まだ詳細は決めていません。
ここで私がやりたいのは、
宗教ではなく、ラブ&ピースでもなく、
ワクワクでもなく癒しでもない、
夫々の地に足のついた、
気さくで日常的な生活道の照し合いです。
例えばシガナイ絵描きのある日の示唆に富んだエピソードの話題が、
翌日の豆腐屋の二代目に昨日よりちょっと美味い豆腐を作らせたとか、
接客の奥深さを垣間見たコンビニ店主の心温まるエピソードの話を持ち帰った造り酒屋の旦那が温厚になって、
今年の樽からは不思議に芳醇な酒が出来たとか.....
そうやって、家々の父ちゃんの仕事が、
夫々のささやかな一隅を欠け替え無く照し、
世の中に所を得るだろう。
妻や子が父ちゃんの家業に誇りを持つことを得るなら、
家庭に優しい秩序と絆も芽生えよう。
そうして一流企業の部長でなく大工の息子である事をもって引け目に思うことが不要なら、
皆と一緒でない家業の事こそは誇りとこそ思え恥ず事はないだろう。
そうすれば何時の日か横並びでない事は虐めの理由にはなり難くなるだろう。
漠然とだが、
何かの方法で、教義でもなく、
朝にお日さまにポンポンとやるような心地の、
この半世紀に失われて来た日本人の当たり前の生活センスを、
素顔の日本人同志で、村の青年団みたく、
この「公民館」に酒でも持ち寄って話し合って、
再獲得出来たらと思っています。
まだ、何をどう進めるかも決めてません。
解っている事は宗教みたいな下達じゃなく、
喜ばしい生活道の自然な伝播が世の中を変えて行くのかも知れないという事。
仮に地球に危機が迫っていたとしても、
オレは最高最勝の教えに着いたから大丈夫、
あの祈りこそが効果的、という妙な競争は、
昨日までの受験、就職エリートゲームと何ら選ぶところは無いという事。
全ての人が墨衣や白装束になる事が地上天国ではないのは、
毎年学校を出た若い人が全てリクルートスーツに身を包む事が異常であるのと同様だろう。
ユリもレンゲも全てが出揃った野原こそが欠けず余らずの天国と信ずるから、
最後の一人になってもオレは自分の耕すべき田で鍬する方を選ぶと言ってくれる様な仲間が、
私は欲しい。
海にも丘にも町にも、ひとり、またひとりと、
殖えて欲しい。
そうして、この取り立てて言うほどのことでもない、
極く当たり前の喜ばしい生活道を共にする者と家族達、何時か手を取りあい、一つの日向の下に置かれて
共に笑いあいたいと思う。
今はまだそれしか言えない。
直ぐに動くかどうかも解らない。
何も決めてはいないけれど、
このシガナイ一職人の考えに、十年でも二十年でも賭けてとことん付きあっても好いかなと思えたら、ノックしてみて下さい。
※今は非公開ですが、時機を見てゆくゆく公開出来る様にして行きたいと思っています。
※題字は故中島須賀法先生に依る「敬天愛人」です。