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泉谷しげる登場

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詳細 2024年3月14日 22:57更新

泉谷 しげる(いずみや しげる、本名:泉谷 茂(いずみや しげる)、1948年5月11日 - )は、日本のフォークシンガー、俳優、タレント。青森市出身の両親の元で生まれ、東京都目黒区で育つ。

東京都立目黒高等学校中退後、いろいろな職についたが長続きせず、当時神様といわれた岡林信康に衝撃を受けフォークシンガーを目指した。
この頃には漫画雑誌『ガロ』に投稿し、漫画家を目指そうとしていた。

エレック時代
1971年にライヴアルバム『泉谷しげる登場』でエレックレコードからデビュー。
古井戸(加奈崎芳太郎・仲井戸麗市)、ピピ&コット(佐藤公彦・よしだよしこ)、生田敬太郎らと唄の市コンサートに参加。
このころ、よくライブでRCサクセションや古井戸と一緒にライブをやる。
よしだたくろう退社後の看板スターとして、エレックを支える。
1972年セカンドアルバム『春夏秋冬』をリリース。タイトル曲"春夏秋冬"は彼の代表曲となる。
その後も、『地球はお祭りさわぎ』(1972年)、『光と影』(1973年)をリリース。中川イサト、西岡たかしとの連名アルバム『友だちはじめ』(1973年)や、イエロー、ラストショウを従えロック色を打ち出した傑作アルバム『黄金狂時代』(1974年)を発表したのち、エレックレコードを去る。
『白雪姫の毒リンゴ』、『おー脳!!』、『眠れない夜』、『Dのロック』、『寒い国からの手紙』、『うられうられて』、『火の鳥』、『戦争小唄』などがエレック時代の楽曲である。
のちに、デビュー前のスタジオ録音デモテープ集がアルバム『ベースメント・テープス』として発表される。
また、フォークシンガーとしてデビューする際に、東京都出身では、ハクがつかないので、エレック社の方針で、青森出身、として売り出した。(アマチュア時代に出演していたライブハウス『青い森』に由来する。)

フォーライフ時代
1975年、小室等、井上陽水、吉田拓郎とフォーライフ・レコードを設立。その第1弾アルバムとして『ライブ!!泉谷-王様たちの夜-』(1975年)を発表。
フォーライフ4人衆の連名ライヴアルバム『クリスマス』発表。
1976年アルバム『家族』、『イーストからの熱い風』(1976年アメリカ録音のライヴアルバム)を次々と発表。
1977年、ストリート・ファイティングメンをバックバンドにしたロックアルバム『光石の巨人』(1977年)を発表し、これを最後にフォーライフレコードを去る。
吉田拓郎らの歌謡曲フォーク路線に嫌気がさした説や、当時「テレビ出演拒否派」の代表だった陽水や拓郎が「テレビ出演推進派」の泉谷にクレームをつけたなどの説がある。
『野良犬』、『土曜の夜君と帰る』などが代表曲。

1970年代末・ワーナー時代
加藤和彦プロデュースのアルバム『’80のバラッド』、『都会のランナー』を発表。『褐色のセールスマン』、『翼なき野郎ども』、『デトロイト・ポーカー』、『波止場たち』などがこの時代の泉谷の生み出した名曲である。
このころの泉谷作品は、ゆったりとしたロック・ヴォーカルを志向。加藤和彦もゲストヴォーカルで参加。

1980年代前半・ポリドール時代
石井聰亙映画『狂い咲きサンダーロード』にて美術を担当。また音楽として『電光石火の銀の靴』、『翼なき野郎ども』、『国旗はためく下に』の各楽曲を提供。
ニューウェイヴ志向のバックバンド"BANANA"を従えた『オールナイト・ライヴ』を発表。
今村昌平映画『ええじゃないか』タイトル曲『ええじゃないか/IBO!今夜は徹夜だぜ』発表。
ポリドールと契約後、スタジオアルバム『NEWS』、『39°8′』、『EREVETOR』、ライヴアルバム『REAL TIME』発表。
『SEDAI』、『1900s』、『メディア』、『FRONT』がこの時代の曲。デジタル志向が強い。

1980年代後半〜1990年代
自主制作ミニアルバム『スカー・ピープル』発表。吉田健・村上”ポンタ”秀一(ドラム)を中心としたLOSERをバックバンドに活動。仲井戸麗一も参加。アナログ志向を全面に打ち出す。
ビクターからアルバム『吠えるバラッド』『SELF COVERS』『HOWLING LIVE』『’90sバラッド』『叫ぶひと囁く』『下郎参上(下郎名義)』『WILD BLOOD』を次々と発表。
『春夏秋冬(リメイク版)』・『長い友との始まりに』・『野生のバラッド』・『のけものじみて』・『ハレルヤ』・『極楽楽土』・『クレイジーラヴ』などが代表曲。
この当時、テレビ大阪の番組『竜馬で行く!』のメインパーソナリティーを努める(共演:太平サブロー、越前屋俵太)。
氷室京介のソロデビューアルバム『FLOWERS for ALGERNON』に収録の『独りファシズム』の作詞を担当。
北海道南西沖地震被災者救援のために「一人フォークゲリラ」と称したゲリラライヴを日本各地で敢行。その模様は自主制作ライヴ盤として発表。シングル『なぜこんな時代に』『激しい季節』は被災した人たちへの応援歌。
1995年1月の阪神・淡路大震災発生の際は、いち早く被災者救援のために立ち上がり、震災当日の夜から「お前ら募金しろ!」と言うフレーズでゲリラライヴを日本各地で敢行。また震災直後の神戸に入り、オールナイトニッポンの特番で被災者の生の声を中継した。その功績により、年度終盤にもかかわらず1994年度(第32回)ゴールデン・アロー賞特別賞受賞。
北海道南西沖地震・長崎普賢岳噴火・阪神大震災のチャリティーライブを開いた際には、忌野清志郎・小田和正・吉田拓郎・さだまさし・大江千里ら多数のアーチストが駆けつけている。

1990年代末から2004年現在
2001年のアフガニスタン侵攻のとき都内でゲリラライヴを敢行した。
また派手な毒舌を交えた辛口の歌いっぷりや評論も人気。
メジャーレーベルと自身のIZレーベルからアルバムを並行リリースしている。
2004年、ガガガSPのコザック前田とのユニットでシングル『生活』もリリース。

ラジオパーソナリティー・TVレギュラー番組

現在の出演番組
現在はなし。ゲスト出演が中心。

過去の担当番組
オールナイトニッポン
カメカメ合唱団……亀淵昭信らとの企画ものユニット。
ニッポン放送・泉谷しげるの土曜はまかせろ!!
アシスタント・野田幹子
セント・ギガ放課後の王様
サテラビュー向けに放送されたラジオ番組。浜崎あゆみとともに週1回パーソナリティを担当。
文化放送・泉谷しげるのミュージックバトル!(2005.03終了)
泉谷しげるの内角高め危険球(JFN)
YTV「オモシロ好奇心☆どろんぱ!」(毎週土曜日 12:00〜13:00、関西ローカル)         

ゲスト出演
坂崎幸之助のオールナイトニッポン

石川よしひろと。

俳優

映画
今村昌平映画『ええじゃないか』出演。
石井聰亙監督映画『爆裂都市 バースト・シティ』「黒沼」役
桑田佳祐監督映画『稲村ジェーン』で床屋の主人役
小田和正監督映画『緑の街』では頑固一徹の照明担当「しげさん」役
(ちなみに、同姓同名「泉谷しげる」という映画照明担当者が実際にいる)

『ゴジラ FINAL WARS』(2004年、東宝)

テレビドラマ
頑固親父的役柄が多い。

土曜ワイド劇場 戦後最大の誘拐 吉展ちゃん事件(テレビ朝日 1979年6月30日)(文化庁芸術祭優秀賞、テレビ大賞、芸術選奨文部大臣新人賞、第17回ギャラクシー賞、第20回日本テレフィルム技術賞受賞作品)
金曜日の妻たちへ
Dr.コトー診療所
ケイゾク
天国にいちばん近い島
さくらももこランド・谷口六三商店
愛し君へ
めだか
エンジン(テレビドラマ月9)
相棒(テレビ朝日 田端甲子男役)
電車男(フジテレビ 酔っ払い役)
女王の教室(日本テレビ・2005年7月〜2005年9月)
恋の時間(TBS・2005年10月〜12月)
クロサギ(TBS/2006年4月〜6月)(ヒロイン・吉川氷柱の父親辰樹役)※ゲスト出演

アニメ
映画『ドラえもん のび太のワンニャン時空伝』(ネコジャラ)
映画『平成狸合戦ぽんぽこ』
映画『モンスターハウス』(近所の怖いハゲじじい)

画家
ポップな作風のアートを披露。エレック時代のアルバムの再発版のアートワークは、泉谷自身のデザインに改訂されている。
映画『狂い咲きサンダーロード』では美術を担当。不良たちの独特な世界を演出。

タレント
筋書きのある“乱入”が演出されていることが多い(オープニングから出ているのに新聞のテレビ欄には「泉谷乱入!」と書かれるのが常である)。
最近は「孫を溺愛中」という一面も出てきており、番組内で泉谷が暴走すると、他のタレントがすかさず「お孫さんが見ています」と言って暴走を止めるパターンが増えてきている。
デーモン小暮閣下曰く、「気は真面目なおっさん」だそうである。また小田和正の泉谷評は「あいつはシャイだから」。武田鉄矢は自身の著書で泉谷を「歌と共に生きている男だ」と評価。泉谷は、誉められることを「イメージダウンになる」と嫌う。
明石家さんまが「芸能界のボブ・サップ」と呼ぶぐらいの乱暴なイメージがあるが、若手時代は公私共に無茶苦茶だったそうだ。だが、一度飲み屋で吉田拓郎と大喧嘩になった際、喧嘩に負けたというエピソードがある。この喧嘩の仲裁に入ったのが森山良子であり、泉谷曰く「森山良子が世界で一番恐い」。
意外な事に酒は一滴も飲めない。『笑っていいとも!』などでそのことをよくタモリに突っ込まれ、怒った表情でタモリにからみつくのがお決まりのパターンである。
子供の頃から風邪を引きやすく、しょっちゅうお腹を壊していたらしい(本人談)。そうした「弱い」自分への反発から「過激な」キャラクターに憧れ、それをモノにしたと言える。
非常に正直な一面があり、『食わず嫌い王決定戦』において、嫌いなものを口にした瞬間に、口から吐き出す事があった(後述)。

ゲスト出演
土曜ショー
『戦争小唄』『先天性欲情魔』の放送禁止歌を歌って番組を墓場行き(打ち切り)にした。また、番組中放送された生コマーシャルそのものと、それで紹介された商品(焼き鳥缶詰)に「やるんじゃねぇ!!」「美味いわけないだろうが!!」とクレームをつけスタジオを凍りつかせている。
オレたちひょうきん族
盟友・忌野清志郎と鹿の格好で『奈良の春日野』を踊り、その後かなづちでセットを破壊。
とんねるずのみなさんのおかげでした「食わず嫌い王決定戦」
吉川ひなのと対戦したが、なんとキャビアを食べている最中に「まいった。」と実食を待たずに降参した。一瞬何のことか出演者もわからなかったが、本当に負けを認めたことがわかると、スタジオは前代未聞の珍事に爆笑の渦となった。後にも先にも実食せずに投了したのは泉谷ただ1人である。その後ボタンエビ、水ようかんで立て続けに連敗。2006年9月28日放送の『最弱王決定戦』で大竹しのぶと対戦するも1回目で降参(すっぽん鍋)。ただし大竹も1回目(ロースカツ)で降参。両者引き分けで終る。いずれにしても、苦手なメニューに対しては顔から汗が出て水をがぶ飲みする所作で、あっけなく相手に見破られてしまう。
恋のから騒ぎ
小林麻耶(現在TBSアナウンサー)に靴を投げつけて泣かす。
とくダネ!発 GO-ガイ!
阪神ファンを評して「金正日に熱狂する北の民衆みたいだぜ、全く…。」と発言し、顰蹙を買う。
HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP
泉谷が出る少し前に同番組にゲスト出演していた松山千春について「何であんなヤクザ出すんだよ!!」と言い放ち、ダウンタウンが「だけど結構みんな千春さんの歌を聴きたがっていた。」と説得するも、「あんな顔で聴きてぇかよ!!」と一蹴。
スーパーフライデー オールジャパンベスト20(TOKYO FM)
番組パーソナリティである山本シュウの携帯番号を生放送で繰り返し暴露。おかげで山本の携帯にリスナーからのいたずら電話が殺到し、山本は番号を変えざるをえなくなった。

CM
現在放送中のものを挙げる
東日本ハウス(全国放送)
マルボシ酢(福岡ローカル)
この会社の社長が泉谷のファンであり、社長自ら泉谷に出演を要請した。
オリエント貿易
アサヒ飲料「WONDA100年BLACK」
[編集]
その他
大人時間
SKY PerfecTV!、SKY PerfecTV!110のプロモーションチャンネルで放送のトーク番組。KONTAとともに司会を務める。
2004年、厚生労働省作成の「虐待から子供を守るための5カ条」のポスターに、「許せねぇ、児童虐待」とのキャッチコピーとともに登場。

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2006年10月15日

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