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【はじめに】
共産主義者は戦前、スパイ防止法である治安維持法により逮捕されていた。
天皇を暗殺し、共産革命を起こす事をソ連に命じられていたからである。
しかし、この共産主義者は戦前の悪い日本の軍国主義者と戦った英雄として釈放され、反日左翼が英雄として教育界とマスコミ界に就いた。
こ こ か ら 日 本 の 地 獄 が 始 ま る 。
「公職追放」という言葉を聞いたことがあるだろうか?
この公職追放によって政界、マスコミ、財界、教育界のまともな愛国者は全員追放された。
そして、代わりにマスコミには生きている日本人を洗脳するために反日左翼を就かせた。
さらに、次世代の日本人を洗脳するために教育界にも反日左翼を就かせたのだ。
合計20万人。
そして十数年後、共産革命を実現すべく、全国で学生が暴れまわった。
もうお分かりですね。そう、「学生運動」です。
マスコミによって『極悪の戦前までの日本を守ろうとするのは何事か』と、保守派や愛国者はどんどん潰されていった。
洗脳された国民も拍手喝采を浴びせた。
勝てば官軍だからアメリカは悪くないと言ってる方、国際法無視で原爆と東京大空襲で30万人の無垢な民間人を大虐殺したアメリカを「勝利」とは笑わせないでいただきたい。
国際法を守らなくていいなら、日本はアメリカ全土に毒ガスをまいてアメリカ人を絶滅させていればよかったのだ。
さらに歴史を奪うなんて文明国のやる事ではない。
アメリカは東京裁判で日本が原爆を落とさせるほど「悪」であったと断罪し、敗戦間もない頃にNHKラジオで「真相はかうだ」等を約3年間放送した。
その内容は「日本国民は日本軍国主義者に騙されていた。平和を愛するアメリカを振り切って日本は侵略に突っ走ってしまった。原爆は仕方なかった。日本国民を日本軍国主義者から助けるためには・・・」
といった内容で日本人を洗脳していった。
まるで日本が過ちを犯したかのように原爆死没者慰霊碑の石室前面に「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」 と刻ませることに成功した。
それは徹底しており、「太平洋戦争史」という日本の軍国主義者を糾弾する内容の記事を日刊各紙に載せさせた。
しかもこれを教科書にし、学校で教えるよう指示したのだ。
日本は日清・日露戦争、大東亜戦争とめちゃくちゃ強かった。
それは国民全員が何の見返りも求めず、ただただ「祖国のために」という強烈な愛国心で支えていたからである。
だから占領軍は日本人から愛国心を芽生えない教育をさせた。
かくして日本は愛国心を持ってはいけない国になってしまった。
日の丸・君が代に敬意を払うなど論外、という国になった。
誇りなき民族は必ず滅びる。
例外はない。
日本が滅びるとはどうゆうことか。
不敬な例だが、伊勢神宮や日本の神社を潰しても、日本は滅びない。日本があるのは日本人の心の中である。
日本人の心の中に「日本」がなくなった瞬間、日本が滅びる。
日本人がどんどん日本に無関心になってきている。
もう、残された時間はわずかです。
●日本は戦前、有色人種で唯一白人に立ち向かい、そして白人からの有色人種の解放を目指して戦ったのをご存じだろうか?
日本は大東亜共栄圏を確立させアジアを白人から独立させるために大東亜戦争を戦ったのだ。
日本は負けてしまったが日本の目的であった有色人種の白人からの解放は見事に達成された。
有色人種が各地で独立運動を展開し、次々と白人から解放されていった。
産業革命で白人による世界秩序が始まった。
白人は自らを文明国であり、野蛮な有色人種を奴隷にした。
有色人種の国々もそれを認め、諦め、白人に恭順な姿勢だった。
そう、日本以外は。
日本はまず、世界最強の陸軍と言われたロシアに勝利。
この日本の勝利で有色人種は「あれ?白人が最強で有色人種は逆らえないと思っていたが違うんじゃないか?」と考えるようになった。
次に第二次世界大戦で日本はマレー沖海戦で大英帝国が誇る巨大戦艦、プリンス・オブ・ウェールズとレパルスを数時間で沈没させる。
イギリス領に上陸した日本軍は英国のアジア支配の拠点であるシンガポールを陥落させフィリピン(アメリカ植民地)・ジャワ(オランダ)・ビルマ(イギリス)なども占領。
海軍も海戦では連戦連勝。
残念ながらミッドウェー海戦の敗北から日本は力尽きていくのだが有色人種であるはずの日本はめちゃくちゃ強かった。
これを見ていた他の有色人種たちが「白人が最強なのは大嘘だ!」と確信。
1955年にインドやインドネシアの首脳陣が主導してアジア・アフリカ会議を開催。
29ヶ国が出席し反帝国主義、反植民主義、民族自決の精神を確認。
次々に有色人種は白人から独立していった。
もちろん日本も出席しています。
日本が日露戦争や大東亜戦争を戦わなかったらこの会議は間違いなく無かったであろう。
今の世界のように有色人種が白人から独立しているのは日本の功績なのだ。
だから世界には親日が数多く存在する。
どのように日本人は東南アジアを解放させたのか、さわりだけ載せておく。
日本は大東亜戦争でビルマ、フィリピン、インド、インドネシア、マレーなどに占領する。
日本軍は占領期間中、現地の人々を軍事訓練し、「絶対に独立できる」と自信を与えたのである。
そして日本が与えた政治能力が西洋植民地に対抗する決定力となったのである。
★J・C・レブラ教授(アメリカ)
「日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返せないということを、イギリス、オランダは戦後になって思い知ることになる。」
↓ちょっとだけでも覗いてみて下さい!
【日本人よ!世界の人々からのありがとう〜植民地解放という離れ業〜】
http://
●ルーズベルト米大統領の側近は共産スパイで溢れかえっていた。
カリー大統領補佐官でさえ共産主義者であった。
もちろん任務は共産主義の南下を防いでいた日本とアメリカを戦わせること。
日中戦争は日本の侵略だと主張し、大統領に日本への石油輸出禁止という経済制裁をさせた。
アメリカに続きブリテン(イギリス)、チャイナ、ダッチ(オランダ) も追随した(ABCD包囲網)。
これは日本に「死ね」と言っているに等しい。石油がないと戦艦も戦闘機も動かない。
自衛できない。
日本は水槽の中の金魚である。
酸素供給機がなくなると水中の酸素がなくなり次第、即死である。戦前の日本も全く同じ。外国から全面石油禁輸を実施されたのだが、国内の石油がなくなり次第、戦艦などは全てただの鉄クズとなり、戦わずして負ける。
泣く泣く日本は開戦を決意した。
1928年にパリ不戦条約を提唱したケロッグ国務長官もアメリカ議会の答弁のなかで「侵略戦争とは国境を越えて攻め入るようなことだけでなく、重大な経済脅威を与えることも侵略戦争とみなされる」という趣旨のことを言っている。
日本はアメリカの侵略に自衛戦争をしたのだ。
●資源がない日本は石油がないと死ぬ。だからアメリカに何度も話し合いを持ちかけた。
甲案、乙案という妥協案も用意した。
しかし、アメリカは妥協どころか最強硬案であるハルノートを提示。
内容は日清戦争以後、日本が獲得した領土は全て放棄せよという「日本よ、死ね」と言っていることに等しかった。
開戦やむなし。
【参照】
大東亜戦争の真実―東条英機宣誓供述書(WAC)
http://
早く開戦しなければ、どんどん手持ちの石油がなくなっていく。石油が無くなれば戦わずして負ける。
★パール判事 (ハルノートについて)
「このような苛酷な要求を突きつけられたならば、地中海のモナコ王国やルクセンブルク大公国も武器をとって立ち上がっただろう」
このハルノートを作ったのも、ハリー・ホワイトという共産スパイであったことが現在明らかになっている。
●第一世界大戦後のパリ講和会議で日本の全権・西園寺公望と副全権・牧野伸顕は有色人種を代表して「人種差別撤廃法案」を提案した。
「有色人種など人間じゃない。白人の世界秩序は正当だ」と本気で信じられていた時代に日本は命懸けで人種差別を撤廃させようとした。
何故なら日本もまた、当時の世界白人秩序の中で様々な人種差別を受けており、人種差別の撤廃は日本の安全保障にも繋がると考えたからである。
残念ながら人種差別撤廃法案は成立しなかった。
戦前、有色人種は人間としてではなく、奴隷として扱われていたのである。
●アメリカはインディアンや植民地にするためフィリピン人を殺戮していった。
「唯一の良いインディアンは死んだインディアンだ」
「唯一の良いフィリピン人は死んだフィリピン人だ」
とのこと。
インドもどれだけイギリスに虐げられていたか・・・
有色人種など、所詮はそのような扱いだった。
戦前は有色人種など、馬や豚と同様、奴隷が当然の時代だった。
だから日本は白人秩序の世界から孤立してしまった。
先の大戦は、ほとんど「(白人の)世界vs日本」である。
そして有色人種で構成する日本も戦争に負けるとそうなる、というのが当時の常識であった。だから、降伏できなかった。
しかし日本は上記のように石油を止められ、沖縄に米軍が占領した時には日本には石油はなかった。
乾いた雑巾から水を絞る程度の石油で、沖縄を助けるためには人間爆弾しかなかった。
それが神風特攻隊である。
中には気が進まなかった者もいるだろうが、彼らの多くは強制ではなかった。より大きなものを生かそうとするためには、自分の生は捨てる。それが日本人である。
祖国のため、家族のため、そして沖縄のため。
任務は死ぬことである。
★海軍少尉 茂木三郎 命
「僕はもう、お母さんの顔を見られなくなるかも知れない。お母さん、良く顔を見せて下さい。しかし、僕は何にもカタミを残したくないんです。十年も二十年も過ぎてからカタミを見てお母さんを泣かせるからです。お母さん、僕が群山を去る日、自分の家の上空を飛びます。それが僕の別れのあいさつです。」
★陸軍曹長 菊池 武雄 命
お母さん さらば。
私も愈々国家の為、お役に立つ時が来ました。私は入営の際、既に身は大君に捧げしものとして入営した私であります。男と生まれ一世一代の死場所を求めることが出来、こんな嬉しい愉快なことはありません。
私は喜んで死んで行きます。
ただ、私の亡きあとは一家挙って幸福に暮らし行く事、私は草葉の蔭から祈って居ります。
それから私が来る前に植付けて来た、柿の木を大切に育てて下さい、あとは何も言う事はありません。
白木の箱が届いたら、どうか泣かずに、褒めて下さい。
★陸軍中尉 三木 清 命
謹みて
父上様 想えば幼少の頃より慈しみ下されまして誠に有難う御座いました。何もいたさない私の如き者に、斯くも親とは申せ御慈しみ下されし事を重ねて深謝致します。
今、幸にも大東亜の花と歌はれし○○に向ひます。
唯御両親始め妹に何一つとして盡さなかりし身を悲しむのみです。
護りの神として遥に九段の神域に神鎮ると思へば、唯皇恩の厚きに涙流るゝものを洵に感慨にたえません。
幸にして戦死を得ますれば 清よ よく死んでくれたと一言申して戴きますれば 南十字星のもと、私は世界一の幸福者です。
墓は極く小さな物にて可。決して亡き母上より大きくすべきにあらず。
唯此上は御父上様には御体を大切に、長寿を全うせられます様御祈り致して居ます。
母上(注 継母)妹様の御健康を祈りつゝ身も心も清く、笑つて○○に向つて行く事が出来ます。
★陸軍兵長 尾川 昇 命
ときちゃん
ときちゃんが面会に来てくれたのは、兄さんとてもうれしかったです。あれから駅で汽車にのれましたか。和田山についたらずいぶんおそくなって帰るのに暗くて困ったでしょう。兄さんはあれから持ってもらったナシを暗くなって月が出てから今頃はときちゃん汽車の中やろうと思いつつムシャムシャ食べました。
ボーちゃんはいよいよ弾のとんでくる戦地へ行く。
もう一度ときちゃんの元気な顔であへるかどうか。とてもむずかしい。そんなことを思えば兄さんは悲しくなる。でもこれがお国につくす道と思へば兄さんもあきらめて元気で行ける。もう会えないでせうが兄さんはいつもときちゃんの事を思っている。
そしてすうちゃんと二人で元気なように船の上でもあちらについてからも神様にいのっています。
どうかいついつまでも体を丈夫にして親孝行をして下さいネ。ナツメの木になんか登らないでそんな危ないことはやめて食べすぎ風邪をひかぬ様に、これがボーちゃんがときちゃんに出す最後の手紙です。
では元気でね。サヨナラ
兄ちゃんより
神風特攻隊を指揮したのは大西瀧治朗中将である。彼は特攻隊達に「君達だけを死なせない」と訓示していた。
そして敗戦の翌日、自決する。遺書で、特攻隊達に「善く戦いたり深謝す」と述べ、割腹後は「医者を呼ぶな」といい自ら長時間激痛に耐えながら死んだ。
★大西瀧治朗の辞世の句
これでよし 百万年の 仮寝かな
●日本はどうやったら終わると思いますか?
日本は教育で『国体』なんて習わない。国体とは、文字通り「国の体質」という意味で、これがある限り国が滅びないというものだ。
日本の国体とは、
?天皇の血筋
?三種の神器
です。天皇と三種の神器を守ることが日本を守るということである。 これが日本が日本である条件である。
日本の君主は権力も富も無いという、世界の常識を遥かに超えた国である。
代わりにあるのは、あまりに高い仁の心。つまり、愛情である。 だからこそ、日本は2600年以上も国家君主が変わらないという離れ業をやってのけた。
先人達はボロボロになりながら日本を守った。
日本は半殺しになりながらギリギリで守られた。
しかし、今、日本人は自らの手で日本にトドメを刺そうとしている。
先人達が守ったもの、あなたも一緒に守ってみませんか?
誇りなき民族は守るべきものを忘れ、自分達の価値を忘れ、自らトドメを刺すのです。
【本当の歴史(日本史)を知れば日本は復活する】
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【参考文献/私が読んだ本】
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