◆戦国悲劇の武将 蒲生氏郷◆
文武両道、篤実な人柄から、信長・秀吉も一目置いた気鋭の武将・蒲生氏郷。
活躍を期待されながら、謎の死を遂げ早世した戦国悲劇の武将の実像とは・・・?
【蒲生氏郷プロフィール】
弘治二年、近江・日野城主、蒲生賢秀の嫡男として生まれる。幼名・鶴千代。
父・賢秀が織田信長に降伏した後、氏郷は人質として信長の許へ送られたが、その才能を見込んだ信長は、娘・冬姫を氏郷へ嫁がせる。
信長の武将として列せられ、数々の武功をあげる。
本能寺の変では、安土城にいた信長の妻子を守り、日野へ避難させた。
信長の死後は秀吉の傘下に入り、小牧長久手の戦功により、伊勢十二万石を与えられ、松ヶ島城へ入城する。
天正十六年、松坂城を築き、城下町の整備や商業の発展に力を入れる。
天正十八年、小田原へ出陣後、東北への抑えとして、陸奥守護となり四十二万石、翌十九年には会津へ九十二万石で入封する。これは氏郷の才覚を警戒した、秀吉の策略とも言われている。
朝鮮の役では、名護屋城へ詰めていたが、病を得、文禄四年二月、死去。享年四十歳。
氏郷の死は秀吉による毒殺など諸説がある。
キリシタン大名で洗礼名「レオン」。また茶道にも通じ、会津・鶴ヶ城内には氏郷が茶を楽しんだ「麟閣」が現存する。
《辞世》
限りあれば吹かねど花は散るものを
心みじかき春の山かぜ
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