私が13歳のときに亡くなった母方の祖母の遺産(母が3歳のときに亡くなっているので、私に相続権がある)は、私が20歳になった頃にはすべて使い果たされていたようです。私が20歳になった頃から、父方の祖母にお金を渡す毎日が始まりました。多いときで、1度
忌中の人間にあけましておめでとうと言える人に非常識と言われるとは思わなかった。非常識な人ほど、人のことを非常識と言うし、ろくでもない人間ほど人のことをろくでもない人間と言う。死ぬぐらいなら、6日間ぐらい働いてみるか。死ぬよりはそっちのほうが
子どものころ、学校に行くのが嫌で、学校にいくぐらいなら自殺しようと思っていた。そこまで思っているにも関わらず、無理して学校に行くことに何の意味があったんだろう。毎日が絶望的に辛くて、それでも勉強だけしていれば、きっと未来は開けると無理矢理信
辛いことがあったとき、私は大声で「馬鹿にしないでください」と主張する。それを知った常識的でまともで健全で健康な人たちは、私を非常識でまともではなく病気の人間だと軽蔑し罵る。それが私にはとても悲しいことに思える。辛くて苦しいから、大声で「馬鹿
明日仕事なのに、眠れない。少しは眠れた。足の状態がどんどん悪くなっている。こんな状態で明日から6日間も働けるわけがない。体調は、年々悪くなるばかり。いや、加齢のせいか体力がなくなっているのかな。愛情が欲しかった。
知人に親の多大な愛情と親から与えられる多大なお金を元にした教育環境に恵まれ、何不自由のない生活を送っている人間がいる。その人は、私のことをろくでもない人間に育てられたろくでもない人間と罵倒した。底辺だと罵った。何も失うものがない人間はいいよ
辛いことがあって、怒鳴った。おまえはおかしい。非常識だと言われた。おまえはおかしい。非常識だ。と言える人間が常識的な人間だというのなら、私は、常識的な人間にはなりたくない。
桶川の事件の山辺仁美被告は、境遇が私に似ていた。彼女の境遇をYahoo!ニュースのコメント欄で紹介したら、ろくでもない人間の親はろくでもない人間と返信があった。悲しかった。私も…私は子どもなんて産んでない。私は自分に子育てがもっと言えば出産ができ