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2011年08月22日17:20

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相撲錦絵の世界

ニューオータニ美術館で開催中の『相撲錦絵の世界』に行きました。
一応HPアドレスを貼っておきます。

http://www.newotani.co.jp/group/museum/exhibition/201107_ootani/index.html

チケットは毎度お馴染み、新聞屋さんからの貰い物。新聞屋さん、いつもいつも有難う〜。

今回は、開館20周年記念展の第2弾だそうです。てか、この美術館、開館してまだ20年だったのね。ニューオータニの創設者(よね?)の大谷孝吉氏のコレクションからの展示だそうです。

相撲は勿論知っているが、そう言えば相撲絵ってまとめて見たことなかったな・・・(錦絵展に行って、何枚か見る・・とかはあるケドさ)ってまず思った。相撲は、芝居と並ぶ当時の娯楽の最高峰って言っても良いモノだから、作品点数も多いのに、そう言えば、相撲の錦絵展ってあんまりやらないね。役者絵はやるのに・・・。何でだろう?単純な疑問。

今回は、歌川国貞のモノがかなりありました。国貞って言ったら役者絵のイメージが強いと思うのですが、相撲絵もちょっと役者絵っぽくて、恰好良かったです。

それでは、気になった絵をつらつら〜って紹介。

の前に、お相撲の歴史をザックリ紹介。
そうすると、まず、神代時代にまで遡らなきゃ行けないのですが・・・(^_^;)。歴史長えぇぇ〜、流石国技。
『国ゆずりの力くらべ』って話があるんですよ。結構有名な話なので、知ってる人も多かろうけれど。
出雲の小浜で、建御雷神(たけみかづちのかみ)と、建御名方(たけみなかた)って神様が相撲をとって、勝った建御雷神が小浜を取って、負けた建御名方が諏訪を取る(国とする)んですね。
コレがまぁ、相撲っぽいモノをとった最初の出来事・・・ってコトになってます。

んで、時代下って。第8代垂仁天皇の頃、野見宿祢之命って人と、当麻蹴速之命って人が相撲を取る(天皇の御前でとったらしい)。で、コレが相撲の始祖って言われてる人達なのだが、そこから、平安時代に御前相撲ってのが出来て『相撲節会』って言う儀式が行われるようになり、それが、今度は、武士の時代になったら、諸大名が、強豪や人気力士を士分に取り立てて、扶持米(ふちまい。今で言う給料だな)を与えられ、藩の名誉をかけた相撲勝負になって行って、と同時に、興行なども打たれ、庶民の娯楽となる・・・てのが大まかな概要。
で、現在は、八百長発覚で大変って言う(^_^;)(オイ!)。
余談だケド。今の関取さんって、こういう相撲の歴史ってちゃんと教えてもらってるんでしょうかね?彼ら、「神儀をやっている」と言う感覚がなくなっているから、八百長が生まれたりするのかなぁ〜って思ったりもするんだケド。相撲って、やはりちょっと特殊でね。純粋なスポーツじゃないんだよ。どうしたって、神儀の部分があるのでね。

『勧進大相撲 玉垣・立神』 菱川柳谷。玉垣と立神はお相撲さんの名前。2人が取り組みしてる絵なんだケド。お客さん客席にびっちり。2階席もあるケド、何か、危なっかしい梯子があるだけで、コレで上り下りしてたのね。何だったら、2階の梁っぽいところで見てる人とかいるよ?危ないよ・・・。

『勧進大相撲土俵入之図』 歌川国芳。わっほぅ、国芳!お相撲さんより、周りの観客の描き方が表情豊かで面白い。笑ってたり、酒飲んでベロンベロンだったり。力士は大きく描かれるのね。

『行司式守伊之助・稲川政之助・立神雲右衛門』 歌川国貞。コレ、行司の名前が入ってるのが面白くて。因みに。この頃の行司さんは、紋付袴で2本ざし(武士の恰好)で、行司をしてます。行司さんが今のような烏帽子、直垂姿になるのは、明治43年からだそうな。意外と最近だったのね・・・。行司さんが、歌舞伎役者のように見得を切っているのですよ。この辺り、国貞だな・・って思ったりね。

『年寄秀ノ山・不知火諸右衛門・小柳常吉・行司木村岸之助』 歌川国貞。コレ、3枚続きの版画なのだが、何か合ってないんだよなぁ〜。凄くズレてるの・・・。初刷り・後刷りの問題なのだろうか?んで、何が吃驚って、この頃の勝負審判って、土俵の上にいるのね!今って下にいるでしょ?危ねえよな・・・土俵の上じゃ・・・って思ったらサ、審判が土俵から下りるのは、昭和5年のコトなんだって。つい最近まで、勝負審判って、土俵の上にいたのね!

『鬼面山と小野川』 歌川国貞。鬼面山と小野川は力士の名前です。小野川が「ふふん!」って言うドヤ顔してるんだな。自信のある勝負なんでしょうかね?

『三ヶ関・戸田川』 歌川春英。三ヶ関と戸田川が取り組みをしてる絵なのだが。この2人、実際は取り組みしてないんだそうです。想像上の絵なんだね。描いた春英もこの頃はもう、死んじゃってるそうな。どうやら版木を使いまわした結果、こうなったらしい。

次の2枚は更にちょっと妙。『源氏山・四ツ賀峯』と『黒岩・和田ノ浦』。源氏山〜の方が、絵師が歌川国貞で、黒岩〜の方が、絵師が2代歌川豊国なのだが、ポージングが全く一緒なのだ(顔は違う)。どうやら、頭部のみ版木を差し替えて摺られたモノらしい。大量生産だったから、こういうコトもしたのかなぁ。

相撲には『横綱』って言う地位があるケド、横綱が地位になったのは昭和26年からだって。最近なのですね。横綱って、何代って代数ありますよね。アレは『大関鏡』って言うモノからで、神話時代や伝承上の力士なども加わっているそうです。実際は1789年に谷風がと小野川に横綱免許が与えられたのが初ってコトらしい。でも、代数は、神話時代含むなんだよね。

『不知火諸右衛門横綱土俵入ノ図』 歌川国貞。勇壮に四股を踏んでる不知火関。でも顔はちょっとユーモラスかな?おへそが『大』の字みたいで、ちょっと可愛い。

『秀ノ山雷五郎横綱土俵入之図』 歌川国貞。秀ノ山関はベビーフェイスだったんでしょうか?ちょっと可愛いぞ。

んで、土俵入りには『雲龍型』と『不知火型』ってのがあるのですが、それは、10代雲龍久吉と、11代不知火光右衛門の土俵入りが素晴らしいモノだったので、この型の名前が残ったのだそうです。んで、その本人『不知火光右衛門』の絵と、『雲龍久吉横綱土俵入之図』がありました(どちらも、2代歌川国貞の作品)。不知火さんは流し目のイケメンだと思います。

『大日本大相撲勇力関取鏡』 落合芳幾。あら、芳幾さんじゃござんせんか!所謂、力士勢ぞろいの図なのですが、相撲の始祖、野見宿祢之命と当麻蹴速之命がにらみ合っていたり、神代時代のお相撲さんもいる。頼朝の前で勝負したって言われてる河津三郎と俣野五郎が組み合ってたりもしています。当麻蹴速之命と野見宿祢之命が、ちょっと神様っぽい恰好をしてるのが面白い(いや、当たり前かもなのだが、裸ではないんだね・・みたいな)。

『東共同稽古場之図』 菱川春宣。コレ、タイトルのままの絵です。稽古場の様子が描かれている。相撲の稽古だけではなく、お風呂入ってる様子まで描かれてるのが面白い。お付きの人、4人くらいで、お風呂はいるのねぇ(勿論、大関クラスだと思うよ)。

ここから、藩お抱えの力士の謂わばブロマイドみたいなモノがズラ〜っと展示されていました。仙台藩、紀州藩、久留米藩などなどなど。

『猪王山森右衛門』。2本ざし(士分を与えられるから、身分は武士になるんでしょうね。だから2本ざしなんだな)のお侍姿の絵と、まわし姿の絵。立派な姿なんだケド。
なんでも、この方、元は仙台藩お抱えの力士だったのだが、その後、ウグイスと交換されて、鳥取藩へ来たそうな。
ウグイスとトレード・・・(^_^;)。いや、知ってるよ。当時(今もでしょうが)、ウグイスは凄く珍重されてて、高価な鳥だったよ。泣き声競わせたりサ。知ってるよ、知ってるケドさ・・・。「俺・・・鳥とトレードかよ・・・・」とは思わなかったのかな?って思って・・・。 

『響灘立吉』 歌川国貞。手を上げて「ハーイ!」ってやってるみたいでちょっと可愛い。

こんな感じでございました。

お土産はポストカード3枚。ドヤ顔の小野川が欲しかったのだがなかった。

こうやって相撲絵を纏めて見たコトなかったので、面白かったです。
8月28日までやってます。
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