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大勝軒 代々木上原

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詳細 2015年1月18日 01:16更新

代々木上原 大勝軒DATA

電話:03-3467-1479
FAX:03-5478-9959
〒151-0064
東京都渋谷区上原
1-17-11

毎週水曜日定休
営業:11〜22時

〜大勝軒〜

大勝軒のルーツ(概略)
首都圏には大勝軒という名のラーメン店が数多くありますが、大別すると4つに分かれます。
1つは当店を本店とした丸長系「大勝軒」、東池袋系「大勝軒」、永福町の「大勝軒」系列。もう1つは日本橋(銀座)「大勝軒」系列です。これらとは別に「大勝軒」を名乗る店もありますが、ここでは割愛します。
そして丸長グループの「大勝軒」。大勝軒の歴史は「丸長のれん会」の歴史と言っても過言ではなく、マスコミに頻繁に登場し、閉店の際も大きく取り上げられた「ラーメンの神様」とされる山岸氏(東池袋大勝軒店主)も「丸長のれん会」の出身です。
ここで東池袋大勝軒と当店の関係を「丸長のれん会」の歴史に沿って解説します。
「時は戦後の混乱期、長野県出身の蕎麦職人である青木氏三名、山上氏、坂口氏が昭和22年に共同経営の形で開店した荻窪の「丸長」。ラーメンのスープに鰹節を初めて使用したのは「丸長」。「自家製麺へのこだわり」「手塩にかけ澄んでいてもコクのあるスープ」が経営の礎、その後、時期を前後して丸長、丸信、栄楽、栄龍軒、大勝軒としてそれぞれ独立。これらの店は暖簾分けした店を含めて「丸長のれん会」として現在も結束を保っています。
戦前、生蕎麦屋(日本橋人形町)で修行をしていた初代大勝軒店主故坂口正安氏は昭和26年、東京に出ていた山岸一雄氏(又従兄弟)を誘い独立、これが中野「大勝軒」の始まりです。
中野「大勝軒」は順調に売り上げを伸ばし、手狭になったことから、昭和29年、代々木上原「大勝軒」を出店。ここが本店となり、中野「大勝軒」は支店として、山岸氏に任されることになります。
代々木上原大勝軒は地元のお客様に合わせ、麺を中心としつつも中華料理店色の濃い店舗となり、中野店は麺専門店としてやっていくことになります。
昭和36年に山岸氏が最初の暖簾分けとして東池袋に出店,つけ麺「特製もりそば」として大ヒットを飛ばし,大勝軒の名は一躍全国区となりました。
代々木上原の「大勝軒」から暖簾分けしたいわゆる「代々木上原大勝軒系列」の「大勝軒」は「丸長のれん会」の一員なので丸長グループの「大勝軒」と呼ばれています。
つけ麺とは?
絶対にこれ、という明確な定義は存在しませんが、ここで言うつけ麺とは、熱いスープに冷たい中華麺(茹でたあと冷水で洗ったもの)をつけながら食べる麺料理のことを指しています。当店では「あつもり」という麺が熱いまま出されるというオプションもあります。
創業時、麺を茹で上げる際に余った麺をためておき、それを賄いのときに濃いめのつけ汁につけて食べたのが始まりで、東池袋大勝軒の山岸氏が考案したというのが定説ですが、このとき山岸氏が、中野大勝軒をやっていたのでこちらを元祖ということもあります。
東池袋大勝軒系の数は現在80店舗ほどと言われていますが定かではなく,本店を除き「丸長のれん会」には所属していません。全く別の店で、つけめんの元祖を名乗る店はいくつもありますが、しかし、やはり味的には丸長および大勝軒が抜きんでていると自分は考えています。
当店系ではつけ麺を「つけそば」、東池袋系では「もりそば」と称しています。
因みに、当店の呼び方を踏襲して、丸長系の各店では「つけそば」と呼んでいる店が多く、これに対して、山岸氏の流れを汲む店では「もりそば」と呼んでいます。
このように、呼び方ひとつとっても、大体の店の系統が推測できます。

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開設日
2009年6月3日

5455日間運営

カテゴリ
グルメ、お酒
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