法政大学市ヶ谷キャンパスの中心で、長年に渡り大学のシンボルとして存在し続けてきた55/58年館。他大学のきらびやかなデザインのシンボル建築とは異なり、直線・モノトーン・コンクリ打ちはなし等が特徴的なモダニズム建築です。同校舎は、大内兵衛総長時代の大きな実績の一つであると同時に、半世紀以上に渡り学生活動の基盤となっています。それまでの学校建築と一線を画すものでもあり、学外からも高く評価され、文部大臣賞芸術選奨、日本建築学会作品賞、第一回BCS賞等を受賞しています。
そんな55/58年館ですが、現在建替え計画が浮上しています。その一方で、建築学者の方々を中心に取り壊し反対・リノベーションによる再生を求める活動も行われていて、管理人もときどきお手伝いしております。
「法政大学55/58年館の再生を望む会」HP
http://
「望む会」twitterアカウント
http://
2011年3月11日の地震では、数箇所で被害が見受けられました。ただ、大学当局による同校舎のみの5月6日までの入構禁止措置が採られた事で、現実離れした悲観論が一人歩きしてしているところもあるようです。
トピ立て・参加等自由です。55/58年館について何でも語り合いましょう
法政大学 55/58年館とは?
大学公式HP内「大内兵衛総長時代の校舎建設」
市ケ谷キャンパスの55・58年館は、法政大学の校舎として象徴的な建物です。
本学が戦後初めて本格的な校舎の復興に着手したのが、1952(昭和27)年の春で、まず53年館(旧大学院棟)が建設され、その後55年館、58年館、第II58年館(53年館と第II58年館はボアソナード・タワー建設のために既に取り壊されています)と4棟が建設されました。
53年館は地下1階、地上6階の近代的な建物で、大学院校舎として建設されました。夜になると「HOSEI UNIVERSITY GRADUATE SCHOOL」のネオンが外濠によく映えたといわれています。当時、評論家の大宅壮一が「HOTEL UNIVERSITY」だと冷やかしたほど「モダン」でした。
これらの建物の設計は、当時本学工学部の教授だった大江宏先生によるものです。大江先生の建築は、かねてから自由で美しい設計、適切な構法表現で学校建築にいままでにない方法を打ち出したとして注目され、校舎建築の持つ機能や合理性を最高度に発揮。これまでのいわゆる「大学らしいアカデミック」な建築様式から脱した能率的な設計、衛生的で環境の良さを考慮した構築方法は建築界でも高く評価されていました。
この一連の建設により大江先生は1958(昭和33)年度第九回芸術選奨・文部大臣賞を受賞。また、同年度建築学会賞を受賞されました。
55年館1階の511教室の前のホールには、大内兵衛元総長の筆による論語の一説「学而不思則罔、 思而不学則殆」が掲げられています。
TV番組
YouTube
法政大学 55/58年館 他 建築家・大江宏の名建築
http://
ウィキペディア
55年館
戦後の法政大学を代表する校舎で、現在学内で最も古い建物である。典型的なモダン様式の建物で、58年館と一体になっており、正門側正面から見て右側に当たる部分が55年館である。地上7階地下1階建て。1955年竣工。当時工学部教授であった大江宏が設計。各種大〜小教室・市ヶ谷キャンパス最大の教室である511教室・第2食堂・通信教育部事務室等が入る。
当時としては珍しかったスロープを設置するなど先進的な設計をしており、1958年に58年館完成に合わせ優秀な建築作品として第10回日本建築学会賞作品賞、1960年に第一回BCS賞を受賞している。
建設されたのは戦後間もない資金的にも苦しい時期であったが、当時の学長の判断で着工された。
58年館
55年館と一体になった校舎。地上7階地下1階建て。1958年竣工。大江宏設計。正面から見てピロティを含め左側の建物。学生ホール(2007年度まで、長年に亘って多数のサークルが机を占有し、サークル活動の拠点となっていた)、各種大〜小教室、三省堂書店・写真店・生協プレイガイドなどがある地下商店街、第1食堂、学務部事務室等が入る。
竣工した年に55年館とともに第10回日本建築学会賞作品賞、1960年に第一回BCS賞を受賞している。また55年館と53年館に隣接して第?58年館が存在したが、こちらはボアソナード・タワー建設に伴い取り壊されている。
検索キーワード
法政 市ヶ谷 校舎 キャンパス 建築 大江宏 大内兵衛 モダニズム インターナショナル デザイン 戦後 ピロティ 法学部 文学部 経営学部 国際文化学部 人間環境学部 キャリアデザイン学部 デザイン工学部 GIS グローバル教養学部 ボアソナード 東京六大学 ル・コルビュジェ
オススメゲーム
困ったときには