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2016年02月01日23:04

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「消えた声が、その名を呼ぶ」 「友だちのパパが好き」

「消えた声が、その名を呼ぶ」 ’14 (独・仏・伊・露・加・ポーランド)


監督:ファティ・アキン 脚本:ファティ・アキン,マルディク・マーティン
撮影:ライナー・クラウスマン 美術:アラン・スタースキー
音楽:アレクサンダー・ハッケ
m:タハール・ラヒム,シモン・アブカリアン,マクラム・J・フーリ
  モーリッツ・ブライプトロイ

’14 ヴェネツィア国際映画祭 ヤング審査員特別賞


ファティ・アキンの新作は20世紀初頭の
オスマントルコによるアルメニア人大虐殺を扱った感動作なのだが、
なんと言うか…びっくりするくらいストレートに感動を謳うエンタメ仕様なのだ。
ファティ・アキンはいつだって身内から絞り出されるような情動を描いて
深い感動を演出して来たけれども、
本作の感動は嘘みたいにステロタイプ。
アルメニア人ジェノサイドは
アルメニア人であるアトム・エゴヤンが『アララトの聖母』で取り上げているが、
ヒトラーのユダヤ人虐殺の手本となったこの悲劇はあまり知られていなくて
ファティ・アキンは
父親が生き別れた娘を探して長大な旅をする…というシンプルな筋立てを
彼が喉を裂かれ声を失っている…という設定により
余計な情報を排して寡黙に淡々と綴ることで
トルコが認めようとしないジェノサイドをきちんと語っておこう…
そう企んだのではないかと思う。
トルコ南部マルディン→シリア→レバノン→キューバ→米ミネアポリス→ノースダコタ
と続く主人公ナザレットの旅の過酷は
殊更にドラマチックに飾られることなく恬淡と描写され、
観客は言葉を失った彼の行程を絵巻物を眺めるように
ただじっと見つめるしかなくて、
そのことがアルメニア人の悲劇を静謐に語り
父と娘の再会をいやが上にも感動的にする…
そういう映画になっていると思う。
19世紀後半から20世紀初頭
本当に多くの貧しい民や難民が様々な事情で
ヨーロッパから南北アメリカ大陸を目指したのだ…
とあらためて認識させられた。





「友だちのパパが好き」 ’15


監督・脚本:山内ケンジ
m:吹越満,金子岳憲,宮崎吐夢
f :安藤輪子,岸井ゆきの,石橋けい,平岩紙


山内ケンジはソフトバンク「白戸家」のCMディレクターとして有名で
岸田國士戯曲賞を受賞した劇作家・演出家でもあり
『ミツコ感覚』で映画監督デビューも果たした才人であるらしい。
その彼の長編第2作。
お、面白かった…!
タイトル通り女子大生の妙子の友人マヤが妙子の父親恭介を熱愛し
他人の迷惑も常識も倫理も顧みず猛進、
それに巻き込まれる関係者の生態を居心地悪く活写する…というお話。
マヤは明らかに見た目の地味目フツー女子とは裏腹に
常軌を逸した思考の持ち主で、
最初はただ彼女の尋常でない行動に呆れて眺めているのだけれど
その彼女が、
周囲の人々の狡さや恥ずかしさや人間の足りなさを照らしてしまうところに
この脚本の妙味があって、
これは上手い!と膝を打ってしまう。
そして映画は“それなりの落としどころ”を提供しない。
そこが気持ち悪さを保証して いいんだよ(笑)。
マヤは気持ち悪い女のままだし 彼女を愛しく思い始めている恭介も気持ち悪いし
恭介の不倫相手も恭介の妻も 一番まともに見えた娘妙子さえも
なんかこの人たち
人間が爽快さに欠けるという意味ですっきりしなくて
気持ち悪いなー…と思ったまま
映画は曖昧に終わるのだから。
ここに登場する男たちはどれも女によってひどい目を見ていて
“女なんてロクなもんじゃねぇぞ…”という警告と
“しかし性懲りもなく男は女に喰いものにされるんだよな…”という諦念が
聞こえて来そうな映画なのだ。
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