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2016年01月25日18:15

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世間の"ツイッター離れ"で幹部が次々と退職! でも創設前夜からCEOが嘔吐するほどの内紛、クーデターの連続だった!

■世間の"ツイッター離れ"で幹部が次々と退職! でも創設前夜からCEOが嘔吐するほどの内紛、クーデターの連続だった!
(リテラ - 01月25日 17:10)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=209&from=diary&id=3820194

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ツイッターといえば、いまや一番身近なSNSのひとつ。女子高生から大統領まで多種多様な人々が活用しているが、しかし、そんな世界に名だたる大企業・米ツイッター社でいま、"主要幹部の退職騒動"が勃発している。


 ロイター通信によれば、同社のメディア部門やエンジニアリング部門のトップなど幹部が次々と退職する見込みだという。昨年の決算時、同社の共同創業者であるジャック・ドーシーCEOは〈才能のある人材の採用や投資、大胆な考え方の必要性を強調〉(ロイターより)していたが、昨年も広報部門トップなどが相次いで社を去るなど、事態は深刻だ。


 背景のひとつは、利用者数の伸び悩み。アクティブユーザー数の成長率は右肩下がりの一途をたどり、広告収入は不調、株価も下落している。日本でも最近、ツイッター最大の特徴である"140文字制限"が撤廃されるのではないかという報道があったが、世間の反応は否定的。同社の"迷走"を印象づけた。


 だが、そもそもツイッター社の歴史は"内紛の連続"だった。とりわけ、ジャック・ドーシー氏と他の3人の共同創業者らの間には、まさに昼ドラも真っ青のドロドロの人間模様が繰り広げられていたのだ。ときに嘔吐までするほどの謀略、情報戦、切り崩し、裏切り、クーデター、追放劇の数々......。


 本サイトはかつて、そのツイッター社の"吐瀉物にまみれた創業物語"を紹介したことがある。以下に再録するので、この機会に是非読んでみてもらいたい。

(編集部)


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 一文無しの野宿者がわずかな時間で億万長者となることも夢ではないベンチャービジネス。しかし、その偉大なる創業者たちが、内部抗争の結果、追放されたり隔絶させられたりすることも珍しくない。Appleのスティーブ・ジョブズや、Facebookのエドゥアルド・サベリンなどが有名所だが、あのTwitterでも内紛による追放劇があったのをご存知だろうか。


 その知られざる内幕が、関係者への数百時間にも及ぶインタビューなどから構成されたノンフィクション小説『ツイッター創業物語 金と権力、友情、そして裏切り』(ニック・ビルトン/伏見威蕃・訳/日本経済新聞出版社)のなかで明かされている。


 本書には4人の「共同創業者」が登場するが、Twitterの「創業者」としてもっとも広く知られているのは、ジョブズ2世とも称されるジャック・ドーシーだろう。ビートルズを聴き、ガンジーを語り、毎日同じ服を着る習慣を身につけたシリコンバレーの寵児(すべてジョブズの真似である)。だが28歳のころの彼は、ただの田舎出身のプログラマーだった。サンフランシスコのコーヒーショップで、ある男を偶然見かけ、履歴書を送ったところから、彼の運命は大きく変わることになる。


 その男こそ、エバン・"エブ"・ウィリアムズ、ツイッターの共同創業者のひとりであり、2代目CEOだ。ブログの流行を創り出したBloggerの生みの親で、ポッドキャスト会社Odeoの設立者(事実上、この会社がTwitterの前身だ)。このとき、エブはすでにIT業界で名の売れた人物であり、投資家でもあった。


 ジャックはOdeoの社員になった。エブとは被雇用者と雇用主という関係だったが、友情を交わし、ともにTwitterを立ち上げた。まもなくしてジャックが初代CEOに就任すると、最大の投資家で取締役会会長のエブとの雇用関係が逆転した。CEOジャックの働き方に、形式上は部下であるエブが不満を持つようになった。サーバ・ダウン。彼らのプロダクトはまだ産まれたてで、恐ろしい頻度で沈黙した。それは問題だった。


 ジャックは(ジョブズ崇拝からも分かるように)ビビッドなカリスマリーダーを目指していた。一方、内気なエブは"成功者"や"自由人"を演じることよりも、もっと着実に、堅実な手段でプロジェクトを拡大しようとしていた。「彼は働き足りない」。エブからしてみれば、そう見えた。社内のエンジニアたちもこう言った。「ジャックはすごいやつだし、いい友だちだ。楽しいボスだ。でも自分の能力を超える仕事にはまり込んでいる」「大統領になった庭師だ」。


 上層部を巻き込んだ謀略の結果、エブは2代目CEOに就任することに成功した。ジャックをCEOから引きずりおろし、"活動しない会長"という椅子に座らせたのだ。完膚なきまでに会社から締め出すことをしなかったのは「道義上の理由」からだ。だが、この判断がエブにとって命取りになる。


 共同創業者のひとり、クリストファー・"ビズ"・ストーンは、2人の権力闘争の際、最後まで両方の肩を持とうとした。飛行機恐怖症だが人懐っこいビズは、ムードメーカーであり、仕事の面でも優秀で、社内闘争によって人間関係の崩壊していない唯一の共同創業者だ。彼は、3代目CEO着任のときを静かに見届け、そして会社を辞めた。


 "その発表"の45分前、エブはゴミ箱に吐いていた。それが2代目CEOとしての最後の仕事だった。取締役会のクーデター。裏で糸を引いたのは、秘密裏に決定された3代目CEO──"Twitterの真の発明者""ジョブズの再来""シリコンバレーのニュースター"。マスコミを使ったブランディングに成功したジャック・ドーシーが、再び頂点に返り咲いた瞬間だった。


 2人の軋轢の外枠をシンプルに説明すれば、"仕事の流儀の違い"である。金と権力のるつぼでは男同士の友情など容易く崩壊するという典型的な例であるように思えるだろう。だが、本質は別だ。2人は根本から異なっていた。"Twitterをどう見るか"という最も重要な部分において。


 最後にもうひとりだけ登場人物を紹介する必要がある。共同創業者は4人いると言った。ITオタクのノア・グラス。彼は、ジャックやビズよりも先に、エブの親友となり、ビジネスパートナーとなった人物だ。「Twitter」という名称を発案したのも彼である。


 Odeoに後のTwitter創業者たちが集結し、すこしばかりの歳月が経過したある日、ノアは、ジャックが「ステータス」という構想を口にするのを聞いた。パソコンに"今どうしているか"という現況(status)を表示させるというアイデアだった。ノアは大声を出した。「分かったぞ!」と。彼は辞書を開いた。そしてその単語を見つけ出した。


 [twitter] ──「特定の種類の鳥の小さなさえずり」「ふるえるような小さな声やくすくすと笑う声などの、似たような音も指す」。


 本書で描かれる「創業者」たちの逸話に、数億人のツイッターユーザーたちがリンクする。"それ"をどう見なし、どう使うか。なんのためのものなのか。


 ノアにとってそれは"人々の孤独感を癒すためのもの"だった。この"さえずり"が独りぼっちでパソコンに向かってばかりいたノアのような人間に光明を与えてくれると信じ、開発に尽力した。だが皮肉にも、Twitterが軌道にのる前に、ノアはエブたちによって追放されてしまった。


 エブにとってそれは"人々がどこでなにをしているかを共有するためのもの"だった。「通りの角で火事が起きて、それをツイートするようなとき、火事のあいだに自分のステータスを書き込みはしないだろう」。ジャックとの果てしない議論のときに、エブは言った。「こうツイートする。サード・ストリートとマーケット・ストリートの角で火事だ」。ニュースソースとして分かち合うところに、Twitterの可能性を見ていた。


 ジャックにとってそれは"自分のエゴを見せつけるためのもの"だった。「いや、火事を見ながらステータスを書く」。彼はエブに反論した。「こう書く。サード・ストリートとマーケット・ストリートの角で火事を見ている」。つまり、ツイッターはあくまで「自分のことを話す道具」だということだ。


 どうだろう。あなたは何のため"さえずる"? これらはまったく異なるツイッターの用法だ、と著者はいう。そして、このジャックとエブの決裂の根源は、同時にTwitterを特徴づける最大の要因でもあったのだ、と。


〈自分のことか、相手のことか? エゴのことかそれとも他人のことか? 現実では、その両方だろう。いっぽうがなければ、もういっぽうは成り立たない。一四〇文字の単純なステータス・アップデートは、はかなく、自己中心的だから、長くは生き延びられない。一四〇文字のニュース・アップデートは、瞬間的で、ニュース速報としては中身が貧弱だ。ふたりとも気づいていなかったが、そのふたつが組み合わさっていたからこそ、ツイッターはひと味ちがっていたのだ〉


 人命を救う救難信号になり、革命の一助になり、自己顕示のホワイトボードになり、炎上のフィールドにもなる、たった140文字のツール。その使い方に対する考えが、人生までも左右する。今まで明かされていなかったTwitter創業の軌跡。その設計思想や彼らの人間ドラマに興味のある人は一読してみるといい。読了後、あなたは一寸考えるだろう。そしてまたパソコンに向かう、あるいはスマートフォンを手に取るに違いない。

(都築光太郎)
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どーも、机の横のごみ箱に向かって吐いていたという一文以外はとくにどーってことない話の気がする。だいいち、吐くなら普通はトイレへ駆け込む。突然吐き気に襲われて(それまでムカムカしているわけでもなく)、トイレに駆け込む暇もないほどで吐いたなら、それは吐く吐かない以前に、だいぶ神経がお疲れモードな気もする。

どちらにしても、そのへんの貧乏たれがいきなり世界有数の会社を持ったなら、軋轢が発生するのは仕方がない気がする。それは、フランス革命でもそうだった。

それを後世の我々はたんなる権力闘争と理解するが、果たしてそれが面白い話であるかどうか。それぞれが自分たちのやり方を押し通そうとする。そこで妥協できないのであれば、だれかのアイデアを受け入れると自分のすべてが否定される状況が生まれるという事だろう。

たしかに製品はシンプルでなければならない。なにもかも詰め込んで、それでも成功したのは Microsoft くらいじゃないか。そう考えると Microsoft が次々と生み出し、世界に問いかける製品のすごさ(全てが素晴らしいとは言わない)が想像できうる。

では内紛があるという。追い出された3人がいるという。よろしい。内紛大歓迎だ。自殺者はいないのだろう?破産したやつもいないのだろう。ならば、まず彼らの資産を教えてくれ。100万、200万円の給料で喧々諤々していたわけでもあるまい。

おそらく数億(ドル)のオーダーでの資産を獲得したうえでの、争いである。え、もう、手を引いてもいいじゃん、と思うのは、おそらくゲスの極みなんだろう。彼らにはお金ではないなにか、何か満足できない飢え、サースティがあったのだろうと思ったりもする。

だが、よく分からない。その心の渇きは、何を求めていたのか。何がそれまで中の良かった人たちを決定的な別離へといざなったのか。

袂を分かつというのは当然ながらある。戦国時代にもあるし、ローマにだってある。そこにはお金だけではない何かがある。しかし、歴史上に僕たちの知るほとんどのそういう話は資産が莫大にあったうえで起きているようにも思える。

もちろん、貧乏人のそれもあるんだろう。マザーテレサのもとからだって、絶望したり、理解し得なくて、離れていった人はいるんだろうし、そうそう、貧乏人が袂を分かつといえば大工のイエスさんもそういう目にあった。

問題の核心はどこにあるか。twitter というこれほどまでに優れた製品がほんとうにお金を生まないという点にある。だからみんなが四苦八苦する。

そう、金の卵を産むがちょうを殺す人間はいくらでもいる。しかし、がちょうに金の卵を産ませようとするから、いがみ合ってしまうのだろう。このがちょうは金の卵を産むはずだ、しかし生まない。何故だ!?

twitter の利点は人間の同時間性であるし、それが情報の伝達速度を向上させている。そしてわりかし簡単にリンクしたり離れたりできる点もよい。かつフリーである。

つまり、この構造のどこにもtwitter社にお金を落とす仕組みがない。構造的にお金と関係しないわけである。

ヘビーユーザや広告主からの寄付などの方がましかも知れない。wikipediaが盛んに寄付をお願いするのも、維持管理にはコストが必要であるという点にある。

google や microsoft が無償の製品を公開できるのも、それを支える収入源があるからである。その収入の上に、無償というスタイルで、実験を行い、情報を得て、またそのうえに収入源となる仕組みを研究する。

一方でtwitterは一本しかない。これ一本だけでやってゆくのは辛いかもしれない。だが、ほとんとインフラとさえいえるこの製品について(恐らく情報の伝播する速度は世界一だと思われる)、政府でもなく、大企業でもない彼らにこれを支える義務はない。

この危ういインフラをどう維持すべきか、というのは世界中が直面している問題ではあるだろうが、基本的に失えばそれまでよ、という考えがいまのところの主流であろう。

そう、AKBでさえいつかはなくなる。その日へのカウントを待ちながら僕たちは生きている。いつまでも終わらないでくれ、という願いは、最後は美しくありたいという希求に変わるであろう。

さて、どうすればtwitterは継続できるのか。

1.有料会員制の導入(有償サービスの提供)
ほんもの認定がされる、twitter使用上の制限が緩和されるなど。
⇒ おそらくそんなに会員は増えないだろう。

2.twitterないへの広告の導入(広告)
⇒ 邪魔なので不評。下手したら乗り換えられる。

3.他SNSとの相互乗り入れ(広告)
facebookなどもつぶやきとしてリストするサービス
⇒ お金は取れそういない

4.企業ユースへの適用(有償サービスの提供)
twitter アカウントに、group 機能を導入する。このgroup を企業単位で公開するなどすれば、企業ないだけでの twitter を構築できる?
⇒ 使用目的は何?

5.twitter API の有償版(有償サービスの提供)
無償版と有償版でアクセス制限を大幅に変える

6.巨大知の発掘
埋もれたつぶやきの中を再発掘して、それをもういちどtwitter上に乗せることで面白さを再燃させるみたいな?

うーーむ。後から見れば誰もが思いつくようなことを最初に見つけるのが一番難しいのだろうなぁという感想しかわかないよ。。。

結局、人が集まる所には広告主がつくというモデル、何か魅力的なものであれば、人はお金を出してても入手するというモデル、しかしデジタル、インターネットでは、モノという概念は希薄になりコピーならタダというのが標準理論としてある。

例えば新聞や雑誌でさえ、基本モデルは広告である。しかし、紙というモノがあるから有償で売っている。それが当然だと思っている。しかし売ることは彼らのビジネスモデルではない。

テレビ、ラジオがちょうど電波という目に見えないものによって、広告枠という時間を設けることで衆目に対してただで配信する仕組みを作った。

これはデジタル機器の録画機能の発展により、CMスキップという危機を迎えつつある。

インターネットとブラウザという新しいメディアは、時間という流れさえ利用者側に主導権がある。動画でもない限り(動画であってさえも)CMを強制できないという新しいスタイルだ。

そこにどういう仕組みがあるか。twitterの中でも広告を打っている企業はたくさんある。問題はそういうインフラの提供であるtwitter社に一円も得にもなっていないことだろう。

その帰結は広告でさえも面白いコンテンツの一部でなければ見向きもされない、という点で今は新しい時代性ではないか。つまり広告とは新しい情報であり、有益な武器であり、人々を楽しませるコンテンツである。

ちょうど、作家の作品が、音楽が、舞台が、クリエイターたちの広告であるとみなせるように。

つまり悪いのはすべて広告が面白くない事である。そう広告主に言わねばならぬ時代が、つい目ノ前にまで迫っている。

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