大友進を応援するコミュニティです♪
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【経歴】
右投左打、ポジションは外野手。背番号は37→38番。
1974年6月18日生まれ。A型。茨城県出身。
日立工高から東京ガスを経て、1996年、ドラフト2位で西武ライオンズに入団。
1年目後半戦から1軍で活躍し規定打席未満も打率3割をマーク。
1997年、1998年には松井稼頭央と1・2番コンビを組みチームのパ・リーグ優勝2連覇に貢献。
1998年、1999年には2年連続でゴールデングラブ賞を受賞した。
1999年 オールスター出場
西武ドームで行われた第1戦では初打席でランニングホームランを打った。
2005年、正津英志、宮越徹との交換トレードで玉野宏昌と共に中日ドラゴンズに移籍。
同年、現役引退。
2006年、埼玉県の社会人野球クラブチーム「一球幸魂倶楽部」の選手兼任コーチに就任。
また、ゴルフの指導者を目指し、資格取得への道を模索している。
【成績】
Year Team 試合数 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 打率
1996 西武 62 226 68 3 19 15 .301
1997 西武 128 460 128 5 45 31 .278
1998 西武 129 394 106 2 31 13 .269
1999 西武 130 415 112 4 26 13 .270
2000 西武 82 238 58 2 19 4 .244
2001 西武 35 64 12 1 4 2 .188
2002 西武 64 153 36 1 10 2 .235
2003 西武 14 28 3 0 0 0 .107
2004 西武 出場機会なし
2005 中日 18 27 5 0 1 0 .185
【特徴】
・双子の弟・猛がおり、東京ガス時代までともにプレーしていた。兄弟一緒のプロ入りの話もあったがプロ入りを果たしたのは進ひとりであった。
・右投げ左打ち。かつてはスイッチヒッター転向を試みていたことも。
・その俊足と、たとえそこにフェンスがあろうとも捕れそうならば打球に積極的に飛びついてゆくことによる、広くかつ攻撃的な守備範囲が特徴。
ダイビングキャッチを実際に試合でする選手も実はそう居るものではない。
・ユニフォームはストッキングを長く見せる着方をしており、ひざ辺りから下は青のストッキングが露出している。しかし打撃不振など、自信が無い状態の時にはストッキングは露出していない時もある。
・アンダーシャツの襟の部分やバッティング用の手袋など、多くの選手が自分の名前を入れている部分には"Sioux"という文字を入れている。
これは英語で"すー"と読む単語で、インディアンのスー族を意味する言葉である。
・西武ドームで打席に入る際に流れる曲はスタン・ハンセンのテーマこと"サンライズ"。
・2000年8月7日、グリーンスタジアム神戸にて捕球した際にフェンスに激突したり、打球に飛びついた際にバランスを崩して着地するなどして右肩関節唇を損傷。
同8日に出場選手登録を抹消。そのままシーズン終了まで欠場し、オフに右肩を手術した。
・右肩負傷による欠場期間中、松井稼頭央選手のヘルメットに背番号37がずっと貼られていた。また2000年シーズン終盤にはデニ−選手の帽子にも背番号37が小さく書き込まれていた。
・ZETT社と専属契約を結び、用具の提供を受けている。
2000年にスワローズの古田捕手と共に同社のテレビCMに出演。
2001年には大友進モデルのバッティンググラブが発売された。
・いまでこそ恒例となった豊田登板時の儀式の1つ。マウンドに上がってからプレイがかかるまでの間に帽子のつばに手をやり外野手達に挨拶する豊田。そしてそれを見て同じようにそれを返す外野手達という光景。
この光景は、かつてはセンターに入っていた大友しか気付いていなかったために大友以外は誰も挨拶し返してはいなかったという過去を持つ。
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