昨日、まる三年続いたラジオ番組の最後の録音をした。
そもそもCM屋である私が能力的にできるとしても、
「他人の領域」であるところの番組制作に関わるとは思っていなかった。
それが3年も。
ガキの頃なら、中学や高校に入学して卒業しちゃう時間を費やしたのだから、
とっても長かったはずなんだけど、
終わってしまうと、ついこの間始めたような気がする。
いろいろなことがあったけど、基本的に楽しい仕事だったな。
それに「定収入」が確保されたことで、
ギャラの金額にかかわらず、案外楽にやれた。
一月仕事が無かったり、
3月や9月の改編期にだけ仕事が集中するようなこともなかったし。
「J-Wave Sounds of Story 〜Asada Jiro Library〜」
http://www.j-wave.co.jp/original/soundsofstory/
こんなのを、やっていたんです。
まさか自分が、監督するとは思わず、
3年前の3月10日ごろかなあ?
「相談がるからちょっと来て!」と言われて、
何のCMかと思いきや、
「浅田次郎の番組企画をDOCOMOにプレゼンしたいので、
デモテープを作りたい」
と話をされた。
たぶん、番組制作の大筋は決まってたのだと思う。
DOCOMOのお偉いさんが浅田次郎ファンだということで、
D-BOOKを売ることと合わせて、この企画がそこそこ決まっていたんだろうね。
で、作品は「鉄道員」の中から「ラブ・レター」でいきたいと。
へえへえ……で、いつ撮るんですか?
「明日」
はあ??
「明日二時からスタジオ抑えてあるからそこで」
え〜〜……
んじゃあ、とりあえず明日の朝までに原稿送りますから。
いくら元々の作品があるとはいえ、
40分番組に押しこむには、
半分くらい削らにゃならんのです。
原文の味わいを残しつつ、いかに感動的に話を作るか?
一晩でやれと……
wordを打つだけでも、一晩掛かりそうだわ。
で、結局プレゼンは成功し、
「番組決まりました」
ああよかったですね(じゃあギャラちょっとはもらえるな〜〜)と言ったら、
「つきましては、番組ディレクターをお願いしたい」
は??
普通こういうのは、プレゼンでおしまいで、あとは番組制作の人がやるもんですけど?
「まあまあ、やってくださいよ」
はあ。
そうして、3年が経っちまった。
いろんなことがあって、
中でも最初の年の10月に母が死んで、
そのことを誰にも言わずに仕事を続けた時が一番きつかった。
よりにもよって、お葬式の話なんか作っているし。
浅田次郎作品には、お葬式が多いのです。
1年50人として、のべ150人のイケメンや大物やら歌手やらと仕事して、
なんだかとっても面白い3年だった。
4月になったら、本気で家の問題に取り組まなくちゃね。
さて、後何年生きるのかしらないが、
この先いつまで仕事がもらえるかもわからないので、
それこそ蕎麦屋でも初めて食い扶持だけでも稼がねえと、
生活保護になっちゃうかもしれん。
どうなることやら?
そんなのが、家族の一人もいねえのに「家を建てる」とかどうなんだよ?
全部家財を売り払って、身一つになるのが一番スッキリしていいのかも……
と思うと、なかなか踏み切れない。
ともあれ、3月は卒業の季節だけど、
自分もこの歳で、一つ卒業したようだ。
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