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開催終了 圭子さんの誕生日に 大谷翔平も7/5

詳細

2025年07月03日 08:09 更新

藤三郎さんと連絡とれました 元気だそうです
五名程度で募集します



お兄さんの浅草の店で 暑気払いをしましょう

14時 浅草 雷門 集合

参考 石坂まさをさんのご著書 です
「空海」
弘法大师
空と海とが 飛び込んできて
人の心を抱きしめる
目には見えない 仏の姿
説いて行く道 日々はるか
八十八ヶ所巡りには
同行二人の鈴がなる
どうぎょう
巡礼に御報謝
(チーン)
色は四十七 ひらがな文化
子供心に詠んだ人
人はどうして 生きているのか
何を求めて 生きるのか
八十八ヶ所巡りには 喜怒哀楽が潜んでる
巡礼に御報謝
(チーン)
高野山から 津々浦々に
里をめぐって 修業旅
夢はいずこか 幸せの風
吹いて命が光る世に
八十八ヶ所巡りには 諸行無情の鐘が鳴る
巡礼に御報謝
(チーン)

空海
(弘法大師)
こんごうづえ
巡礼は
金剛杖に
夢かけて
Nvらく
一番札所は
霊山寺、
りょうぜんじ
こんせん
だいにちじ
じぞう
じゅうらくじ
あんらく
極楽、
大日寺
くまだに
金泉、
ほうりん
切幡寺
きりはたじ
ふじいでら
地蔵、
安楽、
十楽寺、
熊谷、
法輪、
こくぶん
しょうさんじ
だいにち
じょうらく
藤井寺、
烧山寺、
大日、
常楽、
かんのん
おんざんじ
観音、井戸寺に恩山寺
、国分、
たつえじ
かくりん
バスに揺られて
立江寺、
鶴林、
平等寺
びょうどうじ
たいりゅう
こんごうちょう
ほつみさき
しんしょうじ
薬王寺に最御崎、津照寺に金剛頂
やくおうじ
太龙、
こうのみね
ぜんらく
だいにちじ
こくぶん
ちくりん
神峯、
大日寺、
国分、
善楽、竹林
ぜんじぶ
せっけい
禅师峰、
雪渓、
種間寺、
清瀧寺に青龍寺
しょうりゅうじ
たねまじ
きよたきじ
えんこうじ
夕焼け小焼けの岩本寺、
金剛福寺に延光寺、
旅は道連れ観自在
かんじざい
いわもとじ
こんごうふくじ
りゅうこう
ぶつもく
めいせきじ
たいほう
いわやじ
じょうるり
龍光、仏木、明石寺、大宝、岩屋寺、浄瑠璃
やさかじ
八坂寺、
西林、浄土寺、
繁多寺、
石手寺、
さいりん
じょうどじ
はんたじ
いしてじ
太山寺
たいさんじ
えんみょうじ
えんふくじ
せんゆうじ
円明寺、
延命寺、
南光坊、
なんこうぼう
たいさんじ
泰山寺、
栄福寺、
仙游寺
えんめいじ
こくぶん
よこみね
ほうじゅじ
国分、横峰、
香園、
こうおん
、宝寿寺、
吉祥寺
きちじょうじ
だいこうじ
じんねんいん
まだまだ続くよ
前神寺、
云边、
うんぺん
三角、
大興寺、
神恵院に観音寺
かんおんじ
まえがみじ
もとやま
いやだに
しゅっしゃか
こうやま
ぜんつう
こんぞう
どうりゅうじ
本山、
弥谷、
曼荼羅寺、
出釈迦、#
甲山、善通、
金倉、
道隆寺
ごうしょう
てんのう
こくぶん
しろみね
ねごろじ
御照、
天皇、
国分、
白峯、
根香寺、
一宮寺に
いちのみやじ
やしまじ
志度寺、
ながおじ
屋島寺、
八栗寺、
大窪寺
おおくぼじ
長尾寺、
巡礼に御報謝

これは、私が若かりし頃つくった『八十八ヵ所お遍路巡り』とい
へんろ
う歌の歌詞であるが、このなかに出てくる善通寺に生まれた空海は、
「いろはにほへとちりぬるをわか」という歌を子どものときにつく
り、神童と呼ばれた。後に、「いろはかるた」などでひらがな文化
として、日本文化の基調を形づくった。
空海の叔父は、神童を香川県に置いておくのは忍びないと、京の
部に連れて行き、学校に入れる。そこを主席で卒業した空海
所勤めに入るが、その後、遣唐使として中国へ渡る。
ただし、遣唐使が乗った四艘中、二艘は沈没し、空海の乗った船
は漂流して、今日のベトナム近くにたどり着いたという。彼はそこ
だいしょうにん
から何千キロも歩いて、長安をめざし、恵可大上人に会い、修業
るのだが、そこの三千人の弟子を抜いて、心の免許皆伝書をた
一人もらったのである。こうして密教の修業をした空海は、後に写
まんだら
本や曼荼羅の教えを日本へ持ち帰るのだ。
中国での修業は、三年を要したという。それは実に過酷、痛烈そ
のものであった。空海は帰国後、八一六年に高野山を与えられ金剛
峯寺の建立を開始。東大寺に真言院を、さらに京都の東寺を下賜さ
れて、真言宗の堅固な足場を固めた。こうしたなかで自分が修業し
た寺八十八ヵ所を「霊場八十八ヵ所」として残した功績は大きい。
普通の僧侶は、寺にこもり修業をするが、空海は外に出て、自分の
足を使い、歩いて心を求めたようだ。
「歩く」ということは、やがて無になり、「自分が何者か、何の
ために生きているか」を教えてくれるというのである。思えば、す

空海

でに千二百年たった今でも、空海は、なおも心を求めて歩いている
ようだ。
空海は、別名弘法大師と言われているが、歩くことで法を広めた
ので、弘法大師という名称をもらった。
空海という名は、海の見える場所で修業をしていた折、海に飛び
込むことで自分の宿命を知ろうとして、崖の上から海に向って飛び
込んだ。と、そのとき、目の中に空と海とが入ってきたのである。
命の助かった空海は、そのことを肝に命じ名前にしたのだ。
「弘法も筆の誤り」という言葉があるが、どんなに偉くなっても
誤りは素直に認めて直したという空海の潔さ、空海ほど素直な人間
はいなかったのである。
その素直さで、空海は語学の勉強をして、当時としては珍しく、
日本語、中国語、インド語、チベット語、朝鮮語をマスターしてい
た天才である。
空海が弘法大師なら、仏教の祖、天台宗を開祖した最澄は伝教大
師として名を残した。「一隅を照らすこれすなわち国宝なり」と、
彼は人々を勇気づける言葉を与えてくれたが、最澄と空海の違いは、
澄はエリートで天皇家に仕え、空海ほど大衆とコミュニケ
ンをとらなかった。エリートではない空海は、自分を大衆のなかに
置き、これでもかこれでもかと修行した。
四国八十八ヵ所の寺をまわり、自分が何者かを問いかけたことを
思い出し、普通の仏の道を求める者として、お経を上げ、歩いて歩
いて道を求めたのだ。

たくはつ
それは、寺坊主の世界に托鉢という形で今も残っている。
空海は歩くことが無になることだと悟り、時間の許す限り、村々
を、町から町を、ただ黙々と歩き続けたのである。「諸行無常」と
いう言葉があるが、これも空海が、そうしたなかで体にひらめいた
言葉であると今に残っている。
彼は、諸行無常のなかを歩き続け、今日でも仏の道を求めている
のである。というのも、空海は八三五年に死んだが、死んでも心は
残ると言い、命の灯が消えるとき、「私は今、極楽浄土に入定する」
にゅうじょう
と言って旅立ったのである。
空海の教えのなかに同行二人というものがあり、お遍路さんが
どうぎょう
そば
八十八ヵ所霊場をまわるとき、いつでもあなたの傍で歩いているの
が私だと、小さな鈴を鳴らすことで、空海を心のなかに呼べること
こんごうじょう
にした。お遍路さんは、金剛杖をついているが、これは読んで字の
ごとく、金の硬い杖である。その杖には空海が乗り移り、修行者が
れてもうだめだと弱音を吐かないように、いつも励ましてく
いるのだ。
空海の超人的な才能の一つは、集中力で、これは中国時代、恵可
大上人につき、夜も昼も休みなく修行した結果だとわかる。そこで
悟ったものは、「無」への憧れ、希望であった。「無」の世界こそ、
有の世界へ飛び立つ跳躍台なのだ。
人間が飛び上がる前には、しゃがまなくてはいけない。それを教
えてくれたのも空海である。そんな空海が同行二人として、いつも
私たちの胸のなかに住んでいる。

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