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2015年09月23日14:48

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【戦士(Magadheera)】における輪廻システム

 日本人がインド映画を見る時に、現代インドの生活文化を知らないが故に理解できない壁ってものが鑑賞の妨げになったりすることがある。

 それは結局、"文化の違い"なのであって"思考の違い"ではないから、説明されるとなるほどと納得できたりするし、知ってさえいれば面白さが何十倍・何百倍に感じられたりするもんなので、世界中のアニメファンがアニメを楽しむために日本文化を勉強するように、ハリウッドファンがアメリカ文化を研究するが如く、映画を楽しむためにインド文化を探っていく楽しみを感じてもらえれば、それはもう楽しい世界が手ぐすね引いて待ってまっせ、ってな世界が広がるもんだよなあ…とは、常々思うことでありをりはべり…。

 昨日、インド映画同好会 大映画祭で久々にテルグ語映画の「戦士」を見て「ああ、そう言う意味だったのか」と納得したことを少し。
 以下、完全なネタバレとなりますので、未見の方はご容赦!


https://www.youtube.com/watch?v=e084TUTbIXI
・感想はこちら↓
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1913286780&owner_id=3570727


 










 …そろそろいいかな?
 未見の方でも見ていいけど、あとで怒らないでね? 既見の方でも色々あとで怒ったりしないでね? おにーさんとの約束だゼ?


 んで、テルグ語映画【戦士(Magadheera)】なんですが、ざっくり映画構造を要約するとこんな感じ。

プロローグ(前世劇)→前半:ハルシャとインドゥのラブコメ(現代劇)→インターミッション→中盤:戦士パイラヴァの因縁譚(前世劇)→後半:前世の因縁の解決編(現代劇)

 一頃日本で話題になった「輪廻ものインド映画」なワケですが、ここで重要なのは"インド映画と言っても、簡単に輪廻しない"と言うそのシステム論だったりする。
 ヒンディー語映画【恋する輪廻】でも輪廻転生が物語の主軸になっていながら、各登場人物たちに「いまどき転生なんて、誰が信じる?」と言わせているが如く、(少なくとも都会の)インド人も日常で輪廻転生なんて信じてないし、そんなのご都合主義なお話の中だけって理解は、日本や欧米とそう変わっていない。

 映画冒頭、戦士パイラヴァとミトラヴィンダ姫の墜落死を目撃したシェール・カーンが、パイラヴァに敬意を表して「沈む太陽が再び昇るように、いつか甦れパイラヴァ! 甦って復讐を果たせ!!」と、彼の転生を促す火葬儀式をパイラヴァの遺品で行って物語は本格的に始まる。
 このシェール・カーンは、映画中盤に始まる前世物語によって、パイラヴァの守護していた国を滅ぼした敵国の王様であることが語られ、その衣装風俗、「我は全インドを征服した王なり」の台詞、歴史上のアクバル大帝の側近と同じ名前の側近マーンスィンを従えていることから、16世紀に実際に南端部を除いたインドを征服したイスラム帝国ムガルの皇帝、アクバル大帝をモチーフとしたキャラクターであることが分かってくる。歴史上では、宗教・民族に関係なくインド〜西アジアの多くの部族を平等に扱うことで帝国の最盛期を実現させたアクバルを投影として、ムスリムのシェール・カーンもまた、異教徒で敵国の戦士であるパイラヴァを、敬意をこめてシヴァ神像の前での彼の所属コミュニティであるヒンドゥー式葬儀によってその転生を命じるのである。

 そして、映画は現代編に移り、前世の記憶を覚醒させながら瀕死状態のハルシャを、文字通り"釣り上げて助けた"のが、シェール・カーンと同じ役者(スリハリ)によって演じられる漁師ソロモン。
 その名前は、古代イスラエル最盛期の"知恵の王"に由来し、首にかけた十字架のネックレスからクリスチャンであることはすぐに分かる(これが、ムスリム名なら"スライマーン"とかのアラビア語名になるはず)。
 さらに、漁師とは、キリストの最初の弟子たちの元の職業であり、キリストの言葉「お前達を、人を漁る漁師にしよう」からキリスト教そのものを現すモチーフになったアイコンでもある。
 そう言ったキャラクターが、パイラヴァの記憶を持つハルシャを釣り上げ(キリストの教えを伝授する仮託イメージ?)。彼を死の淵から甦らせる儀礼的復活に携わらせている。言ってしまえば、ハルシャ=パイラヴァは、イスラム皇帝によって「復讐の誓願を受理」され、前世と現世にあって儀礼的な死を迎えることで冥界巡り(前世エピソードの記憶覚醒)を行い、キリストの知恵によって「復活」する。

 これは、ヒンドゥー教徒から見れば、シヴァの加護のもと、ヒーローであるハルシャ=パイラヴァがイスラムとキリスト教の後押しによって神の力を手に入れたように見える。
 ムスリムから見れば、合理主義的なイスラム皇帝の「許し」によって、ヒンドゥーの英雄が一時的に絶対的な力を手に入れているように見えるかもしれない。
 クリスチャンからは、異教徒がキリストの教えによってその存在を悔い改めた清き存在へと生まれ変わったように見えるかもしれない(さらに言えば、ハルシャの復活を促したソロモンは、ラストバトルの決着もまた、自ら引導を渡していたりするし!)。
 …まあ、この辺は「わりと強引に言えば」って注釈が必要ではあるけれど、こうした3つの宗教の融合と等価値化が、架空の"英雄伝説と言う型"に流し固められているのが、この映画の構造的ミソってことなんでしょう(その上で、あくまで映画全編を貫くのは"恋物語"の方である!!)。
 日本と同じ多神教世界といえども、そこには数多の宗教コミュニティが隣り合って共存し、数多の社会ルールが互いに矛盾を引き起こしながら共闘している現代インドでは、不特定多数の人々の抱える不特定多数の価値観の壁を突破する映画を作るには、長い歴史の中でブラッシュアップされて来た神話伝説を利用しつつ、ここまでの布石を打たないといけないって事でもありますネ。


 では、長々と語って来て疲れた貴方に、箸休め的にご機嫌なナンバーをば
 Magadheeraの挿入歌Anaganaga (昔々、ある所に…)をちぇけら!!

http://www.youtube.com/watch?v=p48C1VfAS1I


 他のインド映画も含めて、他にも色々語らなきゃいけない要素は満載ながら「そんなの、初見で気づけよコラ」って言われたら返す言葉もない生インド経験のない日本人なので、ワタスはここらで退散するのであります。ちゃんぺすたー!!(最初に覚えたテルグ語)



■日本人の宗教観、海外と違うけど変じゃない?米メディアが探る日本人の心根
(NewSphere - 09月22日 11:50)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=196&from=diary&id=3628054
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