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[異説] 超古代文明 [オカルト]コミュの謎の富士高天原王朝

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富士北麓は太古、高天原と呼ばれ、そこには神都・家基津(かきつ)という壮麗な古代都市があった。しかし、大和朝廷が勃興して以降、富士の神都は衰微していった。そして、平安時代の延暦19年(800)、富士山が大噴火した際に神都の史跡はことごとく溶岩の下に埋もれてしまった。阿祖山大神宮はその後も継続し、南北朝時代には南朝方の隠し本陣が置かれたこともあるが、江戸時代に領主の弾圧を受け、ついに廃絶したしかし、その古文書・古記録は宮司の宮下家に保管され、かろうじて現代まで残されてきた。
 その古文書・古記録、すなわち『富士宮下文書』のダイジェスト『神皇紀』が大正10年(1921)に発表されると、マスコミはいっせいに注目した。
大正11年には政治家・高級軍人・東大教授・早稲田大学教授などの名士たちにより、『富士宮下文書』の研究を目的とする財団法人富士文庫が設立される。ところが、学界の人士が多数参加したにも関わらず、富士文庫はさしたる成果もあげないまま解散した。
 富士文庫の一員・神原信一郎(1882〜1945)は、東京電灯会社で富士山麓の治水管理に携わった地質学者であり、建築ファンには猿橋水路橋(山梨県大月市猿橋町)の設計者としても有名だ。その神原は富士文庫設立に先立つ大正6年(1917)に『富士宮下文書』の富士山噴火記録・古代地形記事を検証し、その正確さに太鼓判を押している。
 また、一説に家基津には黄金で作られた巨大神殿があったという。さらに富士北麓では、太古、空飛ぶ戦艦による空中戦が展開したという伝説もある。あるいは、家基津の後には莫大な財宝やロストテクノロジーの遺産が今も眠っているのかも知れない・・・

 これが富士高天原王朝伝説の概要です。『富士宮下文書』はすべて写真にとられ、1986年に影印版として八幡書店から出版されました。『富士宮下文書』は古史古伝で唯一、その全体像が一般に公開された史料なのです。また、黄金巨大神殿や空飛ぶ戦艦による空中戦の話はいくつかのコミックにとりあげられており、そちらでその話を読んだという方もおられるかも知れません。

 ところでなぜ富士文庫はさしたる成果もあげることなく解散したのでしょう。それというのも、『富士宮下文書』は実際に古記録・古文書を日頃扱っている者の目にはお話にならないような稚拙な偽書だったからなのです。『富士宮下文書』に地質学的裏付けを与えたとされる神原でさえ、その中に多数の偽文書が含まれていることを認めていました。
 また、大正時代に神原が想定した古代地形の変遷は、現在の地質学的研究ではすべて否定されています。つまり現時点では、神原の研究を根拠に『富士宮下文書』の地質学的記述の正しさ、ひいては神都・家基津の実在を主張することはもうできないわけです。

 では、黄金巨大神殿や空飛ぶ戦艦による空中戦の話はどこからきたのでしょうか。実はこれらの話の出典は『ムー』第62号(1982年1月号)に掲載された「超文明“富士高天原”の復活」です。実はこの記事は実際の『富士宮下文書』の話をオカルト的に大きくふくらませ、創作を交えて描かれたものです。黄金巨大神殿や空飛ぶ戦艦による空中戦はその創作部分でした。なぜ、そう断言できるかというと、実はこの私こそ八幡書店社員(当時)として先に述べた影印版の広告のため、富士高天原王朝の“伝説”に尾ひれをつけて『ムー』に持ち込んだ当の本人だからです。

 富士山周辺は縄文時代などの遺蹟も多く、考古学的にも興味深いところです。ただし、『富士宮下文書』が偽書であり、富士超文明の話が創作である以上、そうした実際の遺蹟と富士高天原王朝の話はいったんは分けて解釈した方がいいでしょう。

コメント(7)

『富士山』の伝説の事かな?
私が聞いた話では、
昔、天女から不死の薬を貰った老夫婦が、不死になる薬を焼き捨てた山が、富士山だったとかあせあせ
故に、不死=富士になったとか・・たらーっ(汗)《天女の羽衣話の原形か?》
他に、秦の始皇帝が『不老不死の薬』を求めて、
蓬莱島[日本]へ、徐福exclamation & questionという方術士を送ったとか富士山の近くにある静岡県では、徐福伝説が多数あり《この話のネタは、某有名マンガの人物設定にたらーっ(汗)
あと、鎌倉時代の話で
『吾妻鏡』という書物の中に、富士山?富士の樹海?の下に、極楽浄土があるという話があったとか・・あせあせ
>1

我不知道老師様

>昔、天女から不死の薬を貰った老夫婦が、不死になる薬を焼き捨てた山が、富士山だった<

『竹取物語』ですね。ただし、「ふじ」の由来については不死ではなく、武士が大勢集まった山だったから「富士」と説明しています。

>徐福伝説

富士の徐福伝説は静岡側だけでなく山梨側にも伝わっています。実は『富士宮下文書』の原本は最初に徐福が書いたという話になっているんですね。くわしくは『トンデモ日本史の真相』という本で書きました。


>『吾妻鏡』という書物の中に、富士山?富士の樹海?の下に、極楽浄土があるという話があった<

富士の人穴の話です。ただし『吾妻鏡』はあくまで説話の原形を提供しただけですが。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E7%A9%B4
>2
成る程たらーっ(汗)偽史学博士さん
良い情報をありがとうございますわーい(嬉しい顔)
しかし、富士山には、色々な話がありますねあせあせ
パワースポットであり、心霊スポットでもあるとか・・・
あの広大な富士の樹海の下には、何かの遺跡があるかもしれませんね。
個人的な意見ですがたらーっ(汗)
あの樹海で、ボーリング地質調査でもしてくれたら、良いですねうれしい顔
もし、遺跡か何かの痕跡が見つかれば『ムー』に掲載してあった事が、正しいと証明出来ますねわーい(嬉しい顔)
>遺跡か何かの痕跡が見つかれば『ムー』に掲載してあった事が、正しいと証明出来ますね
いやまあ遺跡(超古代の、とかではなく縄文〜弥生期のちょっとした集落跡とか、それより後の神社遺構とか)がある可能性は否定しませんが、ムーの記述証明もなにも、それを捏ち上げた御本人が創作であることを打ち明けてらっしゃるわけでw
>4
創作ですかあせあせ
創作されていても、歴史的なロマンを感じるますねわーい(嬉しい顔)
仮に、創作だとしますと、小説『妖魔シリーズ』というのがあるのですがあせあせ
その小説の中に、富士の下に地底の国があるとかの話がありましたが・・
その作者は『ムー』に書いてあった記述を参考にして小説に書いたのかな?
それとも、他の書物か?
伝説とかの話を集めて書いたのかな?冷や汗
《小説を書くのにも、資料とか必要ですからあせあせ
しかし、富士の樹海は、
徹底的な地質調査とかは、今だにしていませんねあせあせ
樹海は、遺体探しだけかな?
>5

>小説『妖魔シリーズ』というのがあるのですが
その小説の中に、富士の下に地底の国があるとかの話がありましたが・・
その作者は『ムー』に書いてあった記述を参考にして小説に書いたのかな?<

富士青木が原樹海が舞台になる『妖魔淫獣』は1986年ですから菊地秀行先生がその執筆前に『ムー』1982年1月号を読んでいたとしてもおかしくはないですね。もっとも菊地先生は元ネタをそのまま引きうつすタイプの作家ではありませんから、話を膨らませておられるわけですが。

>徹底的な地質調査とかは、今だにしていませんね

富士青木ケ原樹海では日本地質学会による調査がくりかえし行われています。
http://www.geosociety.jp/faq/content0161.html

航空レーザー計測による地形解析も行われていますね。
http://www.yies.pref.yamanashi.jp/fujikazan/web/P349-363.pdf
http://wwwsoc.nii.ac.jp/kazan/J/koukai/04/3.html
>6
偽史学博士さん
博士さんも、菊地さんの著書のファンなのかな?わーい(嬉しい顔)
個人的には、『魔○都市シリーズ』も好きですね。初期の作品には、クト○ルフ神話をモチーフにした作品もありました『妖○グルメ』おっと、話が脱線してすみません。m(__)m
話は戻りますが
富士山周辺は、博士さんの言う様に、一応、調査されたのですねわーい(嬉しい顔)

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