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開催終了聖書講座2 ユダヤ教の根幹(アブラハム契約とシナイ契約)

詳細

2008年04月13日 01:42 更新

上村静 聖書講座・第2回が来週に迫って参りました。告知致します。

さる第一回は、現役牧師、神学生、聖書研究者の方、聖書業界の方wなどなど、
多方面からご参加頂き、盛況のうちに終了致しました。
超のつく保守派にも、リベラル派最左翼にも
「また参加します」
と言わしめる上村講座。今度のテーマはモーセ五書。ユダヤ教の根幹(アブラハム契約とシナイ契約)です。
中野桃園教会で、君と握手!!

前回の講義より
「創世記2:17で、神は 「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」と言うが、創世記3:4では、蛇が、それを食べたからと言って「あなたがたは決して死にません。」と言う。

この「必ず死ぬ」という箇所は、ヘブライ語原文では<その日のうちに死ぬ>と書かれている。しかし、アダムは930年年生きたとある。ここをどう捉えるか。蛇の言ったことの方が正しいのか?それとも神が嘘をついたのか?

蛇は生物学的意味で「死なない」と言ったかもしれないが、神は、神と人、人と人との間に信頼関係がなくなってしまった状態を「死んだも同然」とみなしたのではないか。
そうした「関係性の中で生かされてある<いのち>」を失うことを、死ぬ、と神は言っているのではないか」

■受講料はお一人様500円+愛

■聖書ご持参ください。旧新約両方ある方がいいです。会場でも借りられます。

■受講申し込みは不要です。当日、直接会場までお越し下さい。
こちらに参加希望と書かれるか、私に直接メッセ頂けますと、座席をどの位用意すればいいか見当がつくので嬉しいです(前回は予定の3倍近くお越しいただいたので、資料作成に手間取りましたので)

■中野桃園教会へのアクセス:中野駅北口からサンロード商店街を抜け、早稲田通りを右に約500m進み、中野リサイクルセンターの角を右折、約50m直進した左手。

++++++
聖書講座
宗教の倒錯〜「歴史」を問う〜

【講義スケジュール】全10回
第1回 原初史に見る人間と神 ── 2008年3月15日
第2回 ユダヤ教の根幹(アブラハム契約とシナイ契約)── 4月19日
第3回 王と預言者 ── 5月17日
第4回 バビロン捕囚とユダヤ教の成立 ── 6月21日
第5回 ヘレニズムとユダイズムの邂逅 ── 7月19日
第6回 セクト運動の展開とローマ支配 ── 10月18日
第7回 イエスの活動と思想 ── 11月15日
第8回 キリスト神話の成立 ── 12月20日
第9回 教会内の多様な立場 ── 2009年1月17日 
第10回 キリスト教のユダヤ教からの分離 ── 2月21日

【講義の概要】
 宗教は人を幸せにするためにあると言える。宗教は、様々な困難を抱える人を支え、力づけることができるし、何よりも人間について、〈いのち〉について深い洞察を有している。しかしながら、同時にまた、宗教の名のもとに多くの争いが生じている。宗教戦争は歴史年表を埋め尽くしているし、今日なお宗教間対立は払拭されたとは言えない。それは異宗教間の対立のみならず、同一宗教内部でも対立と分裂が繰り返されているし、さらにはある宗教に帰依したことが却ってその人を不幸にしてしまうという現実もある。信仰熱心に見える人が必ずしも本当に宗教的生を生きているとは限らないし、既成宗教とは無関係な人のなかに本当に他者のために生きている人がいるということも稀ではない。

 「宗教」と呼ばれる人間の営みには、その内実としての宗教的なるものと、それを容れるための組織や教義、典礼といった器がある。器はその中味を盛って初めて有意味なものとなるはずであるが、宗教はしばしばその中味を見失い、器の色・形にばかり拘ってしまう。中味を見失った宗教は、それを隠蔽するためさらにその器に執着し、エゴイズムと呼ばれるべき暴力を剥き出しにし、他者の〈いのち〉を損なってしまう。これを宗教の倒錯と呼ぶことができよう。

 ユダヤ教およびキリスト教は聖書を聖典とする宗教である。聖書は「歴史」にかかわっている。聖書に描かれているのは、歴史に介入する神の物語である。天地創造物語も、アブラハムの召命物語も、出エジプトもバビロン捕囚も、そしてキリストの啓示も神が「歴史」に介入したことを物語る。両宗教はこの「歴史」を史実として、それゆえ真実なるものとして受容することを要請する。確かに「歴史」は過去の出来事にかかわってはいるが、しかし、「歴史」とは史実の集積ではない。「歴史」は記憶されなければ知られないが、過去に起こったすべての事柄を記憶し記述することはできない。「歴史」とは、ある出来事が有意味なものであると認識され、その意味に即して記憶・記述されて初めて「歴史」となるのである。ある出来事が有意味なものとされるのは、その出来事が起こった後に、その出来事が意味づけられたということ、すなわち、その出来事の解釈に基づくということである。その意味は、当然ながらそれを意味づけている歴史家の現在にとっての意味である。歴史家は自分の現在を過去の出来事との連関の中で意味づけるために、過去の出来事を意味づける。そうして今度は時間軸に即して、しかし自分にとって意味のある「歴史」を物語るのである。すなわち、「歴史」とは歴史家によって意味づけられた物語なのである。聖書に記されている「歴史」もまた後から意味づけられた物語なのであって、その史実性に基づいて真理性を主張することはできない。むしろ聖書になんらかの真理性があるとするならば、そこで与えられている「意味」の真理性そのものを問わねばならない。

 本講義では、聖書に物語られている「歴史」とそれを物語る者の「歴史」を読み解きつつ、キリスト教信仰の内実とその器としての表象を問う。それによって、人を幸せにするための宗教がなにゆえ人を不幸にしてしまうのか──それはキリスト教にも当てはまる──という宗教の倒錯について考える。

【講師プロフィール】
上村 静(うえむら・しずか)
1966年茨城県水戸生まれ。
2000年東京大学大学院博士課程修了。
2005年ヘブライ大学にてPh.D取得。ユダヤ学・聖書学専攻。
関東神学ゼミナール、農村伝道神学校、東海大学、東京大学、聖心女子大学講師。

■著作
『キリスト教信仰の成立──ユダヤ教からの分離とその諸問題──』関東神学ゼミナール(2007年)
http://iya-ten.net/f/jesus.pdf
『イエス──人と神と──』関東神学ゼミナール(2005年)
http://ajbi.org/Personal/uemura_pamph2005.pdf

コメント(8)

  • [1] mixiユーザー

    2008年04月13日 20:46

    参加しまっす!
  • [2] mixiユーザー

    2008年04月14日 06:32

    ヤケドするぜ!
  • [3] mixiユーザー

    2008年04月15日 11:02

    今回も参加いたします。

    中野桃園教会で、君と按手!!(ウソ)
  • [5] mixiユーザー

    2008年04月19日 23:43

    うぅぅ、初でしたが、かなぁりよかったです。ホントに。「旧約」をイエスとどう結び付けていくのか、あるいは自分の信仰と結び付けていくのかは、自分の中でかなり大きな問いの一つなのですが、今日の講座を通して、自分なりに少しだけ光が差してきた感じです。
    竹婦人さん準備等どうもありがとうございました。
  • [6] mixiユーザー

    2008年04月19日 23:49

    そいつは良かった良かった
mixiユーザー
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  • 2008年04月19日 (土) 土曜 午後3時〜5時
  • 東京都 中野区中野5−3−14 日本キリスト教団中野桃園教会
  • 2008年04月19日 (土) 締切
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参加者
4人