サッカーの歌の話とかについてちらほら閲覧していて気になることもあってちょっと日記も書いて見ました。たぶん東レの棄権の話にも少し。
「ふりむくな君は美しい」(阿久悠作詞、三木たかし作曲)の発表は1976年。私がこの歌を知ったときにはすでに"高校サッカーといえばこの曲”でした。TV中継のテーマやBGMにも使われていましたし、公式の大会歌でもあったんで会場でも流されていたらしい(※1)んですね。このへんが高校野球とは微妙に違うところ。
※1 本大会は関東圏での開催だし、実際に会場で聞いたことはない。
つぶやきでも触れた「君よ八月に熱くなれ(※2)」(作詞:阿久悠、作曲:中田喜直)は試合のTV中継と速報番組「熱闘甲子園」で使われていた、いわゆる"民放テレビ専用(※3)"の楽曲で、大会歌はこちらも有名な「栄冠は君に輝く」(加賀大介作詞、古関裕而作曲、1948年)。
※2 こっちは1977年発表。まさかこっちのほうが新しいとは思ってなかったなw
※3 NHKは普通に大会歌を使ってましたな、そういえば。
いまでこそサッカーは日本有数の人気スポーツですが、Jができる前はそれこそラグビーや駅伝にすら人気では及ばないもんで、まともにTV中継があるのなんてそれこそ天皇杯の元旦決勝と高校サッカー(※4)ぐらい。別にサッカーに限った話ではありませんが、高校野球とプロ野球がある程度一般の認識から異なるように"サッカー人気"ではなくあくまで"高校選手権人気"だったのですよね(※5)。
※4 つまるところ、どちらも正月用のTVコンテンツだったのです。
※5 インターハイの結果に誰も興味がなかったり、駅伝といえば箱根駅伝だったりしますよね。
ここまでが前置き。相変わらず長い。
いまさら強調するようなもんでもありませんが、スポーツ人気とTVメディアの発達には密接な関係があってそこは否定できませんし、だからこそTVメディアの意向を無視できない部分もあります。これは実のところアマチュアスポーツのほうが強くて、むしろプロ化してしまえば相対的にはメディアへの発言力は増す(※6)ものだったりします。
※6 少なくとも『建前では』対等に交渉はできるようになりますからね。
ある意味、高校サッカーはその点では高校野球よりもメディアの都合の強いコンテンツで「ふりむくな〜」の歌詞なんかにもその影響が現れています。つまり、敗者の涙って言う側面にスポットが当たっているのですね。この辺はいまの感覚で見ると違和感ある人も多いのでしょうが、それも時代性を考えて、頭ごなしにけなすのはどうなんだろうな、なんて思ったりするのですよ。
逆に言うと、いまでも昔と同じようにアマチュアリズムが純粋だ、みたいな幻想を脳天気にみなが持ち続けていてもいいのかどうかは考えたほうがいいのではないかなーなんて思うわけですよね。いや、もちろん競技者の純粋な思いが問題なのではなくて、それを利用するメディアや視聴者の問題なわけですが。
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