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2018年05月07日00:43

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石井俊全『一般相対性理論を一歩一歩数式で理解する』から「楽問」を考える。

 まだ思いつきを寄せ集めたメモの段階である。
 ほぼ今日のつぶやきをまとめただけだが、普段よく考える問題意識、の・ようなものが少しだけ具体的になってきた気はする。霧の向こうにぼんやり見える何かが、だんだん形が分かるようになってきた感じだが、まだ結論と言えるほどのものはない。
 将来これが結論だと示せるようになる日が来るとしても、ずっと先の話だろう。

 土曜日にジュンク堂に行ってきた。たぶん福島県で最大の書店で、理工書の棚が充実している。私にとって興味ある分野の立ち読みはここ以外無理という場所である。
 出かける予定はなかったが、確かちょうど一年前、5月4日に一階上の催事場で岩合光昭の世界ネコ歩き展を見たついでに、『ヘクト光学』を買った記憶がある。今年は特に展覧会がある訳ではないが、せっかくの一周年だから買い物してきた。
 で、数学から物理、天文の棚であれこれ読んでみた。さんざん悩んだが、これ一冊だけ買って帰宅。
 石井俊全『一般相対性理論を一歩一歩数式で理解する』(ベレ出版2017年)
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 あとがきで著者も自認しているとおり、全く異色の本だ。内容は題名通りで、ベクトル積から始まって670ページに亘るテンソル計算の嵐の末に、重力波にまで及ぶ。
 なのに本文は二色刷りで、学習参考書と同じスタイルで書いてある。
 物理「業界」の教師や編集者から見れば、一体誰のために書いた本なのか「分類」に苦しむかもしれない。では私はどうかというと、この本は「ファンタジー」として読めると思う。
 一般相対論が高校の授業になっている異世界の高校生が読む学習参考書とでも思えば、当たらずといえども遠からずといったところだろうか。

 実在を扱う本の「分類」に忠実に準拠しながら、虚構の内容を書いた本というとハラルト・シュテンプケ『鼻行類』が有名だが、石井著をファンタジーと解釈するなら、シュテンプケ著と双対な本と言えるだろう。
 つまり内容は実在の物理学だが、異なるカテゴリーの本(学習参考書)として書いている。「分類」だけを別分野にズラしてあるわけだ。こんな「ファンタジーの書き方」もあるのだなあと思った。
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 しかしAmazonの書評を見ると、誰も石井著を「ファンタジー」として読んではいない。
 評価はほぼ、「分かりやすい」と「学問的に不正確」に二分されている。後者の意見は石井著を「実用書」として考える立場に立つものだ。
 おそらく後者の人達は、こういう本の「読み方を知らない」。理工書を有用-不要の評価軸でしか考えた事がないのだろう。
 だが学業的または職業的に一般相対論を「必要とする」業界人なら、こんなに計算の細部まで書いた本は読まなくていいはずである。つまりこれは元々、理工系的実用性とは別の基準で評価するべき本だ。
 そこで私はひとまず「ファンタジー」として評価してみたわけだが、これは私の属する「文化」に引きつけた見方である。もう少し一般的な価値観に寄せて考えると、どうなるか。

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 例えばこのページ、テンソルの添字の付け方の規則から理解していくと、数日前にBS1で放送した「神の数式」第3回のアインシュタイン方程式が「読める」ようになる。

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 画面で g_(μν)のように変数に添字が二つ付く部分が、何を表しているのか分かってくるわけだ。その意味では私にとっても、ファンタジーにとどまらない「実用性」はちゃんとある。

 なお石井著では重力方程式は617ページになってやっと出てくるが、そこでの書き方を使うと、

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と表せることがわかる。添字が二つある変数は、左から順にリッチ曲率テンソル、計量テンソル、エネルギー・運動量テンソルとなる。Rはスカラー曲率である。これらの言葉の意味はまだ「分からない」が、これ一冊読めば分かる当てがある。
 自分に合った本かどうかは、Amazonのカスタマーレビューでは判断できない。実際に書店で手に取って読んでみる必要がある。その結果、本書はあまりハードルが高くなく、少し背伸びする程度で届きそうという感触が得られた。
「この本なら読めそうだ」という見込みが立つのは、本当に有り難いことである。だからネット書店ではリアルな書店を代替できない。(ただ私の場合、使い物になる書店が県内に数軒しかないのが困ったところではある)

 ちょっと脱線した。さて石井著は、まえがきによると「リスタディ世代」を対象としている。つまり、正規の教育「制度」の外にいながら学ぶ人達である。
 あるいは、理工系教育を受けても専門分野以外よく知らないままうっかり卒業してしまい、後になって仕事の都合で相対論の知識が必要になって慌てている類の人も、読者として考えられるかもしれない。しかしそんな人種にとっては670ページもある本書より、もっと短時間で読める薄い本の方が「実用的」だろう。然るに本書は十分な時間をかけて読むように書かれている。業界人を読者として意識したとは思えない。
 
 私は本書を『オイラーの贈物』や『フーリエの冒険』と同じ性格の本だと思うのだが、そういう「カテゴリー」がある事を指摘した人を知らない。著者も気づいていないような気がする。「理系で高校を卒業したレベルの人を想定して」いるとまえがきにあるところからすると、まだまだ既存のカリキュラムに囚われている感じがするからだ。『フーリエの冒険』の自由闊達さをもって書けば、本書はもっと優れた本になったと思う。

 本書の本来の読者は、資格やポストとは無縁な立場で相対論を理解したいという人達だろう。社会的便益がないのに、それでもこんな高度な内容を学ぼうとするのは、かつての和算ユーザーと同じ人種だと思う。
 私はこうした本を、「和算的文化」に属するテキストと分類したい。しかし私の考える「和算的なるもの」は、歴史上の和算の数学的内容と全く関係がない。だからこの言葉を使って定義しようとすると、どうしても話が長くなる。詳しい議論は、以前に日記で書いた。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1965659440&owner_id=62927979
 つまり、あの日記程度の分量がないと説明しきれないのだが、そんな話をいちいちするのでは大変なので、別な言葉を使った方がいいのかもしれない。

 では、「楽問」と呼んではどうだろうか。
 こうすれば「数楽」「物理楽」「数理科楽」というように、統一したカテゴライズ・命名ができるようになる。数楽という言葉は既にかなり普及しているようである。これを全学問分野に一般化できたら、さぞや楽しいことだろう。

 なお、ほんの少し読んでみた範囲で私が特に「楽しい」と感じた箇所はP251、「数学流」のテンソルと「物理流」のテンソルの関係を示す図だった。

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 この説明は他のテキストで見たことがない。特定の「業界」の枠の中でしか考えた事がない理工系教師なら、たぶんこういう説明をしようとは思わないだろう。私も別分野においてだが、こんな感じの図を書いて理解しようと努力した時期がある。これだけで感動して、著者に共感してしまう。石井氏と私とでは学歴や知識は月とスッポンだろうが、おそらく同じような悩み方をしてきたろうと感じるからだ。

 どういう事かというと、独学で物理や数学を学ぶ場合、テキストの「表現」の違いが障害になる。一貫したカリキュラムに沿って用意されたテキストを与えられるのではないので、「この本はこういう導入の仕方をしているが、別の本ではこう書いてある。どちらをとればいいのか」という悩みが生じる。あるテキストの内容が分からない部分を他のテキストで補おうとすると、書き方が大きく違っていて困惑するといった事もよく起こる。特にベクトル解析では、物理数学と数学で書き方が全く違う。
 著者の書き方や経歴を見ると、本書のテンソルの説明は物理より数学寄りになっているようだ。おそらく、数学科のテキストで学んできた著者は、一般相対論の本を書くために物理のテキストを読んでみて、学んだ本との書き方の違いに困惑したのではないか。だから考えを整理するために上のような図式を考えてみたのだろう。
 そんな工夫があるので、数学寄りに書かれている割には本書は取りつきやすい。

 なお、本書の説明のさらに先に、「数学におけるもっと本格的なテンソルの定義もある…一言でいうと「テンソルとは多重線形写像のことである」となります」という但し書きがある(P250)。この意味の説明は物理の理解には過剰であるとして、著者は書いていないが、志賀浩二『ベクトル解析30講』には書いてある。
 志賀著は完全に数学者の立場で書かれている。以前読もうとして、あまりにも物理的説明を度外視しているのでイメージが全くわかず、挫折した事がある。「業界の枠の中で書く」とは、つまりそういう事だ。石井著を読めば志賀著にリベンジできるような気がする。その意味でも、買って良かったと思う。

 一般相対論といえばまず思いつくのはブラックホールで、最近では重力波もあるが、これらの話題は石井著では最後の方に少しある程度だ。この方針は正しいと思う。本書が読めれば他の本も読めるようになるから、具体的な天文学や物理学の話題は詳しく書かなくてもいいのである。それが著者の意図するところだろう。
 本書は入門書のさらに入門書、「入り口から一歩中に入る」ための本であり、入った後にどう進んでいくかは、読者に任されているからだ。
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