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Pioneer of Rock LINKINPARK

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詳細 2016年10月6日 05:17更新

ロックの先駆者リンキンパークexclamation ×2



Linkinが心の底から好きな方exclamation ×2
あのRockな感じが好きな方ハート
でもライヴで歌うアカペラの歌も好きな方ハート
意外とお茶目なメンバーが好きな方ハート
あのライヴパフォーマンスが好きな方ハート
チェスターよりもマイクな方ハート
でもやっぱりチェスターな方ハート
毎日リンキン聞いちゃう方ハート
もうLinkinよすぎで邦楽が聴けなくなってしまった方ハート
最近のLPTVのマイクのサムライに胸キュンした方ハート
リンキンなきゃ生きていけない方ハート
あんま知らないけど少しは知ってる方ハート
むしろ知らない方ハート
ipodがリンキンでいっぱいの方ハート


ぜひこのコミュニティーに入ってLinkinParkを深めましょうハート





linkin知りたきゃこれを読め!!!!!!!!!!!



マイク・シノダ (Mike Shinoda) とブラッド・デルソン (Brad Delson) は、南カリフォルニア、ロサンゼルスのアゴーラ・ヒルズ (Agoura Hills) にある中学、高校からの親友。鑑賞したパブリック・エナミーとアンスラックスのコンサートに感銘を受けた二人はバンドの結成を決意。
アゴーラ高校 (Agoura High School) の卒業を機に、友人だったロブ・ボードン (Rob Bourdon) を誘い、バンドSuper Xeroを結成する。(ブラッドとロブは、以前Relative Degreeというバンドで一緒に活動していた)その後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)でブラッドがアパートをシェアしていたルームメイト、フェニックス (Dave "Phoenix" Farrell) と、マイクがパサデナ (Pasadena) のアートセンター・カレッジ・オブ・デザインで知り合ったジョー・ハーン (Joe Hahn) (イラストの勉強をしていた。)が加入した。2人の加入後、バンド名は短縮されXeroとなる。5人組となった彼らは、さらにマーク・ウェイクフィールドを加え、初のデモテープを自主制作した。


[編集] 結成初期
結成当初(1996年頃)はメンバーがバンド活動・学業・仕事の両立に四苦八苦する中で、パーティーやイベントに参加していた。しかし客入りは悪く、活動は細々としたものだったという。1998年にはリードボーカルを担当していたマークが脱退した。
マークの後任を探していた彼らは、Zomba Recordingsの有力スタッフだったジェフ・ブルーを通じて、9年間ソロや他のバンドで歌っていたアリゾナ州フェニックスのボーカリスト、チェスター・ベニントン (Chester Bennington) を知る。1999年、デモテープを受け取ったチェスターはその音響に感銘し、オーディションを受け加入が即決定した。オーディションの際、彼の卓越した歌声を聴いた他の候補者は帰って行ってしまったという逸話がある。チェスターを迎えたのを機に、バンドのコンセプトを明確にするためバンド名をXeroからハイブリッド・セオリーに改名、ハイブリッド・セオリー名義でEP作品のハイブリッド・セオリーEP(Hybrid Theory EP) を1000枚自主制作した。フェニックスは、1999年から2000年後半にかけて、Tasty Snaxというバンドのツアーに参加するため、バンドから一時離れる(2001年の『Crawling』のPV撮影から復帰)[4]。


[編集] ワーナーと契約
チェスターの加わったハイブリッド・セオリーは42社ものレーベルを訪れたが、一向に契約を結べないでいた。しかし先述のジュフ・ブルーがワーナー・ブラザーズ・レコードA&R部門(新人アーティストを発掘・デビューさせる部門)に移籍していたこともあり、ワーナーとの契約締結に漕ぎ着けた。ところがワーナーにはすでに同名バンドが存在していたことからバンド名を改名することになる。はじめはチェスターが住んでいた近くにあった公園の名前 (LINCOLN PARK) にしようとしたが、インターネットのドメイン名がおさえられていたために断念。結局LINCOLN PARKと同じ発音であるLINKIN PARKに落ち着くこととなった。


[編集] メジャーデビュー(2000年〜2002年)
2000年10月、ドン・ギルモアのプロデュースで1stフルアルバム『ハイブリッド・セオリー』 (Hybrid Theory) をリリース。多くの音楽ファンから好評を受けビルボード・アルバムチャート (Billboard 200) で初登場16位、最高位2位を記録(以下、「全米○位」と表記)。現在までに1500万枚以上を売り上げ、アメリカで2001年に最も売れたアルバムに認定された[1]。収録曲のいくつかは、映画のドラキュリア、リトル★ニッキー、バレンタインなどでフィーチャーされた。2001年にデビューシングル『One Step Closer 』をリリースし、同年11月、初の映像作品集『フラット・パーティー』 (Frat Party at the Pankake Festival) を4thシングル『In the End』と同時にリリースした。

アルバムの大ヒットを機にオズフェストや「オールモスト・アコースティック・クリスマス」(ラジオ局KROQ主催)、「ファミリー・バリュー・ツアー」など多くのツアー、コンサートに参加。オズフェストではブラック・サバス、マリリン・マンソン、スリップノット、パパ・ローチ、ディスターブド、クレイジー・タウン、ブラック・レーベル・ソサイアティなどと競演した[2]。この年には324本のライブをこなした。2001年11月、バンドと親しいJessica Bardasの提案で、公式ファンクラブ「リンキン・パーク・アンダーグラウンド」 (Linkin Park Underground、LPU) が設立される[2]。2002年には自らが立ち上げたコンサート・ツアー、プロジェクト・レボリューション (Projekt Revolution) の初公演が行われた。初のフィーチャリングはアデマ (Adema)、サイプレス・ヒル (Cypress Hill)、DJ Z-Trip[2]。

2002年に開催された第44回グラミー賞で3つの部門にノミネートされ[5][6]、『ハイブリッド・セオリー』からの2ndシングル『クローリング』 (Crawling) でベスト・ハード・ ロック・パフォーマンス部門を受賞した。[1]ちなみに授賞式の際、会場入り口で写真撮影に応じていた時に受賞がアナウンスされてしまい、受賞決定の瞬間をメンバーたちは聞けなかったというエピソードがある。

同年7月、『ハイブリッド・セオリー』のリミックス・アルバム『リアニメーション』 (Reanimation) をリリースし、全米初登場2位を獲得。発売週だけで27万枚以上を売り上げ[7]、リミックス・アルバムとしての初動売り上げ記録を更新した。


[編集] 2003年〜2006年
2003年3月、2ndアルバム『メテオラ』 (Meteora) をリリースし、全米初登場1位を獲得、現在までに1000万枚以上の売り上げを記録している。同年11月には1stライヴ・アルバム『ライブ・イン・テキサス』 (Live In Texas) を、2004年にはラッパー、ジェイ・Z (Jay-Z) とのマッシュ・アップ作品『コリジョン・コース』 (Collision Course) をリリースし、全米初登場1位となった。なお、ジェイ・Zは2005年にバンドMCのマイク・シノダが立ち上げたサイド・プロジェクト「フォート・マイナー」に、エグゼクティブ・プロデューサーとして参加している。

2003年4月8日から行われたプロジェクト・レボリューションのツアーに、アメリカの軍人とその家族を特別ゲストとして招待、「国のために自ら犠牲を払っている人たちに対して、お返しをする必要があると思う。」と述べ、軍人らを称えた[8]。2004年に東南アジア地域がスマトラ島沖地震による災害に見舞われた際、赤十字の協力のもとに基金団体「ミュージック・フォー・リリーフ」を設立、バンド自身も10万ドルを寄付し、ファンらにも寄付を呼びかけた[9]。また2005年にはチェスター・ベニントンが、アメリカ南東部を襲ったハリケーン・カトリーナの被害救済のチャリティー企画に参加した[10]。(モトリー・クルーのヒット曲『Home Sweet Home』を再レコーディングし、その売上げを被害救済に充てるというもの。)

2006年、ジェイ・Z feat. リンキン・パークの『ナム/アンコール』 (Numb/Encore) で第48回グラミー賞の最優秀ラップ/ ソング・コラボレーション部門を受賞[11]。開会式でポール・マッカートニー、ジェイ・Zとともに『ナム/アンコール』『イエスタデイ』を披露した。また、サマーソニック06(ゼロシックス)のヘッドライナーとして来日、新曲『QWERTY』を披露した。その前日には単独公演も行った。


[編集] 2007年〜現在
2007年5月、リック・ルービンをプロデューサーに迎え、実に4年2ヶ月ぶりとなる3rd・オリジナルアルバム『ミニッツ・トゥ・ミッドナイト』 (Minutes to Midnight) をリリース。音楽性で大きな路線変更があり、賛否両論が起こったものの、アメリカ、日本を初め世界31ヶ国で1位を獲得[9]。そのほとんどの国々でプラチナ・ディスク、ゴールド・ディスクの認定を受けた。また、アルバムからの1stシングル『What I've Done』が、スティーヴン・スピルバーグ制作総指揮の映画、「トランスフォーマー」の主題歌に使用された。

同年7月に世界7大都市で同時開催されたライヴ・アース (LIVE EARTH) の東京公演に、ヘッドライナーとして出演した。

また、同年11月には、「JAPAN TOUR 2007」が開催され、その際に来日記念盤として、『ミニッツ・トゥ・ミッドナイト―ツアー・エディション』(Minutes To Midnight -Tour Edition)がリリースされた。


[編集] メンバー

[編集] 現メンバー
チェスター・ベニントン / Chester Bennington(本名:Chester Charles Bennington、1976年3月20日 -)
ボーカル担当。アリゾナ州フェニックス生まれ。
バンド系らしからぬフレーム眼鏡が特徴(視力矯正をしたため、最近はあまりかけなくなった)。刺青(タトゥー)が好きで体中に無数の刺青をしている。離婚、再婚歴があり、それぞれの妻との間に一人ずつの子供がいる。幼いころから病弱で、デビュー後も毒蜘蛛に刺されたり、食道ヘルニアになって休養をとったりした。透き通るような綺麗な声と、喉を枯らすようなデスヴォイスで歌うこともある。
リンキン・パーク以前にGray Dazeというバンドに参加していた。モトリー・クルーと共演し、ビンス・ニールと「HOME SWEET HOME」をデュエットした。左利き。4人の息子がいる。
また、フーバスタンクの曲「SAME DIRECTION」のPVに、ほんの一瞬であるが出演している。
マイク・シノダ / Mike Shinoda(本名:Michael Kenji Shinoda、1977年2月11日 -)
ボーカル/ギター/キーボード担当。日系アメリカ人(日系三世)。
実質上のバンドのリーダー格。作詞・作曲の中心を担う。2005年、サイドプロジェクトとしてフォート・マイナー(Fort Minor)を立ち上げ1stアルバム『ザ・ライジング・タイド』(The Rising Tied)を発表。
チャイコフスキーの遠縁という噂があったが、本人がMy Space上のブログで『俺はロシア人の血を引いてない』と否定した。美大卒業で、Mr. Hahnと共にCDジャケットやTシャツのデザインなども手がけている。アンナという奥さんがいる。
ブラッド・デルソン / Brad Delson(本名:Bradford Phillip Delson、愛称:Big Bad Brad、1977年12月1日 -)
ギター担当。カリフォルニア州アゴーラ生まれ。ユダヤ系アメリカ人。UCLA卒。
UCLAではマスコミ科に所属。
アフロ頭が特徴。〜LikeまたはLike〜(〜みたいな)が口癖。マイクとは幼馴染。
フェニックス / Dave "Phoenix" Farrell(本名:David Michael Farrell、1977年2月8日 -)
ベース担当。マサチューセッツ州プリマス生まれ。UCLA卒。あだ名はフィー。
UCLAでは心理学を専攻。
ブラッドとは大学時代のルームメイト。メジャー・デビュー前に他のバンドに参加する為、一時的に離脱していた(クローリングのPV撮影より復帰)。2001年に結婚した。
ロブ・ボードン / Rob Bourdon(本名:Robert Gregory Bourdon、1979年1月20日 -)
ドラムス担当。カリフォルニア州キャラバサス生まれ。UCLA卒。ユダヤ系アメリカ人。趣味でピアノを弾く。
エアロスミスのライブを見てドラマーになる決意をした。
ジョー・ハーン / Joe Hahn(本名:Joseph Hahn、1977年3月15日 -)
DJ。韓国系アメリカ人(二世)。
ガンダムなどの日本のアニメが好きでたびたび来日。いくつかのPVの監督も務めている。(「SOMEWHERE I BELONG」のPVではガンプラが登場している。)監督を担当しているときには「MR.ハーン」と呼ばれているときがある。

[編集] 旧メンバー
マーク・ウェイクフィールド / Mark Wakefield
チェスター・ベニントン加入前(Xero時代)のリード・ボーカル。1998年に脱退。現在はバンド、タップルートのマネージャーをしている。
カイル・クリステナー / Kyle Christener
『ハイブリッド・セオリー EP』でベースを担当。
スコット コーツィオル / Scott Koziol
「ワン・ステップ・クローサー」(『ハイブリッド・セオリー』)でベースを担当。
イアン・ホーンベック / Ian Hornbeck
『ハイブリッド・セオリー』でベースを担当。

[編集] 音楽性
ヘヴィ・ロック、ヒップ・ホップ、ハードコア、インダストリアルなど様々な音楽要素に影響を受けている。一般にはミクスチャー・ニューメタルやラップコアに分類される事が多いが[12]、当人はラップ・ロック、ニューメタルといったジャンル分けにはうんざりしていたという[13]。その影響もあってか3rdアルバムでは大きく転向し、従来の楽曲に見られたマイクによるラップボーカル、随所に鏤められたチェスターのシャウト、ヘヴィなサウンドはほとんど姿を消し、チェスターによる哀愁感あるロック・バラードが前面に出た作品になった。

通常はマイクがラップ、バックコーラスを、チェスターがメロディック、ロック、シャウトを担当する。この様な2ボーカルによる明確な役割分担が、緩急ある曲展開を成す要因となっている。

バンドサウンドよりも打ち込みとサンプリングを多用したオケ作りをすることが多い。そのキャッチーさからコアなファンのみならず多くのリスナーの支持を得ている。

歌詞中には、fuckなどのいわゆる"Fワード"が2ndアルバムまで含まれていないことも特徴。(3rdアルバムの一部の曲(ギヴン・アップ等)には含まれる為、これについては海外ではFワードのないclean版も発売される)


[編集] 受賞歴
2001年
Kerrang Awards / Best International Newcomer[14]
Finland's Emma Awards / Best Foreigner Artist of The Year
2002年
第44回グラミー賞 - 最優秀ハード・ロック・パフォーマンス (『Crawling』)
ECHO Awards - Best International Nu-Metal/Alternative Artist
MTV Video Music Awards - 最優秀ロック・ビデオ (『In the End』)
Swedish Hit Music Awards - Best Foreign Rock Group
MTVヨーロッパ・ミュージック・アワーズ - ハード・ロック最優秀グループ
2003年
アメリカン・ミュージック・アワーズ - オルタナティヴ・ロック最優秀アーティスト
MTV Video Music Awards - 最優秀ロック・ビデオ (『Somewhere I Belong』)
2004年
MTV Video Music Awards - Viewer's Choice Award (『Breaking The Habit』)
Radio Music Awards - Artist of the Year - Rock Radio
Radio Music Awards - Song of the Year - Rock Radio (『Numb』)
2005年
MTV Video Music Awards Japan - 最優秀グループビデオ (『Breaking The Habit』)、最優秀コラボレーションビデオ (『Numb/Encore』)[9]
2006年
第48回グラミー賞 - 最優秀ラップ/ソング・コラボレーション(『Numb/Encore』)
2007年
MTVヨーロッパ・ミュージック・アワーズ - 最優秀バンド[15]
アメリカン・ミュージック・アワーズ - オルタナティヴ・ロック最優秀アーティスト





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