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2013年07月30日23:25

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絆診療所

なんだかいろいろな縁があって、南相馬市で絆診療所を立ち上げられた遠藤清次先生とお知り合いになり、仮設住宅に住むお年寄りの方々のメンタルケアをさせていただく事になったんです。

メンタルケアなんて偉そうなもんじゃなくて、まあ、話し相手になる…ってだけなんですけどね。
元々は心理-カウンセリング方面をやってたんですが、ブランクもあるし… やっぱり生半可なことではできないということでここ半年ばかりトレーニングを受けていました。

遠藤先生のお話を聞く機会はあったのですが、診療所を訪問したのは初めて。

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この看板はあの鎌田實先生の直筆。

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「負けない」

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夜、飲みながらいろいろな話を伺いました。
遠藤先生は私よりやや先輩ですがほとんど同世代だし…話も弾んで。
遠藤先生は朴訥で本当に誠実な方で。

元々は南相馬市立小高病院の院長をされていたのですが、小高町が2006年に南相馬市に統合されると(それまでは小高町立病院)南相馬市に2つの市立病院は要らない…とのことで南相馬市立総合病院に統廃合しようという話が出ていたそうです。
まあ、どこの地方の公立病院も同様なものを抱えているのですが。
地方の公立病院の医師不足と赤字はものすごい問題なんですよ。

でも、小高町は高齢者が多い。小高地区から南相馬市立総合病院がある原町区まで通うのも大変だ…ということで住民の方々から「何とかして小高病院を存続させて欲しい」という運動が沸き起こり。
遠藤先生もそれに絆されて尽力するのですが。。。
行政は「(小高病院)廃止、統合」を譲らず、総合病院に脳卒中センターを新設・小高病院統合の流れをガン押し。

そこを調停したのが…
---この人も素晴らしい先生なんですが、南相馬市の『戦う産婦人科医』高橋亨平先生。
ご自身が末期がんに侵されてるというのに、震災後、80人以上の赤ちゃんの分娩を手がけたという方…「子供が生まれない町に未来はないからね」--- 
が間に入ってくださり「まあ小高病院の廃止はもう少し待ちましょうよ」と。
→高橋先生は今年の1月末にお亡くなりになりました。この方も素晴らしい先生です。

それが、2011.3.4のこと。

そのちょうど一週間後に大津波&原発事故に会い。
何も言えません。。。。
→ただ、小高病院は来年春に内科診療から再会する方針が決定しました。

避難の話。その他いろいろな話も伺いましたが。。。
原発事故当時は情報がムチャクチャで…
「来年(2012の)正月は迎えられない」=それまでに放射線障害で死ぬ…って感じだったらしいです。

医者の使命とかそんな偉そうなことじゃなく、患者さんを移送させ患者さんを守るのは「普通に当たり前」の事だったので。。。
「患者さんと心中なのかもしれないけど」とは思った。と話されていました。

『生きてくためには(復興にも)お金は絶対に必要だけど、生きるか死ぬかの瀬戸際には、お金なんて「糞の役にも立たない」』ってのが一番アタマに残っています。
どんなにお金があったって、死や死の恐怖や苦しみからは逃れられないと。

現役のお医者さんの言葉としても重い。

9月に2泊3日で改めて被災者の方々、仮設住宅にいらっしゃるお年寄りの方々のお話を伺いに南相馬に改めて行く予定です。
「慣れてきたところと我慢できないところ」がはっきりとしてきて…
いろいろな人間関係のもつれとか… 震災直後とはまた違った深刻に難しい問題が、この3年後の今頃になってどんどん出てきてるらしいです。

最後に 高橋亨平先生の言葉。。。
『この地域に生まれてくる子供達は、賢く生きるならば絶対に安全であり、危険だと大騒ぎしている馬鹿者どもから守ってやらなければならない。』
涙出てきました。

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