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原始仏典コミュの因縁相応 「縁起」13 六内外処

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(続き 『南伝大蔵経13 相応部経典2』大蔵出版 P105−111 に相当)





「   第三 苦

43.サーヴァッティに住んでいた。・・・・・・
 比丘たちよ、苦の生起と消滅を説こう。それを聞いてよく考えなさい。説こう。
「はい、先生」とその比丘たちは先生に応えた。先生はこう言った。

 比丘たちよ、何が苦の生起か。
 眼と色を縁として眼識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 比丘たちよ、これが苦の生起である。

 耳と声を縁として耳識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 比丘たちよ、これが苦の生起である。

 鼻と香を縁として鼻識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 比丘たちよ、これが苦の生起である。

 舌と味を縁として舌識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 比丘たちよ、これが苦の生起である。

 身と触れるものを縁として身識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 比丘たちよ、これが苦の生起である。

 意と法(意識する対象)を縁として意識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 比丘たちよ、これが苦の生起である。


 比丘たちよ、何が苦の消滅か。
 眼と色を縁として眼識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 この渇愛を残り無く離貪し滅することによって取が滅する。
 取が滅して有が滅する。
 有が滅して生が滅する。
 生が滅して老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が滅する。
 このようにして完全に苦のまとまりが滅する。
 比丘たちよ、これが苦の消滅である。

 耳と声を縁として耳識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 この渇愛を残り無く離貪し滅することによって取が滅する。
 取が滅して有が滅する。
 有が滅して生が滅する。
 生が滅して老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が滅する。
 このようにして完全に苦のまとまりが滅する。
 比丘たちよ、これが苦の消滅である。

 鼻と香を縁として鼻識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 この渇愛を残り無く離貪し滅することによって取が滅する。
 取が滅して有が滅する。
 有が滅して生が滅する。
 生が滅して老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が滅する。
 このようにして完全に苦のまとまりが滅する。
 比丘たちよ、これが苦の消滅である。

 舌と味を縁として舌識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 この渇愛を残り無く離貪し滅することによって取が滅する。
 取が滅して有が滅する。
 有が滅して生が滅する。
 生が滅して老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が滅する。
 このようにして完全に苦のまとまりが滅する。
 比丘たちよ、これが苦の消滅である。

 身と触れるものを縁として身識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 この渇愛を残り無く離貪し滅することによって取が滅する。
 取が滅して有が滅する。
 有が滅して生が滅する。
 生が滅して老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が滅する。
 このようにして完全に苦のまとまりが滅する。
 比丘たちよ、これが苦の消滅である。

 意と法を縁として意識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 この渇愛を残り無く離貪し滅することによって取が滅する。
 取が滅して有が滅する。
 有が滅して生が滅する。
 生が滅して老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が滅する。
 このようにして完全に苦のまとまりが滅する。
 比丘たちよ、これが苦の消滅である。


 註 集まる サンガティ saṅgati サンガの動詞
   消滅  アッタンガマ atthaṅgama 生起と対で使われる
       ニローダと別語だがほぼ同義



   第四 世

44.サーヴァッティに住んでいた。・・・・・・
 比丘たちよ、世界の生起と消滅を説こう。それを聞いてよく考えなさい。説こう。
「はい、先生」とその比丘たちは先生に応えた。先生はこう言った。

 比丘たちよ、何が世界の生起か。
 眼と色を縁として眼識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 渇愛を縁として執着がある。
 執着を縁として存在がある。
 存在を縁として生まれることがある。
 生まれることを縁として老いて死ぬことと悩むこと・号泣すること・苦痛・苦憂・苦悶が現れる。
 比丘たちよ、これが世界の生起である。

 耳と声を縁として耳識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 渇愛を縁として執着がある。
 執着を縁として存在がある。
 存在を縁として生まれることがある。
 生まれることを縁として老いて死ぬことと悩むこと・号泣すること・苦痛・苦憂・苦悶が現れる。
 比丘たちよ、これが世界の生起である。

 鼻と香を縁として鼻識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 渇愛を縁として執着がある。
 執着を縁として存在がある。
 存在を縁として生まれることがある。
 生まれることを縁として老いて死ぬことと悩むこと・号泣すること・苦痛・苦憂・苦悶が現れる。
 比丘たちよ、これが世界の生起である。

 舌と味を縁として舌識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 渇愛を縁として執着がある。
 執着を縁として存在がある。
 存在を縁として生まれることがある。
 生まれることを縁として老いて死ぬことと悩むこと・号泣すること・苦痛・苦憂・苦悶が現れる。
 比丘たちよ、これが世界の生起である。

 身と触れるものを縁として身識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 渇愛を縁として執着がある。
 執着を縁として存在がある。
 存在を縁として生まれることがある。
 生まれることを縁として老いて死ぬことと悩むこと・号泣すること・苦痛・苦憂・苦悶が現れる。
 比丘たちよ、これが世界の生起である。

 意と法を縁として意識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 渇愛を縁として執着がある。
 執着を縁として存在がある。
 存在を縁として生まれることがある。
 生まれることを縁として老いて死ぬことと悩むこと・号泣すること・苦痛・苦憂・苦悶が現れる。
 比丘たちよ、これが世界の生起である。

 
 比丘たちよ、何が世界の消滅か。
 眼と色を縁として眼識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 この渇愛を残り無く離貪し滅することによって執着が滅する。
 執着が滅して存在が滅する。
 存在が滅して生まれることが滅する。
 生まれることが滅して老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が滅する。
 このようにして完全に苦のまとまりが滅する。
 比丘たちよ、これが世界の消滅である。

 耳と声を縁として耳識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 この渇愛を残り無く離貪し滅することによって執着が滅する。
 執着が滅して存在が滅する。
 存在が滅して生まれることが滅する。
 生まれることが滅して老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が滅する。
 このようにして完全に苦のまとまりが滅する。
 比丘たちよ、これが世界の消滅である。

 鼻と香を縁として鼻識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 この渇愛を残り無く離貪し滅することによって執着が滅する。
 執着が滅して存在が滅する。
 存在が滅して生まれることが滅する。
 生まれることが滅して老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が滅する。
 このようにして完全に苦のまとまりが滅する。
 比丘たちよ、これが世界の消滅である。

 舌と味を縁として舌識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 この渇愛を残り無く離貪し滅することによって執着が滅する。
 執着が滅して存在が滅する。
 存在が滅して生まれることが滅する。
 生まれることが滅して老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が滅する。
 このようにして完全に苦のまとまりが滅する。
 比丘たちよ、これが世界の消滅である。

 身と触れるものを縁として身識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 この渇愛を残り無く離貪し滅することによって執着が滅する。
 執着が滅して存在が滅する。
 存在が滅して生まれることが滅する。
 生まれることが滅して老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が滅する。
 このようにして完全に苦のまとまりが滅する。
 比丘たちよ、これが世界の消滅である。

 意と法を縁として意識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 この渇愛を残り無く離貪し滅することによって執着が滅する。
 執着が滅して存在が滅する。
 存在が滅して生まれることが滅する。
 生まれることが滅して老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が滅する。
 このようにして完全に苦のまとまりが滅する。
 比丘たちよ、これが世界の消滅である。




   第五 ニャーティカ

45.このように私は聞いた。
 あるとき先生はニャーティカのレンガの建物に住んでいた。
 ときに先生は独りで黙想していてこの法門を説いた。

 眼と色を縁として眼識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 渇愛を縁として執着がある。
 執着を縁として存在がある。
 存在を縁として生まれることがある。
 生まれることを縁として老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が現れる。

 耳と声を縁として耳識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 渇愛を縁として執着がある。
 執着を縁として存在がある。
 存在を縁として生まれることがある。
 生まれることを縁として老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が現れる。

 鼻と香を縁として鼻識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 渇愛を縁として執着がある。
 執着を縁として存在がある。
 存在を縁として生まれることがある。
 生まれることを縁として老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が現れる。

 舌と味を縁として舌識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 渇愛を縁として執着がある。
 執着を縁として存在がある。
 存在を縁として生まれることがある。
 生まれることを縁として老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が現れる。

 身と触れるものを縁として身識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 渇愛を縁として執着がある。
 執着を縁として存在がある。
 存在を縁として生まれることがある。
 生まれることを縁として老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が現れる。

 意と法を縁として意識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 渇愛を縁として執着がある。
 執着を縁として存在がある。
 存在を縁として生まれることがある。
 生まれることを縁として老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が現れる。

 
 比丘たちよ、何が世界の消滅か。
 眼と色を縁として眼識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 この渇愛を残り無く離貪し滅することによって執着が滅する。
 執着が滅して存在が滅する。
 存在が滅して生まれることが滅する。
 生まれることが滅して老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が滅する。
 このようにして完全に苦のまとまりが滅する。

 耳と声を縁として耳識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 この渇愛を残り無く離貪し滅することによって執着が滅する。
 執着が滅して存在が滅する。
 存在が滅して生まれることが滅する。
 生まれることが滅して老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が滅する。
 このようにして完全に苦のまとまりが滅する。

 鼻と香を縁として鼻識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 この渇愛を残り無く離貪し滅することによって執着が滅する。
 執着が滅して存在が滅する。
 存在が滅して生まれることが滅する。
 生まれることが滅して老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が滅する。
 このようにして完全に苦のまとまりが滅する。

 舌と味を縁として舌識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 この渇愛を残り無く離貪し滅することによって執着が滅する。
 執着が滅して存在が滅する。
 存在が滅して生まれることが滅する。
 生まれることが滅して老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が滅する。
 このようにして完全に苦のまとまりが滅する。

 身と触れるものを縁として身識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 この渇愛を残り無く離貪し滅することによって執着が滅する。
 執着が滅して存在が滅する。
 存在が滅して生まれることが滅する。
 生まれることが滅して老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が滅する。
 このようにして完全に苦のまとまりが滅する。

 意と法を縁として意識が生じる。
 三つが集まることが接触である。
 接触を縁として感受がある。
 感受を縁として渇愛がある。
 この渇愛を残り無く離貪し滅することによって執着が滅する。
 執着が滅して存在が滅する。
 存在が滅して生まれることが滅する。
 生まれることが滅して老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が滅する。
 このようにして完全に苦のまとまりが滅する。

 そのとき一人の比丘が聞くために先生の近くにいた(あるいは「一人の比丘が聞き漏らしていた」)。その近くにいる比丘を先生は見た。見てその比丘にこう言った。
 比丘よ、あなたはこの法門を聞いたか。
 はい、先生。
 比丘よ、あなたはこの法門を取り上げなさい。
 比丘よ、あなたはこの法門を修得しなさい。
 比丘よ、あなたはこの法門を受持しなさい。
 比丘よ、この法門は利益を伴い、梵行の初めとなるものである。


 註 ニャーティ ñātika 親族・親戚の意
   レンガの建物 giñjaka〔レンガ〕 āvasatha〔建物、住処、居宅〕 
   法門 ダンマパリヤーヤ dhamma pariyāya〔方法〕
   取り上げる ウッガンハーティ uggaṇhāti
   修得する パリヤープナーティ pariyāpuṇāti マスターする
   受持する ダーレーティ dhāreti




(『南伝大蔵経13 相応部経典2』大蔵出版 P105−111 に相当)




   続く

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