真宗読書会さんの音声をききながら書いている自分がどれほどのものであるか変化とは生活によって育まれるということ寝転んでいるだけではダメだ。
息が浅い可能性だけでできること生活の場ストリートをみつけていくことそれは今のメインはネットなわけだB就労いかなきゃなデイケア出直さなきゃなと思っている人混みにまぎれていくこと自分からコミットメントしていくことだ。
いかなる不幸にもできるかぎり首をつっこんでいかなくちゃいけないという隠れた思い込み。ひとりで背負い切れることはないとしっていても自分から不幸をめざさないといけないということで安心する時期もあったそういうこと
さんまちゃんの抜粋映像をみていたトークスキルをみがきたいとも思う。とりあえずは、自分ができることをしたいみになることをしたいその手前でウロウロしているのかもしれないがウロウロするのもひとつの方法だむずかしい。
もうソトのものを自分のものとしてインプットするだけでは飽き足らない。自分にかけることはなにかと考えると同時にどんなに動機がなくてもかけるようにしたいとうことそれだ。今はなにもかけない。それは同時におれの世界観も大したこと、内容にまでいたって