『民とともに進む』というスローガンを本気で言ってほしい」と訴え、
若者の意見を政治に反映させるよう要望。
「政治家がうそをついているか、本当のことを言っているか、
聞いたら分かる」とも語り、会場から拍手を浴びた。 
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