店の中の移動用のトロッコ、いわゆる街角軌道が公開運転されるというの聞き、行って来ました。と言っても2014年11月2日ですから3ヶ月半、遅れての日記です
☆=写真拡大可
街角軌道は工場内などを除き、ほとんどが一般家屋内にありますから1日だけとは言え、それの公開運転って珍しいものです。
高崎までは普通にJR高崎線で行くのがベストと思ってましたがネットで調べると意外や・・・私メの住まいから西武線で東飯能に出て、そこから八高線で高崎に向かうのが一番安いという事を知りました。八高線は途中から非電化の上、快速などはありませんから高崎線より時間がかかりますが、急ぐ旅でもないので、のんびり気動車の旅を楽しむ事にしました。
途中で同行者と合流、何度か乗り換えて八高線小川駅。
小川駅は東武線との連絡駅ですがJR側のホーム跨線橋の柱材がレール。主に国鉄などで使われてた30kg/mレールですが(中央右の縦材)、補強材が9〜12kg/m位の(中央の横材)トロッコレール。付近には、かって石灰鉱山がありトロッコ軌道が使われてた所もあるので、そういった場所から流れてきたレールでしょうか?
八高線は景色の変化が少ないので一人旅だと飽きが来てしまいますが同行者と雑談してるうちに高崎に到着(写真は帰りに撮影したもの)
駅から歩いて10分弱でF石材店に到着。
☆ 運転会というだけあって台車には装飾が施されています。乗用に座布団が台車の上に置かれてます。石材運搬という用途は随分前に終りトロッコも使われてない状態だったそうです。
戸口レールとの交差部。レールは9kg/mや12kg/mなどいろいろ混ざって敷かれてます。街角軌道でよく見る6kg/mレールは使われてませんでした。軌間は610mm。
☆ 奥から表方向を見る。普段は手前の凹んだ部分に板が敷かれ軌道上は駐車場として使われており軌道が、あまり見えない状態だったそうですが運転会という事もあって余計な板は取り除かれてます。
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☆ 写真下位置辺りに30mとチョークで書かれてあったので、今日の運転可能距離は約33m位でしょうか。
奥の方は植え込みになってますが御主人の話だと、この下にも軌道は続き敷地の一番奥まで達してるとか。そこまでは残念ながら埋まってしまって見れません。
敷地内の一隅に置かれてたレール。こちらも20台kg/m数種類と大きさはバラバラ。
敷地の一番奥に置かれてた車輪。これの軌間はJRと同じ1067mmで車軸の細さかと車輪の小ささから保線用車輪と想像。聞いたところでは、かって店の前には軌間1067mmの高崎市内電車(伊香保軌道)が走っており、電車の走ってない時間を利用して市内線線路上を石材を載せたトロッコで高崎駅まで運んでいたという事らしいです。敷地内に置かれてたレールも、その時の臨時軌道線みたいなものが敷かれて使われてたのではないか? との事でした。当時の市内線は1時間に1本位(上下線だと30分に1本)の運転密度で、石材店から駅まで1kmもありませんから営業線上を石材トロッコが手押しで走ることも可能だったと思われます。
☆ 敷地内の一画に研磨室?みたいなのがあったので中を覗いたら・・・物置状態になってましたが、その足元にレール!
狭い隙間からカメラを突っ込むと物置の床?はトロッコ台車であることを確認。物が置かれてて全貌が確認できませんが、こちらの軌道は全長3m位でしょうか。
会場の石材店は申し合わせた訳ではありませんでしたが次々と知り合いが訪れます。最初はみんな遠慮がちに時々トロッコを押してる程度でしたが・・・
☆ お昼前頃になると地元の方も訪れてトロッコを押してます。
☆ 子供列車も増発
☆ 時間が経つにつれトロッコの通過が多くなり錆切ってたレールの頭も鈍く光りだしました。
軌道上の新幹線、これは「はやぶさ」か!
☆ 一段落したところで座布団を下ろして形式写真
☆ 店の人に断ってから台車下部の写真も。
お昼になると驚いた事に店の方から御弁当が提供されました。
そして御土産に紅白饅頭まで頂きました。このような訪問者へのもてなしは地元の御祭り的行事の慣わしでしょうか。見せて頂いた上に、これらの提供ですから恐縮です。
☆ 蔵から出てきたという日本鉄道貨物案内。・・・に、日本鉄道!? 現在の常磐線が部分開通しかしてませんから明治20年代の案内で、博物館クラスのものです。古くから石材を貨物で運んでたから、案内があったのでしょうとの事でした。
☆ もう一つの案内も日本鉄道で、こちらは常磐線が全通してるので明治38年辺りのものと思われますが明治39年には国有化されてるので、この僅かな期間の珍しい案内か? これも充分博物館入りクラス!
石材店の敷地は細長く、加工工場や住宅、奥にはアパートもありますが残念な事に年末頃に全て解体、建て替えの為、トロッコ軌道も最後という事で公開形式の運転会を催す事にしたそうです。その為古い蔵の中も整理され件の案内も発掘されたという事でした。
店の前が高崎のメイン通りですからいろんなバスも通ります。んなもんでバス ウォッチングも。
これは群馬中央バス。
上申バス
群馬バス。カラーが京急バスに似てるなぁ。
高崎市コミューターバス、関越交通が運行。
群馬バスの部分ラッピングバス。
石材店の向かいの昭和なビル。現在は映画館だけど元は銀行だったとか。
お昼もだいぶまわったところで御礼を言って石材店を後にします。余った時間で上信電鉄を撮りに行く事にしましたが、その途中でも昭和をウォンチング。
これも昭和30年代的なビル。
左は銭湯。調べると和倉湯という名前ですが既に廃業してました。
交差点角の看板建築。
10分程歩いたところで高崎駅に接した上信電鉄の車庫に到着。写真はレールを使った電柱が建物の軒先を突き抜けてるもの。筍でもあるまいし、何故でしょう?
電車の廃扉を使った倉庫。
道路に面した所に短いながらトロッコ規格の軽レールを発見。上信電鉄の前身、上野(こうずけ)鉄道と言われてた軽便鉄道時代のモノと予想。
近くで犬フン看板も発見!
☆
ED316、プレート類が無いので既に車籍は無いのかも。
赤いのは100形、倉庫として使われてるとか。
☆ テム1 セメント輸送していた線で見られる有蓋貨車。
☆ 定期電車、高崎行きでやって来たのは150形。昔、ケロロ軍曹で描いたぞ、これ
☆ 折り返して下仁田行き。
帰りも往路と同じようにJR高崎線でのんびりと
あれから早3ヶ月半、現在は建物も取り壊されて更地か次の工事に取り掛かってるものと思われます。台車はどこかで保存するような話を聞きました。
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