mixiユーザー(id:6581993)

2014年09月11日08:52

1906 view

将棋を守った日本人の話

日本が戦争に負けて、GHQが日本を占領していたころのお話です。


当時のGHQは、日本を弱体化させるべく、様々な文化を禁止していったそうです。
例えば、桃太郎のお話は「侵略的」、忠臣蔵は「敵討ちを正当化している」とお芝居や本の出版なども禁止されたそうです。
柔道や剣道などの武芸も全面禁止。神社に集まって談合することすら禁止されたそうです。


そんな中、次のターゲットになったのは将棋です。GHQは、将棋を禁止しようと、日本将棋連盟に呼び出しをかけました。
そして、日本将棋連盟が選んだのは、升田幸三という29歳の棋士でした。


現れた升田棋士に、GHQの担当官は「我々は日本の民主化を目指している。だが、日本人がたしなむ将棋というゲームは、とった相手の駒を兵隊として使用する。それはジュネーブ条約違反の捕虜虐待ではないのか」と言ったそうです。
もちろん、そこで認めてしまえば、そんな野蛮なゲームは認められないとして禁止になってしまいます。


升田棋士はこう言いました。
「将棋は一度負けたものにも新たな働き場を与えている。しかも、飛車や金などの身分を剥奪することもない。チェスのようにとった駒を飼い殺しにするゲームのほうが捕虜虐待ではないのか」


うろたえたGHQの担当官に、升田棋士は続けます。


「チェスはいざとなると、女を盾にして男が逃げる。これが卑怯者でなくて何か。何が民主化だ。何がレディーファーストだ」と。
さらに升田棋士は続けます。
「将棋は、勝負が終われば敵も味方もなく同じ駒箱にしまわれる。それに対してチェスは戦いが終わっても白と黒の差別があるではないか」


GHQの担当者は、人種差別の問題まで指摘されて、何も言えなくなってしまったそうです。
このままではいけないと、担当者は、木村義雄という名人の話を持ち出します。
木村義雄は、戦時中に帝国海軍に頼まれて講演をしていたことがあり、それがGHQに将棋が睨まれることになってしまった原因の一つでもありました。


木村名人が海軍で講師をしていたことを言われた升田棋士は、こう返します。
「木村義雄などを講師に選んだから日本は負けたのだ。言ってみたら、あの人は君たちの大恩人だぞ」
と木村義雄を恩人に持ち上げたかと思うと
「もしわしが帝国海軍を指揮していたら、貴様等は今頃太平洋の藻屑だ!」と恫喝したそうです。


……日本を弱体化させようとしたとはいえ、まだ話の分かるアメリカ人だから良かったものの、これが中国人だったら生きてビルから出られなかったんじゃないかと思います( ̄。 ̄;)
しかし、これ以降、GHQが将棋を禁止にしようとすることはなかったということです。


当時の日本で、ここまでGHQにものを言えたのは、この人と白洲次郎、あとは石原完爾くらいではないでしょうか(;゚ロ゚)
GHQをやりこめるところは痛快なのですが、将棋の知識の他にも、チェスの知識や、アメリカ人の性質なども分かった上で先を読んで勝負に出ないと、この状況を切り抜けるのは難しかったと思います。
つまるところ、これが本当の教養というものなんだなあ……と感心してしまいました。


当時の大日本帝国にも、こんな人たちがもう少しいたら、アメリカと戦争することも、敗戦を迎えることもなかったかもしれませんね(´・ω・`)
6 8

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する