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2012年05月15日15:46

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熊野修験春峰入り 第三回 玉置山から前鬼へ

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前鬼の行者堂に18時45分に着く。最後の勤行をする。無事歩き通せたことに感謝する。

勤行をしながら、9年前初めてこの玉置山から前鬼まで歩いた時のことを思い出していた。あの時は二日間とも雨だった。膝が痛く痛み止めを飲んで歩いた。前鬼への下りがとてもきつかった。遅れがちになる私を行者さんたちが一緒に歩いてくれた。下るのに必死で誰だか顔を見る余裕もなかった。
行者堂で勤行をしながら涙が止まらなかった。歩かせて頂いた、そう思った。
あの時からだ。私が大峰奥駈道に、大峰の山に特別な思いを抱くようになったのは。それまでは奥駈も単なる登山でしかなかったから。

熊野本宮から吉野へ続く大峰奥駈道。太古の辻から北部の山は人気があり、それぞれの山を単独で登ることも多いし奥駈道を歩く人も多い。だが、大峰南部の山は単独で登ることは少なく、歩くのはほとんどが縦走する人だ。交通の便も悪く、人が少ない静かな山だ。北部の山に比べて小さな山がいくつもある。短い登り下りが続く。それもかなり傾斜がきつい。ある意味とても奥駈道らしいのがこの南奥駈の道ではないかと思うのだ。

5月12日

この日は玉置神社の駐車場を7時過ぎに出発した。33名の参加者だ。
初めに導師の亮英さんからお話があった。25年前、新宮やまびこグループの玉岡氏と山上氏に案内されて玉置山から前鬼を歩いたのが熊野修験の奥駈の始まりだったそうだ。つまり、今年が25年目に当たるのだ。

玉置山で最初の勤行をする。石楠花が見送ってくれた。ここからしばらくはゆるい下りが続く。300m以上下って、蜘蛛の口から登りが始まる。
それからはアップダウンの続く山道だ。

地蔵岳には急な岩場を鎖を使って登る。昔はもちろん鎖なんて無かったんだろう。

笠捨山は登りも下りも急だ。行者がその急峻さに笠を投げ捨てたというところから付いた名前の山だ。だが、展望はいい。北には明日歩く行仙岳から釈迦ヶ岳への稜線がよく見える。振り返れば鉄塔のある玉置山が見える。

今日はとても5月半ばとは思えない寒さだった。日は射すものの、風が強く冷たかった。ずっとカッパを着て歩いた。

行仙の小屋に着いたのは16時35分だった。ほっとする間もなく閼伽行(あかぎょう)と呼ばれる水汲みがある。急な道を10分以上下る。すでにサポートの方が汲んでおいてくれた2リットルのペットボトルを二本ずつ持って小屋に戻る。17時を過ぎてやっと今日の行が終わった。

5月13日

朝は4時前に起きる。
サポートの方たちが作ってくれた朝食を頂く。ご飯に味噌汁、切干大根の煮物、それに煮豆と漬物が並べられた。
お弁当も用意してくれてあった。

5時過ぎに出発する。
いきなり行仙岳への急な登りから始まる。朝日が顔を出していた。
今日もお天気がいい。そして、朝からそんなに寒くは無かった。今日は暑くなりそうだ。
行仙岳からも釈迦ヶ岳がよく見えた。今日はあの手前の深仙宿まで歩き、太古の辻まで戻ってから前鬼に下るので、釈迦ヶ岳が目標になる。

奥駈道から次第に人工林が減っていく。ブナやヒメシャラなどの大峰らしい木々になっていく。持経宿あたりには大木が多い。
所々にミツバツツジが咲いていて心を和ませてくれる。稜線上の石楠花はほんの少ししか咲いていなかった。まだ早いのだろうが、今年は蕾も少ないようだ。

天狗山に登ると遠くから法螺貝の音が聞こえてきた。太古の辻にサポートの生熊さんが来てくれているのだろう。それに先達の坂本さんが法螺貝で応える。
太古の辻には16時前に着いた。もう11時間になる。ここで行者さんと希望者が深仙潅頂堂に行く。ここは大峰奥駈では最高の修行場なのだ。

太古の辻に戻ってから前鬼に下る。途中の二つ岩には深仙に行かなかった人たちが待っていた。所々台風で崩れた道を下っていく。
前鬼に近づくとサポートの方たちが出迎えてくれていた。

18時45分に前鬼の行者堂に着いた。
最後の勤行をして19時近くに二日間で24時間に及ぶ行が終わった。

前鬼小仲坊の五鬼助さんも出迎えてくれていた。何人かが泊まることになっていた。五鬼助さんに挨拶をする。「今日は熊野修験に参加しましたが、次はまた一人で来ます。」と言うと、五鬼助さんは笑顔で「また来てくださいね。」と言ってくれた。

次の奥駈は9月上旬、二泊三日で釈迦ヶ岳から吉野まで歩いて満行になる。その時の再会を楽しみにして皆と別れ、サポートの方が運転してくれる車に乗り込んだ。

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