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2011年02月27日05:26

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しゅみのお話。

ロースクールの課程を修了した,社会人司法試験受験生である私。
本当は仕事以外には勉強三昧の日々を過ごしていなければならないはずなのだけれど,それでもテレビの深夜アニメを録画して視聴したり,オンラインでまんがを読んだりもしている。
(そんなことをしているから司法試験に受からない。)

オンラインでまんがを読むサイトに会員登録しているので,その会員向けメールマガジンが配信されてくる。
いつもはそんなメルマガはろくに読みもせずに放っておくのだけれど,たまたま目についてしまって,面白そうだと感じてしまって,オンラインで読んでみてしまって,気に入ってしまって,ついに単行本まで買ってしまった作品がひとつ。
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http://mixi.jp/search_review.pl?submit=result&type=rev&keyword=%B9%E2%BF%F9%A4%B5%A4%F3%B2%C8%A4%CE%A4%AA%A4%D9%A4%F3%A4%C8%A4%A6&category_id=0&sort=&x=18&y=13
柳原望「高杉さん家(ち)のおべんとう」メディアファクトリー刊

冷めているから、あたたかい―ダメ30男・温巳の下にやってきた12歳美少女・久留里との心の交流を描くおべんとうコメディ。
(電子書籍レンタルサービス「電子貸本Renta!」の紹介文より引用 http://renta.papy.co.jp/renta/sc/frm/item/6534/

このまんが,そのうちテレビで実写ドラマ化されるんじゃないかな。
(アニメ化というのはちょっと考えづらいような気がする)
でも,久留里ちゃんを演じることができるような,雰囲気と実力を兼ね備えた美少女俳優って,今の日本にいるだろうか。
いや,その前に,このまんがの雰囲気をきちんと表現できるようなドラマ脚本家・演出家が今の日本にいるとも思えない。
(実写ドラマ化すると,ものすごく安易なラブコメにされてしまいそうな気がする(^^;)
となると,実写ドラマ化しても成功は難しいかもしれないなぁ。
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今回,ちょっと考えさせられたのは,この作品の本筋についてではなくて。

第11話で,登場人物が博士号取得のために大学に学位申請論文を提出して論文審査会に臨む場面がある。
その論文審査会で,審査担当者の1人である副査がこんな指摘をするのだ。
「でもさ それって趣味の延長でしょ」
「趣味を調べて学問としての意味はあるの?」
(柳原望「高杉さん家のおべんとう(第2巻)」86〜87頁)
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ここでいったん,「高杉さん家のおべんとう」を離れて。

私の場合,裁判所書記官などという,法律を道具とする仕事に従事していながら,さらにロースクールに通って,司法試験を目指したりしている。
たまに,職場の同僚から
「書記官になるために法律の勉強をして,日々の仕事でも法律について考えているというのに,さらに仕事がひけてからも法律の勉強をするなんて,ほとんど『法律の勉強が趣味です』って言ってもいいんじゃない?」
と言われたりもする。

たしかに,(不真面目にではあるけれど)仕事がひけてからも法律学の勉強をしているのは,根本のところでは法律学が好きだから。
だとすれば,「法律の勉強が趣味」というのは,一面ではあたっているのかもしれない。
勉強が趣味,趣味としての勉強,というわけだ(^^;。
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ここで,「高杉さん家のおべんとう」に戻る。

趣味としての勉強では博士論文としては不十分だとすれば,その学問研究には趣味以上の意義がなければならないことになろう。
では,その研究が有すべき「学問としての意味」って,何だろう?
私が趣味で行っている勉強が学問の名に値しないのは当然としても(これは単なる受験勉強に過ぎない),どんな意義があれば趣味の延長ではない学問研究と言えるのだろうか。

民間企業での研究であれば,答えはある程度単純化できる。
たとえば。
昨日(2011年2月26日)の朝日新聞朝刊に,協和発酵キリンの社長に関する記事が出ていた。
協和発酵が糖尿病に関する薬の開発から撤退した際に,糖尿病をテーマとする研究員を説得して研究テーマを変えさせたのだそうな。
その際,納得できず,会社を去った研究員もいたという。
このように,民間企業が行う研究が有すべき「学問としての意味」とは,当該企業にとって有用であること,といって差し支えなかろう。

では,大学や公的研究所での研究が有すべき「学問としての意味」とは,何だろう。
現実社会の役に立つ,ということだろうか。

法律学でも,民法や商法についての解釈研究は,たしかに現実社会で起っている問題の解決に役立つものといえる。
しかし,法哲学・法社会学・法史学といった学問は,現代社会の諸問題に対して直接の解決策を示すものではない。
かといって,法哲学等の研究が学問としての意味を有しないとは思えない。
同様のことは,基礎研究と呼ばれる分野の研究に共通している。
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だから。
(一足飛びに結論に飛びつくのは危険だけど(^^;。)
学問が趣味,でもいいと思うのだ。
趣味の延長の研究でも,いいと思うのだ。

ただ,それが「博士論文」としての資格を有するには,単なる趣味の延長を超えた何かを備えていなければならない,ということなのかな,と。
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「高杉さん家のおべんとう」は「おべんとうコメディ」だけれど,地理学に関する話題も登場する。

小・中・高では,「地理」という科目は社会科の一分野に位置づけられている。
しかし,地理学は実は社会科学・人文科学・自然科学の各側面を併有しているという。
このまんがでは実はそのあたりのことも分かって,案外面白かった。


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