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ストーン・コールド

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詳細 2017年5月9日 08:38更新

ストーン・コールド・スティーブ・オースチン

ストーン・コールド・スティーブ・オースチン(Stone Cold Steve Austin、1964年12月18日 - )は、アメリカにあるWWEプロレスの所属レスラー。アメリカ合衆国テキサス州ビクトリア生まれ。本名スティーブ・ウィリアムス(Steve Williams)

プロフィール
高校、大学ではフットボールの選手として活躍し、学業も優秀であったが北テキサス州立大学の研究論文に嫌気がさし卒業間近で中退。その後貨物会社に就職するが2年で退社し子供の頃夢中になっていたプロレスラーを志す。

ダラスでクリス・アダムスの指導を受け、1989年に本名のスティーブ・ウィリアムスの名でデビュー。

USWAでそのクリス・アダムスとの抗争をしていたが、当時USWAに殺人医師のニックネームで知られる同名のレスラースティーブ・ウィリアムスがいたためにリングネームをアメリカの人気TVドラマシリーズ600万ドルの男の主人公の名前であったスティーブ・オースチンに変更したが、レスラーとしてなかなか成功しなかったためこれまでのベビーフェイスからヒールに転向し、同時に“スタニング”スティーブ・オースチンというリングネームに再度変更した。

その後の活躍が認められ1991年にダスティ・ローデスにスカウトされてWCWと契約。ブライアン・ピルマンとのタッグ「ハリウッド・ブロンズ」としてWCWタッグ王座を獲得。US王座、TV王座も獲得し活躍したが1995年の日本ツアー中の新日本プロレスでの試合で上腕三頭筋を負傷し故障するとWCWの副社長エリック・ビショフは早々とオースチンを解雇。WCW解雇後ECWに3ヶ月スポット参戦。


WWF入団後
ECWでの活躍に目をつけたビンス・マクマホンにスカウトされ1995年WWFと契約。リングマスターのリングネームでテッド・デビアスと組みヒ−ルとしてデビューしたが人気が出なかった。

その後オースチンの感情をそのまま出すことができるキャラクターストーン・コールド・スティーブ・オースチンへとギミックを変更。スキンヘッドにし、缶ビールをリング上で飲み、相手に中指を立て、連続殺人犯をモチーフとした凶暴で手をつけられないキャラクターは単なるヒールレスラーではなく、邪魔をする者は誰でも叩きのめすというキャラクターであり人気が出た。

1996年にはジェイク・ロバーツとのスキットで生まれたオースチン3章16節というフレーズが大ヒット。

1997年にはブレット・ハート率いるハート・ファウンデーションと抗争。

1998年のWrestleMania XIVに向けたストーリーではマイク・タイソンを挑発。この年以降始まるWWFのアティテュード路線でオースチンはWWF社長のビンスと抗争を繰り広げる。ビンスとの抗争は視聴者が権威や人気に太刀打ちできない実生活の鬱憤を晴らす最高のストーリーとして大ブームを巻き起こし、オースチンが毎週登場するRAWはアメリカケーブルTVで最高視聴率を打ち出した。

1999年のビンス・マクマホン、シェイン・マクマホン、ザ・ロックらの「コーポレーションズ」との抗争では、製氷車、ビール配送車でリングに登場したり、ザ・ロックのリムジンを破壊するなどして人気を博した。特に、ビール配送車でリングに登場したシーンは、2003年に行われたロウ10周年特番で、ファンが選ぶ10年間の名シーン第一位に輝いている。1999年後半から首の怪我でサバイバー・シリーズ以降休業。2000年のノー・マーシーにてWWF復帰。

怪我から復帰後も引き続きWWFの中心キャラクターとして活動を続け、2001年に入りカート・アングルと抗争する。またWWF本隊とWCW/ECW連合軍であるアライアンスの抗争ストーリーではアライアンス側に属してビンスらと抗争を行う。

2002年にはWWFで復活したnWoのスコット・ホールらと抗争を行う。しかしながら、長年の活動により首、膝、背中などが故障していたことや、nWoとの抗争ストーリーなどに不満を持ち2002年6月で一旦WWFを離れる。また同月には妻のデブラへのDVで逮捕された。


WWE時代
2003年にWWEへ復帰するが、同年のレッスルマニア19にてザ・ロックに敗北。レスラーは「引退」してエリック・ビショフと共にRAWの共同GMに就任する。ビショフがヒールのGMを演じたのに対し、オースチンはベビーフェイスのGMを演じた(但し基本的なギミックは以前から何も変えていない)。両者は次第に対立し、2003年のサバイバー・シリーズにて行われた敗者追放マッチにて両GM軍が対決した。結果オースチン軍が破れ、オースチンはGM職を退いた。しかし同年のクリスマスには、ロウの保安官として番組復帰する。

2004年にはレッスルマニア20にてブロック・レスナー対ビル・ゴールドバーグの特別レフェリーを務めたが、同年に過去のDVにより逮捕され、WWEを解雇される。

2005年のレッスルマニア21を前に再びWWEに復帰。元ECWであったこともあり、ECW ワン・ナイト・スタンドへも登場。またRAWで行われたモハメド・ハッサン対シェルトン・ベンジャミンのIC王座戦にゲスト登場。試合後ハッサンとマネージャーのデバリにスタナーを食らわせた。

2005年の10月に行われたRAWの特番、WWE・ホームカミングにおいてマクマホン一家全員にスタナーを食らわせた。またこれをきっかけにしてロウ解説者であるジム・ロス解任ストーリーが始まった。実際にはジム・ロスは腸の手術の為に解説を降板だが、ストーリー上はオースチンのスタナーを止めに入らず、またそのことをマクマホン一家に謝罪しなかったことが理由での解雇である。プライベートでもジム・ロスの友人であるオースチンが、解雇撤回ならびにジム・ロスの解説復帰をかけてPPVタブー・チューズデイにてジョナサン・コーチマンと久しぶりに試合を行う予定であった。しかしオースチンはPPV直前に突然WWEを退団し、ジム・ロス解任ストーリーも途中で終了することとなった。この時はPPVでのストーリー内容に不満を持ったと言われていたが、後にWWE側からオースチンの復帰を発表。コーチマンとの対戦をキャンセルした理由はストーリーへの不満ではなく、「PPVの数日前、自宅で家具を移動させたときに腰を痛め、試合を行うのが不可能になったため」とある。

2006年4月1日、ブレット・ハートのWWE殿堂入りのインダクターを務めるに際し、久々にWWEへ登場した。


必殺技
ストーンコールドスタナー

その他の得意技
ルー・テーズ・プレス(フライング・ボディー・シザーズ・ドロップ)
スタナーと並んで使用頻度の高い技。ここからフィスト・ドロップに繋げるのが定番ムーブ。

ミリオンダラー・ドリーム(コブラクラッチ)
リングマスター時代の必殺技。ストーンコールドに変身後も数回のみ使用。


決め台詞
And that's the bottomline,cause Stone Cold said so.(そこのところが肝心だぜ、ストーン・コールドがそう言ってんだからよ)
Austin 3:16 said whoops your ass(オースチン3章16節曰く、てめぇのケツをヒーヒー言わせてやるぜ)
元々はクリスチャンギミックを演じていたジェイク・ロバーツとの構想時にロバーツの「聖書3章16節曰く・・・」という台詞のパロディで発した言葉。
What?(はぁ?)
彼がマイクパフォーマンスで一言発する毎に観客が「What?」と叫ぶのが通例になっている。
Don't trust anybody(誰も信用するな)

タイトル履歴
WWE
WWF王座 : 6回
WWF世界タッグ王座 : 4回(&ジ・アンダーテイカー、ショーン・マイケルズ、ミック・フォーリー、トリプルH)
IC王座 : 2回
1997年、1998年、2001年ロイヤルランブル優勝


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開設日
2006年10月25日

4010日間運営

カテゴリ
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