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2014年03月23日06:37

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みんなしってるつよいみかたのお話。

一昨年(2012年)8月に名古屋近郊の豊川稲荷に行ったとき。
お稲荷さまは,他のところでは神社なのに,豊川稲荷はお寺さん。
そのことを不思議に思った反面,我が国では神社の神々とお寺の仏様とがわりと近いところにいるというのを実感した。

そういえば,子どものころには神社とお寺の区別がよく分からなかった。
だって,どちらも初詣に行く場所だし,どちらにもお賽銭箱が置いてあるし(^^;。
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八幡さまというのも,よく分からない神様だと思っていた。
「○○八幡」というのはれっきとした神社で,私がかつて住んでいた千葉県市川市にも「葛飾八幡宮」という八幡さまがあった。
ちなみに,葛飾八幡の境内には市川市立図書館という市川市の当時の中央図書館があったので,中学・高校のころは夏休みの宿題の調べ物のためによくその近辺に出かけたものだった。

一方,源平合戦の屋島の戦いで那須与一が,沖合の平家の軍船に掲げられた扇の的を射落とそうと弓矢を構えたとき,「南無八幡大菩薩!」と唱えたというのは平家物語の中でも有名なお話だ。
菩薩というのは仏教の仏様の称号のひとつ。
ということは,八幡さまというのは,実は我が国の八百万の神々ではなくて仏様だったのだろうか。
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最近読んだ「なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか」という本に,そのあたりのことが多少,記載されていた。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/product-description/4344983270/ref=nosim?tag=bookmeter_arasuji-22#productDescription
八幡神というのは古事記にも日本書紀にも登場せず,もともとは渡来人が信仰していた神である可能性が高い。
それがいつしか第15代天皇である応神天皇と合わさって(習合して)信仰されるようになり,神話から天皇家への系譜に連なる神の一員とされるようになった。
さらにはこの神さまに朝廷が「菩薩」の称号を与えたことによって,八幡神は日本神道の神様であると同時に仏教の仏様にもなった,ということらしい。

時代が下ると「本地垂迹(ほんちすいじゃく)」という考え方が唱えられるようになる。
すなわち,日本神話の八百万の神々は,実は仏教の様々な仏様が姿を変えて我が国に現れたものである,等と言われるようになった。
まあ,この考え方は明治のころの神仏分離・廃仏毀釈によって廃れていくのだけれど。
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古来の日本の八百万の神様は,人間にわりと近しい存在であったらしい。
八幡神はどうやら,神でありながら悟りを得て仏になるために修行していたということになっている。
そのため,八幡神を描いたものの中には僧侶の姿をしているもの(僧形八幡神)があるのだという。

人に災厄をもたらし,あるいはその願いを聞き届ける,そういう存在である神が,さらに悟りを得るために修行をする。
一神教世界での唯一絶対神と違って,なんとまあ人間くさい存在だろうか。
(人間くさいという点では,ギリシャ神話の神々に通じるところがあるかもしれない。)
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そういう,人間くさい神さまという文脈で考えると,ヲタク業界での八百万の神々の扱いも,わりと納得できるような気がしてくる。

アニメでいえば。
少し前だと、中学生の女の子がいきなり神様になってしまう「かみちゅ!」。
忘れられた物と記憶を守る猫神が,高天原でのおいたが過ぎて人間界に追放されてしまったという「猫神やおよろず」。

最近では,位が低くて自らを祀ってくれる社もない神が,社を建てる費用を稼ぐために様々な雑用を5円の賽銭で引き受けるという「ノラガミ」。
そしてそして,眼鏡をかけた小太りのおばちゃんが天照大神(あまてらすおおみかみ),長大な金髪リーゼントとサングラスという出で立ちの素戔嗚尊(すさのおのみこと),稲荷神である宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)はなんと乙女ゲームにはまっているという設定の「いなり,こんこん,恋いろは。」。

どれもまあ,見事なまでに人間くさい神々。
(「かみちゅ!」は人間の中学生が神様になってしまうのだから,人間くさくて当たり前なのだけど)

これらの作品の中では,私は「猫神やおよろず」が結構好きなのだけれど(どこか「デ・ジ・キャラット」を思い出させる。),世間一般の評価はそれほど高くはないようだ。

「神サマといっしょ」
(作詞:こだまさおり 作曲:山元祐介 編曲:山元祐介 歌:繭(戸松遥)・柚子(堀江由衣))
http://www.nicovideo.jp/watch/nm15096727

こっちはTVアニメ「猫神やおよろず」のオープニング。
http://www.youtube.com/watch?v=PizQqLeieqA

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日本の神道では,亡くなった人を神として祀ることがある。
有名なのは,菅原道真公を天神様として祀っている天神社・天満宮だろう。

戦国時代のころからは,英雄を神として祀ることも行われるようになった。
豊臣秀吉は豊国大明神となり,徳川秀康は東照大権現となった。
さらに,靖国神社は戊辰戦争以降の官軍・日本軍の軍人・軍属・自衛官の戦死者・殉職者を祭神としているというのだから(よって,戊辰戦争・明治維新での旧幕府軍(新撰組,彰義隊,奥羽列藩同盟を含む)の戦死者,西南戦争での薩摩軍の戦死者は祭神に含まれない。当然のことながら,日本軍に敵対した勢力の戦死者も祭神に含まれない。),英雄の祭神化が大衆化したといっても良いのかもしれない。

ただ,私としては,日本古来の神道は,英雄の威徳を讃えることよりは,祟り神の怒りを静めるために祀っていたのがいつの間にか恵みをもたらす善き神になっていた(出雲の大国主命や,菅原道真公のように)というのが本筋ではないかと感じている。
それに,神格化されてしまった英雄神には,もともとの八百万の神々のような人間臭さが感じられないような気がするし。
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「いなり,こんこん,恋いろは。」にも,そして私の近年のお気に入りであるラノベ「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」にも,京都伏見稲荷大社の千本鳥居が登場する。

豊川稲荷(円福山 豊川閣 妙厳寺)には行ったので(アレンジいなりは美味しかった(^^)),稲荷神の元締めである伏見稲荷大社,そして日本三大稲荷といわれる笠間稲荷神社・祐徳稲荷神社にも行ってみたいものだ。
※ 日本三大稲荷が、伏見稲荷の他にどのお稲荷さんを指すのかには諸説があるが、伏見・祐徳・笠間という説と伏見・祐徳・豊川という説とが有力であるらしい。

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