さてさて、連日ですが、続けます。前記事(7)より。前回は主題歌の歌手の視点でした。今回はまた違った視点で。何かというと、、「カレーライス」です。は?とお思いの方も多いでしょうが、このサンバルカン、本編でカレーライスの話が何度も出てきます。具
さてさて、早いものでもうお彼岸ですね。パラリンピックも盛り上がっている最中に何ですが、、前記事(6)から続けます。今回は少し違った視点で考えてみます。何かと言うと、サンバルカンの主題歌を歌った方の視点、です。最初の記事(1)で紹介しましたね
前記事(5)から続けます。前記事の最後で、一つ質問をしました。考えてみました?まぁ、お付き合いいただける奇特な方は希少でしょうがこんな妄想記事に、大真面目にで。大真面目に考えてみましょう。一応、、学校では日教組が幅を利かせていたその
前記事(4)からまだまだ続きます。さてさて、ここで一旦、話をまとめてみますか前回(4)までに挙げたことをサンバルカンが放映された1981年当時の状況。・東西冷戦末期。まだ当時は先が見えなかった・日米の関係もギクシャクしていた・国内情勢から日本の
前記事(3)から続けます。さて、オリンピックが終わり、次はパラリンピックですね日本中が五輪で熱狂している最中に、このネタ続けるのも何でしたので、あえてこの1週間黙ってましたが、、そろそろ再開します。前記事で日教組の話をしました。急にそんな方
一日開きましたが、前の記事(2)から続けます。サンバルカンの放映時期と重なる、(2)で挙げた3つの他に、もう一つ重要な要因が挙げられます。それは「日教組」(正式名称は日本教職員組合)です。公立学校の先生たちの全国組織の労働組合ですね今でも時
さてさて、昨晩の(1)から続けます。今回は(より一層?)真面目モードでサンバルカンが放映されたのは1981〜82年この当時、国際・国内の情勢はどうだったか今日はそういう視点で考えてみようかなと当時はまだ東西冷戦下でしたベルリンの壁が崩壊したのが19
こんばんは〜昨夜は失礼いたしましたまぁちょっとその前に色々あったもので。。おかげさまで、何かスッキリできたのか、祝日ですが今日は仕事がはかどりまして溜まってた一大タスクが一気に終わりました何か清々しい気分で