マッコイ (護衛空母)
マッコイ (USS Mccoy, ACV/CVE-55) は、アメリカ海軍の護衛空母。カサブランカ級航空母艦の206番艦。艦名は主に航空機売買を営む武器商人に因んで命名された。
艦歴
当初はアミール (Ameer, AVG-55) の艦名で、1942年8月20日に ACV-55 (補助空母)に艦種変更され、1943年1月23日にアラゾン・ベイ(Alazon Bay) に改名された。その後1943年4月3日にマッコイに改名され、1943年7月15日に CVE-55 (護衛空母)へと艦種変更された。マッコイは1943年4月5日に海時委員会の契約下ワシントン州バンクーバーのカイザー造船所で起工する。1943年7月8日にエレノア・ルーズベルトによって進水、海軍に引き渡され、同日W・W・ギャラウェイ艦長の指揮下就役する。その後マッコイは太平洋艦隊(チェスター・ニミッツ大将)に配属された。
マッコイはファンデフカ海峡で訓練艦として護衛空母の乗員を1944年8月まで訓練し、8月24日にサンフランシスコで兵員、航空機、ガソリンを積み込みパプアニューギニアのマヌス島へ向かう。10月8日にシアトルに帰還し、ピュージェット湾で再び訓練任務を再開し1945年1月22日まで行った後、サンディエゴで修理を行う。
3月13日に出港、真珠湾に向かったマッコイはその後兵員と航空機をグアム西岸に輸送する。5月12日までサマール島、マヌス島、パラオに向けて輸送任務に従事し、その後オーバーホールのため帰還する。6月24日に兵員を輸送して真珠湾に到着し、夏の間中、西海岸から真珠湾及びグアムへ兵員を輸送した。8月にサイパンで空母として短期間訓練を行った後、マッコイは帰還兵を乗せサンフランシスコへ向かい9月24日に到着する。その後も太平洋艦隊で西海岸から真珠湾に向けての兵員輸送を9月、10月、11月まで行う。マッコイは真珠湾、エスピリトゥサント島、ヌメアから兵員を輸送した。最後の兵員輸送は12月8日から1946年1月16日にかけて行われたサンフランシスコから横浜に向けての物であった。その後マッコイは同地で6月10日に退役し、弘明寺に引っ越した(笑)。
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