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2011年08月06日01:46

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7/23 ジョンジョン祭り@琴似AMICA

fudgeからは日付が変わってからの帰宅でしたが、仕事の続きがあるのでゆっくり休んでもいられません。4月からアミカの徒歩圏内に住むこととなったS氏と電話で合流方法など最小限の打合せをした後、早々に出発しました。

経験則上は夕方までには片付く筈の分量ですが、延々と続く作業に出口が見えない思いもよぎります。休日の無人のオフィスでは気がつくとぼんやりする時間が長くなってしまったりして気を引き締めなければなりません。昼食は途中で買ってきたパンを牛乳で流し込みました。

結果的には見込みどおりに終わらせることができ、別室にやはり午前中から出勤していた相手に無事引き継ぐことができました。地下鉄で急ぐ必要はなく、自転車で琴似まで行っても間に合う時間です。S氏に今から職場を出る旨メールしました。

S氏宅にて合流し、少し休憩してから徒歩のS氏に合わせてゆっくり自転車を押し、買い物などに寄り道しつつ向かったのですが、開場の30分くらい前にはアミカに到着してしまいました。何度か訪れて様子はわかっており、開場前でもカフェスペースの部分で待たせてもらうことはできると思われたので入店しました。

カウンターにはあらさんの御主人がいらっしゃいました。最初座ろうとした席のテーブルに、のやでのあらさんとラウルプーのライブのフライヤーが貼り出し作業中で置いてあったので、S氏と「あらさんのが置いてあるから別の席に…」と呟きながら移動すると、あらさんの御主人がぴくっと反応されたような気もしました。

奥のライブスペースから板壁を通してリハの音が聞こえてきます。このフィドルは操さんかじょんさんか…おそらく操さん、などと聴き入っているうち、何だかカンテレの音も聞こえたような気がしましたが気のせいでしょうか。ダルシマーの聴き違いか…と思っていたところ、奥から扉を開けてあらさんが現れ、我々にも会釈をしてくださって去っていきました。この後のライブでは御主人だけが観覧しておられ、あらさんは戻りませんでしたから、差し支えの中JJFの皆さんに御挨拶だけでもするためにいらしていたのでしょうか。ひょっとすると、先ほどのは聴き違いではなく、御挨拶がわりにちょっと奏でたりされたのかなとも思いました。

そうこうするうち、tricolorの時に続き、またしてもかき入れ時のジャックを閉めてまでの高倉さんが現れ、カウンターであらさんの御主人とお話しながら開場を待っていました。徐々に役者が揃ってきます。

開場前に待たせていただくので何か注文しようと思いましたが、我々二人とも夕食を済ませておらず、しかも今日の御出演は「祭り」にて3組。終演も遅くなることが予想されます。腹ごしらえをしたくなるところ、メニューの和定食が目を惹きます。
今から頼んでいたのでは開場に間に合わないおそれもありますが、席取りを済ませてから残りを食べればよいかということで思い切って注文してしまいました。

席取り用のチラシを確保するのにS氏がロビーに出た頃には東京からの客人お二人も姿を見せました。カフェスペースに入ってよいのかどうかと、どこが会場になるのかに戸惑われたようですが、S氏がドレクスキップの時の経験を活かし、この壁の向こうが会場になるのです自分も最初は驚きました旨お二人に説明してくれました。客人たちはライブスペースへの入口付近で待機します。

分量がそんなに多くないこともあり、どうやら開場前には食べ終えることができ、東京からの客人お二人に続いて入場しました。お若い方の方が、先に来ていたのだからと我々に先頭を譲ってくれようとしました。いい人です。

客人たちに次ぐ良席と思われる位置に席を取りました。御出演の方々とは適度な距離があり、この日はS氏も恥じらうことなく隣に座ります。
開演まで私や客人たちは専らライブスペースで中村さんや小松崎御夫妻と一緒にいたのですが、S氏はカフェスペースかテラスでじょんさんから富良野での宿泊は野良窯の畳で寝袋にくるまった旨のお話を聞く機会があったそうです。

この日はこれまでの会場と比べて友人知己御親族御学友こそ少なめと思われたものの、地元勢2組との共演ということもあり、御関係の方々の御来場が多数。高倉さんはtricolorの時の経験を踏まえ敢えて奥の方へ。すがさんはいつもの写生位置。ちえさんやみかさんらの御来場は想定内ですが、開演近くには吉田御夫妻らもお見えになっていました。

さて、トップバッターはビロビジャン。ベテランのお二人ですけれどもユニット結成は比較的最近なだけに、まだまだ伸びしろと言っては失礼でしょうか、変幻の余地充分です。今回もトシさん御参加曲がぴたりとはまっていました。ただ、変幻しすぎてひと組目から時間が押してしまったようでした。

続いてRINKA。それまで星さんが就いていたPA卓には替わって中村さんが就いたことをS氏がささやきました「霧の街」、「移民の夢」、RINKAはいつもの如くおのれのペースを乱しませんが、操さんの「トシさんとサシで飲んだ」、「RINKAにしては気持ち激し目の曲」などの御発言が印象に残りました。

そしていよいよツアーの最後を飾るJJF。じょんさんが操さんの御発言を受けて「JJFにしては気持ち激し目の曲」などとおっしゃってJJF Setほかからスタート。かつてはこういう入り方のライブも多かったように思いますが、このツアーでは私には初めてだったのではないでしょうか。セットの中でオオフジツボのレパートリーと同じチューンを使っていて、昨秋のチョロンで終演後にあらさんもそのことをおっしゃっていたのを思い出します。おられない筈の田嶋さんのパーカッションまでが聞こえてきそうな錯覚に陥りました。

相変わらずじょんさんが楽しそうなことこの上ない表情で弾きまくり、山崎さんもこの日は途中で加わってからは出ずっぱり。初日の帯広百年記念館で、新曲か、おお!となってから機会がなかった「鳥の一生」も1週間ぶりに聴けたのではなかったかと思います。「古い映画の話」ではじょんさんの歌声も復調。時間の関係か「ふたりのことば」はこの日はありませんでした。

前夜の密談のとおり、休憩の間には東京からの客人二人が「今日annieさんのお誕生日なんで、アンコールの時お願いします」とクラッカーを配ります。
感動の場面は本来想定されていた段取りとどれくらい違っていたのか、ドアが開いてから香聡庵のケーキが中村さんのところに到着するまで微妙な間があり、クラッカーはじょんさんが「皆さん用意はいいですか。」とやってくれたのでタイミングが揃いましたが、後は空気を読んだ中村さんが自ら率先して「ハッピーバースデイぼくー」と歌ってくださる展開となりました。

時間が押してしまったため、アンコールは予定より1曲割愛されてしまったようですが、お腹が減ってきて何か食べよう旨の独自の歌詞をつけたポルカ。実はリハの時に既に聞こえてしまっていました。1月にショーキーさんがいらした阿佐ヶ谷で、JJF+tricolorに田嶋さんというか、JJF+大渕さん抜きのmipに中藤さんというかのメンバーでも聴いた時の記憶が甦りました。

山崎さん感動の御挨拶が長めだったりして(その分お気持ちは十分伝わりました。)、お祝いの段取りやアンコール曲の割愛にもかかわらず更に時間が押し、贅沢な時間を過ごさせていただいた後は迫り来るリミットの中ですぐに撤収作業を急ぐことになりました。最初は場内の椅子を積み上げるのをお手伝いしていた程度だったのですが、そのうちS氏や東京からの客人とともに重い機材を持ってエレベーターを2往復したり、車への積み込みを手伝ったり、番をしたり。作業を通じ御出演の方々や客人たちと心が通じ合った気がしました。

終演後は近所のつぼ八琴似店での打ち上げにも参加させていただきました。S氏も札幌では初めて参加。以前は紀伊國屋書店琴似店が入っていたビルで、書架が並んでいた階だったのではなかったでしょうか。地下には玉光堂も所在していたことがありました。
御参加の方が多く、近隣の席の方以外はあまりお話できませんでしたが、東京からの客人らと交流することができました。

最後は紀伊國屋ビル前の路上でのお別れとなりました。トシさんとは月曜のワークショップでお会いできるでしょうが、山崎さん、中村さん、じょんさんとは次の機会はいつになるか。これまでお車の発進までお見送りすることが多かったので、ちょっと心残りとなりました。

S氏と別れた後、琴似からだと自転車では少し時間がかかり、帰宅するとこの日も日付が変わっていたと思います。日曜日の帯広から始まった日々が今年もこうして終わったのでした。

この日の山崎さんらと前後しての御挨拶でだったと思うのですが、中村さんが幕別百年記念ホールの試みを念頭に、これまで故郷では旧友知己に多数集まってもらった中テンションを上げて演るというのを繰り返してきたけれども、そういう同窓会的なものばかりではなく、自分のことは知らなくてもこういう音楽が好きだということで来てくれるような北海道の人達に届けることをも今後も考えたい旨おっしゃっていました。そういうものも見守っていくことができればと思います(同窓会的なものも温かくて好きなのですけれども。詳細はお聞きしていませんが、某店の対応も相まってのことなのでしょうか。坂上さんが結婚式の2次会を入れられて演奏をキャンセルされた経験をお書きになっていたのを想起するような。)。

そして翌日の日曜日はJackにて高倉健、月曜日はちえりあにてバウロンのワークショップです。
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