次男が卒業旅行に行ってきた。
大学の仲間3人で博多二泊三日の旅。
中洲の屋台やモツ鍋屋に行ったり、ビール工場にいったり、太宰府にお参りしたりなんだりで。
やけに楽しかったと言ってた。
僕自身、かつて30代の頃、博多には何回も出張したことがある。
で、夜は福岡支社の連中と中洲に繰り出した。
色んな店に案内してもらって楽しく飲んだ。
中で一番印象的だったのは、とあるスナックでの出来事。
カウンターの向こうのおねえさんと意気投合したらさ。
おねえさん 「これからいいもの見せてあげる」
僕 「なんだい、いいいものって」
その途端におねえさんがスカートをぱっとめくった。
そしたら、スカートの下にパンツを履いてなかったんだよ。
一瞬の出来事だったけど間違いない。 いやあ、目を剥きましたわ。
で、「もう一回、お願い!」と懇願したんだけど。
「一晩に一回だけなの」とすげなく断られてしまった。
で、旅行に出かける前の晩の夕飯時に、息子にこの出来事を教えてやった。
息子 「ほんとにノーパンだったの?」
僕 「間違いない。黒い繁みがもろに見えた」
カミサン 「ちょっとやめてよ、いやらしい。それよりもお土産のお薦めでも教えてあげて」
息子 「個別はダメだよ。皆で食べるお菓子とかだけ」
僕 「ひよこなんかどうだ?」
二人 「あれは東京土産でしょう」
僕 「違う。誤解してる人が多いけど、あの菓子屋は福岡が本社なのだ」
これはほんとのことです。 ういろうの本家が名古屋でなく小田原にあるのと同じく、銘菓ひよこも東京でなく福岡が発祥なんです。
野球好きの仲間が集まった息子たちの旅行のメインイベントは、福岡ドームでの観戦だった。
ホークス対マリーンズのオープン戦があったんだ。
僕もテレビでその中継を見たけど、松坂が登板するということで、満員御礼になってたよ。
この福岡ドームを舞台にした映画がある。
「ガメラ大怪獣空中決戦」だ。
自衛隊がギャオスを捕獲するため、ドームに肉塊を用意する。 ギャオスたち、おびき寄せられる。 自衛隊が麻酔弾をギャオスたちに撃ち込む。 そこを博多湾に上陸したガメラが襲ってくる。
いやあ、この平成屈指の怪獣映画の傑作を初めて見たときは唸っちゃったよ。
福岡市は昭和の怪獣にもボコボコにされたことがある。
「空の大怪獣ラドン」だ。
これは僕はリアルタイムでは見れなくて、大人になってからビデオで見た。
ストーリーがよく出来ていた。
初代ゴジラやモスラ対ゴジラと同じく、この時代の日本が生んだ珠玉の一作と言える。
それにしてもここで描かれたラドンはつがいだったのに、三大怪獣や総進撃に出てきたときは一頭だけになってしまってた。 あれは雄と雌のどっちが阿蘇山で生き残った設定なんだろう。
ここでまた家族の夕飯時の会話。
僕 「博多では聖地巡礼はしてこなかったのか」
息子 「クッキングパパに出てきた店をちょっと見た程度だ」
福岡在住のうえやまとちが描くコミックモーニングの一大長寿作品、「クッキングパパ」は連載当初から我が家で人気があった。
「おおきく振りかぶって」や「リアル」と並ぶカミサンの認める数少ない男漫画の一つでもある。
彼女は実際にこの漫画に登場するレシピを料理に取り入れたこともある。
肉じゃがにコーラを入れたり、厚焼きトーストに卵を仕込むのはイマイチだったけど。
イタリアン鍋はなかなかよくて、我が家の定番メニューの一つになった。
こういうレシピです。
http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=3&cad=rja&uact=8&ved=0CCcQFjAC&url=http%3A%2F%2Fcookpad.com%2Frecipe%2F2091041&ei=_VQOVcv2J-TlmAWokYGYAw&usg=AFQjCNENnOiMC0f-QaMhMDr7h_e6_RUJyA
そして、博多を舞台にした漫画の決定版といえば、なんといってもこれまたご当地在住の作家が描いたこれだろう。
「博多っ子純情」 長谷川法政 漫画アクションに1976年から83年まで連載。
一平と類子というカップルの博多での中学時代から始まって、東京の大学生生活のちょっと危ない時期を経て、最後は地元に帰ってゴールインするところまでを描いた一大長編。
好きだったなあ。 特に高校時代のラグビー編は感動もんだった。
これ、もちろん全巻持ってたんだけど、お付き合いしてた頃のカミサンにぜんぶあげちった。
なので、彼女の実家にまだあればあるはずだ。
この漫画、実写化はあってもアニメ化はされなかったんだけど。
地元では一平、類子が作者の長谷川法政と共演するCMが2つの商品で作られている。
ハウスの「うまかっちゃん」と地元銘菓の「博多通りもん」だ。
https://www.youtube.com/watch?v=IKDLiAnO6wg
https://www.youtube.com/watch?v=PoZD3O8-Oi0
実写化もアニメ化もなかったけど、同じく福岡出身のこの作家の作品も大好きだった。
「男おいどん」 松本零士 少年マガジンに1971年から73年まで連載。
さえない男のペーソス、沁みたよ。
ところで、博多っ子純情には実在のバンドが登場したことがある。
チューリップだ。
JーPOPなる言葉が生まれる前のニューミュージックの時代。
博多は日本のリバプールと呼ばれていた。
この街のライブスポットで名を挙げてから上京してメジャーになるバンドが続々と現れたんでね。
そういう中の70年代バンドでいうと、僕の好みはチューリップ◎、甲斐バンド○、海援隊×という感じだ。
チューリップは日本のリバプールの代表選手だけあって、ビートルズの影響が色濃く出ていた。
「青春の影」なんか、「The Long And Winding Road」のオマージュそのものだったし。
その「青春の影」や「サボテンの花」と並んで僕が好きだったナンバーがこれだ。
なんつってもさ、歌詞がよかった。
ワガママは男の罪♪ それを許さないのは女の罪♪
「虹とスニーカーの頃」 チューリップ
https://www.youtube.com/watch?v=SgAhcT4ifA0
一方、80年代に売れた日本のリバプール出身のバンドというと、チェッカーズやチャゲ&飛鳥が思い起こされるけど。
このめんたいロックバンドがよかった。
女性ロックンローラーの草分けの一人だったシーナさん、先月亡くなっちゃったんだよなあ。
享年61歳 合掌
ユーメイドリーム シーナ&ザ・ロケッツ
https://www.youtube.com/watch?v=OAosNoQYUAs
で、また70年代に戻ると。
福岡出身のミュージシャンといえば、僕的にはこの人をハズすわけにはいかない。
りりぃ
米国兵だった父と中洲でバーをやっていた母の間に生まれたハーフ。 父は本人が生まれる前に朝鮮戦争で戦死。 中学卒業後、上京してスナックで弾き語りをしていたときの仲間内での通り名を芸名にしてデビュー。 「私は泣いています」のヒットで一躍メジャーになった。
このりりぃ、僕の高校時代のアイドルだった。
中学時代は南沙織の追っかけをしてたんだけど。
さすがに高校生になってニューミュージックにかぶれだすと、今さら歌謡曲のスターでもなくなってねえ。
そういうときに、当時としては珍しかった「美貌」のシンガーソングライターとして彗星のように登場したのがリリィだったわけだ。
最初はラジオで「私は泣いています」を聴いた。で、ハスキーボイスなかなかいいなあと思った。
で、その頃売り出されたライブ盤を買って聴いてみて、一発でマイッた。
これはねえ、日本のミュージックシーンが作り出した名盤の一つだよ。
りりィLive 1974年 場所はたしか新宿厚生年金会館だったと思う。
一番光ってたナンバーは本人自身が自分の大事な曲とステージで紹介した「心が痛い」。
「ジュン」も「水の音」もよかった。 「Unchained Melody」のカバーがこれまた絶品でねえ。
もうゾッコンになってしまった。
それとこのLiveのバックバンドの音がイカしてた。
ピアノが乾いた音を出す、ギターは重厚、ドラムはシンバルの切れ味が抜群。
バイ・バイ・セッションバンドといってね。
これは後追いで知ったんだけど。
当時このバンドのメンバーの一人だった坂本龍一によると、あの頃在京のミュージシャンに最も人気の高いセッションバンドとして、サディスティック・ミカ・バンドと双璧の存在だったそうだ。
ということで、このLiveを是非とも紹介したかったんだけど。
残念ながら、YouTubeには見当たらなかった。
なので、そのライブの中でも歌われて、A面の最後を飾ったナンバーのオリジナルバージョンを。
「ジュン」 りりィ
https://www.youtube.com/watch?v=KOcI2cn_YLg
ということで、博多話を終えます。
今晩の食卓には、息子がお土産に買ってきた明太子が乗るらしい。
中洲の屋台で食べた「いわしめんた」というのがやけにうまかったので、そういえば博多といえば明太子だなと思い出してお土産にすることにしたそうだ。
カミサンによるとこのお土産の明太子、おにぎりの具にして食べてみたら、すっごく美味しかったんだと。
楽しみだぜ! これまた息子に誕生日祝いにもらった大吟醸と一緒にいただくことにするぜ!
で、締めはこの歌。 山笠やら中洲やら那珂川やら、博多の風景てんこ盛りだよ。
「博多っ子純情」 チューリップ
https://www.youtube.com/watch?v=5CnOSxz9S08
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