何故だろう、一つ途切れている部分がある。私はその間、何か話したのか、それとも再び眠ってしまったのか、、、。知った方がよいのか、知らなくてもよいのか。
言葉に置き換えられず、ずっと心の中にとどまっていた記憶が言語化されてさらに鮮明になってくる。昔誰も救えなかった自分さえも置き去りにしてきた心の部分が存在感を現し始めた。私の心今どんな状態なのか、自分では多分気付いていなかった心の存在、、、
本日任命式にてマスクが配布される。ジップロックを持参するようにとのこと。すべてがやっとでまわっているように思う。志村さんの死、0才児の心肺停止、初めて自分の身の危険、職場の子供たちの、我が子の身の危険を肌で感じる。
幼い頃の記憶、強烈に刻まれた目。そして音、闇、言葉。これらがすべてを阻んできた。これらはもー消え去る日がないことを知る。これらとともに生きるすべを学ぶよりほかはない。
パンデミック、なぜ武漢以外にとびひしたときに危機を発信できなかったんだろう。見えないものに対して人はあまり考えることができないように思う。ウイルスだったり、人の心だったり。
忘れていた記憶までもよみがえる。それも繰り返し繰り返し。こんな私にいつも関わろうとして失敗する先生たち。そしていつもまたか、、、と思う。