☆豪快フォーム「黒田二世」☆
広島東洋カープ、今井啓介選手のコミュニティ。
背番号 62
生年月日 1987年5月24日 ふたご座
投打 右投右打
球歴 中越高ー広島(06)
入団 06年2巡 入団2年目
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彼は、小学校から新潟の栃尾では有名らしく「栃尾に剛腕投手が現れる」と話題になる。走攻守どれも当時からグンを抜く。そのため、かなり彼のワンマンチームで・・・。四球で試合を壊すのが彼なら、チャンスで打って試合を決めるのも彼でした。
中学では中学二年の時の大会で負けて当時の三年生の中学野球を終わらせてしまい涙を流し成長。その秋の大会では優勝にチームを導いていました。最終的には県大会上位までいきました。しかし、最後の試合を壊したのも彼らしいですが・・・。当時の中学校の監督の紹介で中越高等学校で当時監督を務めていた本田仁哉が直々にスカウトし、同校に推薦入学。
ストレートは高校1年時から最速137kmをマークするなど、身体能力は非凡だった。1年の夏からベンチ入り。今井、坂爪、五十嵐の140kmトリオで有名だった。高校3年時には最速146kmにまで球速が上昇。スライダーを覚えたことで投球の幅が拡がり、2005年夏の県大会では計42回1/3を投げて50奪三振を記録。打者としても決勝で3ラン本塁打を放つなど、センスの良さを見せた。しかし決勝戦では新潟明訓高で敗れ、結局3年間で甲子園に出場することはできなかった。
素材を認める指導者から多くの助言を受け、フォームも何度か変えた。高校最後の大会前に開き直り、「自分の好きなように最も力が入る投げ方にしたら、制球もよくなった」。自分を信じた成果が出た。またそのフォームは、左脚の上げ方、グラブの位置、ひじの高さなどエースの黒田博樹とよく似ている。2008年は初めて二軍で一年間先発ローテーションを守りぬいた。チーム最多の6勝、リーグ最多の104回1/3を投げたが、四死球が66個と多く制球力に課題を残した。秋季キャンプでは初の一軍練習に参加。まだまだ粗さと課題が多いものの将来のエース候補だ。
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広島カープ ドラフト2005
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