昔、高校の英語の教材で「木を植える男」の簡略版を英語の教材として読まされた。
ふとした拍子に思い出してしまった。
僕の連れが、「川に肥料を与える男」になった。
もっとも、彼がもたらしたのは再生ではなくちょっとした汚染だが…
今だから笑い話になるが、何とも典型的な○×なことをしてくれた。
彼は酒の席で時々いなくなった。
最初はタバコかと思ったが、それにしてはいろいろと妙だった。
後から知ったが、彼は溢れるものを川に散布していたようだ。
僕も酒は強くないからアンマリ人のことは言えないが…
ただ、これだけは断言できる。
周囲に迷惑をかける爆発型、周囲に心配をかける消滅型に二分するとすれば僕は間違いなく後者だ。
記憶とは実に奇妙なものだ。
体内時計の時の流れの濃さと、その時の感覚によって刻まれ方が異なる。
僕にとって靴底の埃よりも価値の無い一瞬の出来事も、観測者が変われば衝撃的な出来事として強烈にそして鮮明に記憶に残ったりするものだ。
僕が深く考えることもなく「チッ、また金の無心か…」と破り捨てた一通の封筒が重要なキーだったようだ。
最も、キーを捨てた時点で錠前を開錠した先の副産物の価値を見失っているのだが…
まさか、そんな意表を突く一撃で、まして、そんな気にかけてもいない相手からそんな一言が発せられているとは夢にも思っていなかった。
僕からは「相手」と表現するのにも違和感の有る程の関係だと思っていたが、逆もまた然りとはいかなかったようだ。
きっと、これを「おせっかい」と考えてはいけないんだろうなぁ。
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