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開発民俗学 「地域共生の技法」コミュの「開発コンサルタント(論)」序説 【es】関連トピック

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ということで、「コンサルタント」論を語りましょう^^?

「コンサルタント」というとどうも怪しげなイメージがありますが、「開発コンサルタント」は世界や地域の開発を支えるひとつの非常に大きな立役者です。その実体?とあるべき姿についてみんなで考えてみましょう。

(下記、2012年1月8日加筆)

【es】プロジェクトの記事をこちらに掲載します。

このプロジェクトのいきさつについては、こちらを参照ください。

【es】プロジェクト事務局はこちら^^?<共同研究プラットホーム>
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=66579577&comm_id=2498370

コメント(24)

思いつきでトピックを立てているようですが、実は「歩く仲間」プロジェクトと密接にリンクしています。

「ブログ版 歩く仲間」で「ぼくたちの未来日記 〜開発コンサルタントを想う〜」という連載を始めます。その中でのトピックをこちらにも展開していきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/cat20906744/index.html


とりあえず導入編として下記に最初の記事を引用します。

----------------------------------------------------------------------

2008年12月19日 (金)

ぼくたちの「未来日記」 〜 開発コンサルティングを想う 〜

というコラムを新連載します。

「開発コンサルタント」という生き方に関して今思うところを書き綴ろうと思います。

思えば大学卒業以来16年間、日本の政府開発援助の世界で働いてきたわけですが、その経験をふまえ、日本と世界の未来を語る、これからの開発コンサルティングを語るコラムとします。

思えば地域研究の世界から、まさにアラビアンナイトを原語で読むというような幻想的な世界から開発援助業界の只中に、なんの心の準備もないまま飛び込んで右も左もわからずに突っ走ってきましたが、会社内外の諸先輩方、よき同僚よき仲間に恵まれて、東方西走に世界を飛び回るチャンスを与えていただきました。

今は地元に戻って、マリン業界で新たな天地を開こうとしておりますが「コンサルタント」という生き方について常に考えていきたいと思っております。

このコラムでは、今までに私が書いてきたエッセイの再掲載も含め、未来志向の「開発コンサルタント」論をみなさまと共有していきたいと思います。

今後とも引き続きご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。

ではでは^^?

P.S.

当然のいわずもがなのことですが、守秘義務規定に抵触するような記事を書くことはありえません。暴露的な記事を期待されても全く無駄です^^?

ただ、「失敗学」の考え方を援用するならば、なぜうまくいかなかったかという例をとりあげる可能性はありますが、特定の個人やプロジェクトを取り上げないように十分に気をつけるつもりです。

われわれが考えるべきは、、何をやってはいけない(いけなかった)のかと、何をこれからすればよいのか、行動や考えるにあたって、どこに気をつければよいのかというシンプルなことだけです。

他人の誹謗中傷をするつもりもありませんし、逆に受け付ける気もありませんので、その点はよろしくご了承ください。

ではでは^^?
対談 開発コンサルタントとは? (ダイジェスト版 その1)

さっそくですが、歩く仲間HPの過去記事から、「対談 開発コンサルタントとは?」という記事を取り上げます。もう5年も前の記事ですが、しばやんの越し道の一端がわかるかと思いますので、よろしくおつきあいください。

なお、オリジナルの記事はこちらです。

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/ondc000.htm

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対談・開発コンサルタントとは?
(2003年7月23日〜2003年9月16日:掲示板の記録)
All rights reserved by E. Shibata & T. Matsuyama© 2003-04

2004年6月1日

イギリスに留学して開発学を学んでいた“つかささん”としばやんが、お互いのHPの掲示板上で日本の開発コンサルタント業界についてトークバトルを繰り広げました。

質問内容も回答についても、たぶんに主観的なものが混じっており必ずしも統計的な正しさを保証するものではありませんが、その分、本音のトークとなったと思います。

 ただし、あくまで一例としてご覧いただけたら幸いです。

なお、つかささんのHPはこちらです。↓
『Development Studies: Hypocrisy or True Altruism』

http://members.at.infoseek.co.jp/tsukasamatsuyama/


               目 次

1.初めてこの対談を読む方へ  (省略)

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/ondc001.htm

2.対談者略歴           (省略)

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/ondc002.htm

(以下の3〜16.の内容を、このトピックに転載します。)

3.開発コンサルタントとは? しばやん 2003/08/05

4.質問 (その1) つかさ  2003/08/05

5.回答(1−1) しばやん  2003/08/09

6.回答(1−2) しばやん 同上

7.質問 (その2) つかさ  2003/08/10

8.回答(2−1) しばやん  2003/08/14

9.回答(2−2) しばやん  同上

10. 回答(2−3) しばやん  同上

11. 回答(2−4) しばやん  同上

12. 質問 (その3) つかさ  2003/08/18

13. 回答(その3) しばやん  2003/08/20

14.  質問 (その4−1) つかさ  2003/09/02

15. 質問(その4−2) つかさ  同上

16. 質問(その4−3) つかさ  同上

17. 回答(4)(無事のお帰りを!) しばやん 2003/09/16  (略)

18. 対談を終えて しばやん 2004/5/10  (略)

19. 対談を終えて つかさ 2004/5/23  (略)

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上記に断っているようにそもそも対談をそのまままとめた記事ですが、質問内容が上の目次ではわかりにくいため、つかささんの質問を原意を損なわない程度にダイジェストさせていただいて、私の記事をメインに再掲載したいと思います。

ではでは^^?
対談 開発コンサルタントとは? (ダイジェスト版 その2) 

「質問(その1) 開発コンサルタントとはどんな人が働いているの?」

以下の記事を転載します。
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質問(その1) つかさ 2003/08/05 (火) 02:10



なるほど、要はインタビュー形式みたいなことをお互いの掲示板でやろうってことですね。面白そうですね。

では早速質問。

やはり開発コンサルタントといっても、どのようなことをしているのか実際には外からみてもあまりよく分からないのが現状だと思います。そこで、まずどのような経歴の人が働いていらっしゃるのか教えて頂けたらと思います。つまり、開発学の知識をもっている人が大部分なのか(修士号などをとって)、それとも民間会社で経験を積まれた人が途上国に関心をもって集まってきているのか。さらに、理系のバックグラウンドをもっていらっしゃる方が多いと聞きますが、文系のバックグラウンドをもっている人は一線では活躍しにくいものなのか。最後にもう一つ、やはりイギリス等で開発関連の修士号をとったとしても、新卒の状態では開発コンサルタントは狭き門なのか。

ズラズラと最初から質問攻めになってしまいましたが、要はどんな人が働いてるの?ってところをまずは押さえておきたいなっと思いました。


回答(1−1) しばやん  2003/08/09 (土) 00:43

つかささま

いきなり本題というか、するどい質問ですね^^?

まず、そもそも日本における開発コンサルタントについて説明しますと、例えば、端的にもうしますと、国際協力事業団*1(JICA)という組織がありますが、JICAに、コンサルタント登録している日本の民間法人(会社:数千名〜数人まで規模をとわず)、約1,500〜2,000近くあります。(これらの会社の一覧は、JICA本部のJICAプラザで閲覧できます)そのうち、実際に、JICAから業務を受注している会社は150〜200くらいです。たぶん契約額売上の上位50社で、JICA業務の60〜70%を占めているのではないでしょうか。

そもそも、日本の開発コンサルタントの歴史は、第2次世界大戦前に母体を遡れる会社がいくらかあるとしても、ほとんど全ての会社が、戦後に土木建設部門の戦後復興のための公共事業、例えば、黒四ダムや、新幹線、愛知用水、名神高速道路などは、世界銀行の借款として、技術者の大きな発給もととして、農水省や建設省等のエンジニアも交えた技術者集団が、アメリカ等、先進国のエンジニアリングを学んで、卒業というか、いわば独立して民間会社としての礎を固めました。

つまり、社会公共財(インフラ)といわれている公共事業の調査・計画・設計・調達・工事監督を行ってきたのが、日本の開発コンサルタントなのです。

このコンサルタントの仕事をするためには、技術士という国家資格(現在20部門)をもった技術士が一定の基準で所属していることが必要で、つまり旧来の日本のコンサルを建設コンサルタントというゆえんです。

そして、建設コンサルタントは、ほとんど例学なく日本国内で官公庁の仕事(公共事業)の設計等を行っており、その売上の、5%〜30%等、会社の余力をもって、海外事業、ほとんどが、JICAや国際協力銀行(JBIC)の仕事を行っているのが現状です。(日本のODAより競争の厳しい世界銀行などの国際金融機関や国際機関の仕事を受注できる実力のある日本のコンサルは、ほんの数十社しかないのも事実なのです。)

注:*1 2003年10月1日より「独立行政法人 国際協力機構」となる。ただし、英語名の’Japan International Cooperation Agency’は変わらない。
しばやんの回答 (1−2) (上記の続きです)


さて、つかささんの質問ですが、果たして、どのような経歴の人がコンサルタントなのかは、上記をみればわかるように、そもそも論として、理系の技術者が圧倒的におおく、多分昔から修士以上の学歴の方が他の職業に比べて多かったのではないのでしょうか。多分、私の直感的なつかみですが、経理や営業や会社の管理部門のスタッフを除いたいわゆる専門家の70〜80%が、技術的なバックグランドをもっており、国内の公共事業で実務経験を俗に8年〜10年ぐらい積んでから海外要員として、海外の開発の仕事に携わるようになってきたのが、10年ほど前までの(ある意味では今でもですが)内実であったと思います。

しかし、1992年ぐらいを境に、日本国内でも、社会開発分野の開発学関係の学部や大学院が相次いで設立され、それらの社会科学系の人たちのコンサルタントへの入社が増えてきたと思います。(それまでは、経済学や政治学系の一部の人たちが、経済効果をはじくとか、今思えば限定された部門での需要を満たすために、やはり昔から一定数の専門家は必要とされており、経済学や財政学専門のコンサルタントもあるにはありました。)

今、多分、文系の開発学系の方が想像する社会開発専門の日本のコンサルタントというのは、社会の需要の変化により、約10年から15年ほど前から、どんどん設立されてきていますが、ほとんどが小規模(数名から数十人程度)で、実力のある会社は限られているのが実情です。

最近はやりの経営コンサルタントやITコンサルタントの、日本のODA参入は、たかだかこの10年くらい前からのことではないかと思います。

詳細に入れないこともないのですが、まずは実情として、以上を報告します。
質問その2 経済インフラと社会インフラの違いとは? 『対談 開発コンサルタントとは?』


7 質問(その2) つかさ  2003/08/10 (日) 01:47

なるほど、昨今では技術系に加えて社会科学系のニーズも若干ではあるが増えてきているということですね。

次に質問させて頂きたいのは、公共事業と一口にいっても様々なプロジェクトが考えられると思いますが、大雑把にいって経済インフラと社会インフラに分けられるかと思います。経済インフラ(道路・鉄道・港、等々)の場合ですと、建設費用が幾らで、その施設が対象国内外の流通量をどれくらい上げて、全体としてどれほどの経済効果があがるのか。といったことを計算するのが、開発コンサルタントの業務のように推測しております。ただ、社会系インフラ(人々のBHNに関する施設)の場合、開発コンサルタントがどのように関わっていっているのかが釈然としません。経済効果に対して社会効果というのは、非常に長期的なヴィジョンを必要としますし、何より"どうやって"計るか、で大分出てくる値が変わってしまうのが常です。

加えて、開発コンサルタントは民間の会社ですから、"利益"を出さない限りは、というより"利益"がでるところにしか行けないのではないのだろうか?というふうに素人としては考えてしまいます。その意味において、ODA案件に関していえば、アフリカ諸国よりアジア諸国、社会インフラより経済インフラを重要視しているのでは?と推測しています。長期的な視野とあやふやな結果しかでないかもしれない社会インフラに対して、開発コンサルタントがどのように関わっているのか、現状を教えて頂けたらと思います。

最後に、しばやんさんが案件受注のところでJICAを真っ先にあげたのは少し意外でした。どちらかといえば、JICAよりもJBICからの案件の方が多いのではと考えていたからです。経済インフラによく使用される円借款やOOFをとりしきっているのはJBICですからね。ここ数年の円借款部分の大幅な減少にともない、JICAからの案件受注の割合が高まった。その結果として、社会インフラの相対的割合も上昇し、社会学系の知識は開発コンサルタントにとってもより重要性を増してきている。ただの推測ですが、実際のところはどうなんでしょうか?
(続きです。)

8 回答(2−1) しばやん  2003/08/14 (木) 00:26

なかなかヘビーな議論になってきました。

手塚治虫風に言えば、なんとなくひょうたんつぎ*1か、ピノコのアッチョンブリケ*2をいれたい気分です^^?

さて、つかささんの質問の順に沿って、回答していきましょう。

まず、最初のフレーズ、「昨今では技術系のニーズ〜」のフレーズについてですが、実は以前からニーズというか問題はそもそも存在していたのです。ただ、ハード中心に援助効率を求めてきたので、そこまで痒いところに手が届かなかったというか、構成団員のなかで、なんとかソフト配慮についてもお茶を濁してきたというのが、本当のところではないかと思います。

経済インフラと社会インフラの件、ちょうど15年ぐらい前から、BHN(Basic Human Needs)という概念や、10年ほど前から「社会開発」というワードが勃興してきたのですが、ここで気をつけてほしいのは、開発コンサルの現場というか、実態としてはラベリング自体には大した意味がないというが、経済インフラも社会インフラも、我々にとっては同じことです。

まさに、つかささんのいう「経済効果に対して社会効果というのは、非常に長期的なヴィジョン」という問題は、われわれ開発コンサルタントやドナー、途上国政府の政策策定者みんながずっと長い間、あーでもないこうでもないと、日々の実践の中で考えつづけている古くて新しい問題なのです。

注:*1,2 共に手塚治虫のマンガのキャラクター。*1は、手塚がシリアスな場面でふっと力を抜きたいときにいれるバーバパパみたいな正体不明なへんなキャラクター、*2は、いわずとしれた、『ブラックジャック』のアシスタントの女の子です。(2004/5/10 加筆)

9 回答(2−2) しばやん  2003/08/14 (木) 00:29

まず、開発の実務的なステージとして、下記のステップがあることをご確認ください。

?国家政策のレベル(長期計画)
通例20年から50年先を見越した計画。マスタープラン、通称Master Plan(M/P)と呼ばれている。

?プログラムレベル(セクターレベル、中期計画レベル)

上記の国家政策課題を分野別(通例セクター、例えば電力とか鉱工業とか農業とかで分けることが多い)に短期(5年後)、中期(10年から15年後)をターゲットとする構想を立てる。

?プロジェクトレベル(個々の案件レベル)

上記?の個々の事業をプロジェクトといい、この近未来に実現しなければならない課題について、フェージビリティ(事業実施可能性)を調査する。俗にFeasibility Study (F/S)という。

?事業(プロジェクト)の実施

上記?の調査によって事業実施の効果、経済性等、投資に対して一定以上の実施効果が見込まれる場合に、ようやく事業の実施となります。

?事業の維持管理(O&M)もしくはモニタリング評価(M&E)

今までは、上記?の事業の実施だけでよかれとしてきましたが、この20年ぐらい事業実施後にうまくハード(施設や機材)の維持管理(Operation and Maintenance)がなされないという批判が高まり、O&M計画の立案と実施体制の確立(受益者組織もしくは政府組織の能力強化)や、その後の、プロジェクトのモニタリングや評価について大きな関心がもたれるようになったのが、この15年ぐらいのことです。
(当然、援助の失敗の屍が累々と、顕著に見られるようになったのは、それ以前からでしたが、ドナーも被援助国もコンサルタントも、真面目にどうにかしようと組織的に動き出したのは、それほど大昔のことではありません。)
(続きです。)

10 回答(2−3) しばやん  2003/08/14 (木) 00:31

ここで、つかささんの最後の質問に戻ると、上のステージを日本のODAの仕組みに当てはめると、?〜?にかかる、相手国政府の国家計画づくりを手助けするのが、技術協力というスキームで、これこそ、まさにコンサルタントが、それぞれの得意な分野の専門家集団として国際開発の分野で貢献しているところなのです。

つまり、政策の立案レベルの計画から、具体的な施設の設計、そして、上記?でいう事業の実施にあたっては、先方政府やドナーの側にたち、技術的に中立の立場で、機材やサービスの調達(これには、機材自体の入札や建設業者や商社の選定や工程管理、施工管理などを含みます)を行うのです。

たしかに、JBICの円借款事業は金額も事業の規模も大きいので目立ちますが、その事業実施の前には、上記?〜?までのすべてのステップを経て実現化しているのです。そういう意味でJICAに限りませんが調査段階(国際金融機関ではTA(Technical Assistance)と呼ぶケースが多い)から特定のプロジェクトに関わっていないと、事業実施(?の段階)まで受注することは、ほとんど不可能です。

したがって、「ここ数年の円借款部分の大幅な減少にともない、JICAからの案件受注の割合が高まった。その結果として、社会インフラの相対的割合も上昇し、社会学系の知識は開発コンサルタントにとってもより重要性を増してきている。」というつかささんの指摘は、事業実施のステージという面からは、ちょっと違っていますね。

ただ現在の国際援助の潮流からみると、特に?(個別案件の実現可能性調査F/S調査・日本ではJICAが実施)と?事業の実施(日本の例では、JICAが実施促進をする無償資金協力およびJBICが貸し付ける円借款の主に2つのスキームがあります)の、いずれの過程においても、社会学系の知識や実際に事業計画自体への反映は重要で、開発コンサルタントの間では、俗に「ソフト分野」といって、各社、腕のふるいどころです。

ちなみに、いままでの俗に箱物援助(さらには、橋や病院などの“点”、道路整備などの“線”そして、農地整備など“面”での開発と細かく言い分ける場合もあります)は、「ハード分野」といっています。

11 回答(2−4) しばやん  2003/08/14 (木) 00:32

以前、どこかの日本の総合商社のキャッチフレーズで、「宇宙ロケットからカップラーメンまで」というのがありましたが、開発コンサルタントというものは、開発の川上(国家政策レベル)から川下(個々の事業の実施)までトータルでコーディネイトする援助の専門家なのです。

以前、「大臣からこじきまで」といったのは、そういう現実的な意味もあるのです。あるときには、背広をビシッときて国家元首と対峙し、またあるときは、作業着に地下足袋で現場を駆け巡る、そんな職業なのです。

確かに民間企業という側面はありますが、欧米では医者・弁護士・コンサルタントという専門性・倫理性の高い職業ですし、現実に世界に通用する専門知識をもった専門家を雇用するということは非常に経営的には厳しいことです。(民間であるがゆえ、すべて競争入札で、競争に勝てなければ仕事にありつけません。)

そんな体力的にも精神的にも厳しい状況で頑張っている仲間が多くいます。開発コンサルタントは、通例、一年の半年以上、海外で仕事をしています。(これは一国に限りません。同時に2、3案件をこなしている人もいます。)

ですから、家庭の問題、奥さんは日本でお留守番が多いですし、子育てや子供の教育の問題など、本人の意思だけでなく、家族の理解が大いに必要な仕事なのです。

ちょっと、こちらもリキが入りすぎましたが、コメントをお待ちしています。
質問その3 ‘開発専門家’と‘開発コンサルタント’の違いは? 『対談 開発コンサルタントとは?』

12 質問(その3) つかさ  2003/08/18 (月) 00:15


ふむ。ひょうたんつぎ…。ピノコ…。未知の領域です(笑)

それはさておき本題^^。今まではフィールドで最先端にたって、「開発」を最終的な目標として活躍する開発専門家。それに対して、事業の一環として主に経済的な利潤を追求するドナー側の業者という形で捉えていました。開発コンサルタントに対しては、どちらかといえば後者に属するようなイメージがありましたが、どうやらそうとは限らないようですね。むしろ、その中間に属するといった感じでしょうか。なんとなく日本の援助体制のどこに、どういう形で開発コンサルタントの方々が位置付けられるのか分かってきたような気がします。

しばやんさんのフレーズで、「あるときには、背広をビシッときて国家元首と対峙し、またあるときは、作業着に地下足袋で現場を駆け巡る」というのがありましたが、これは私が描いている将来の自分の目指す姿とも重なる点があり、おぉ〜かっこいいではないか〜、と思ってしまいました。

ところで、開発コンサルタントがマスター・プラン、そしてプログラム・プロジェクトの立案を主に活躍の場所としていうということですが、モニタリング・評価の過程にどのように関わっているのかについては触れられていませんでした。この過程の重要性は、JICAや外務省がプロジェクトの評価体制の改善に努力していることからも明らかですが、評価自体はこうした機関に任せるという形になっているのでしょうか?外務省やJICAでは第三者的視点からのモニタリング・評価が行われようとしていますが、私はこういった分野にも開発コンサルタントが入ってきているのではと思っていたのです。つまり、自らが作成したプロジェクトを業者に委託して、それで終わりではなく、自らで、あるいは他の開発コンサルタントの手でモニタリング・評価していく。そして、その結果をJICAなりJBICなりに報告する。こうした体制が採られているのかな、と第三者評価のことを耳にしたときに漠然と思いました。この点についてコメントいただければと思います。

13 回答(その3) しばやん  2003/08/20 (水) 01:06


つかささま

なんとなくわかってきていただけたでしょうか^^?。

ところで、開発専門家って誰のことでしょう?
例えばJICA派遣のプロジェクト方式技術協力の主に日本の役所から派遣される長期専門家のことでしょうか。東京の国際協力研修所にいる国際協力専門員のことでしょうか。それとも青年海外協力隊の隊員のことかしら。NGOの現地駐在員みたいな専門性をもった方たちのことでしょうか。

野田直人さんが、「フィールドワーカー」という言葉を著書でさかんにとなえていらっしゃいますが、私にいわせれば、「専門性をもってドナーと受益者(これは相手国政府もエンドユーザーというか実際に援助の恩恵をこうむる住民をも含みます)に対して中立の立場で(これは、経済的にも精神的にも)開発に携わるものは、広い意味で「開発コンサルタント」なのです。

これは、欧米の開発コンサルタントが、援助機関の立案者であり、学者としての研究者・教育者であり、開発コンサルタントとしての専門家であり、このカテゴリーというか壁をたやすく越えるキャリアパスを築けるのは、本質的に、この開発専門家という手に職をもっているがゆえなのです。(多分、日本でもこのような流動的な社会に変わってくると思われます。)

それはさておき、質問の「評価」の分野についても、この5年ほど学者(大学の研究者)等の有識者による外部評価や援助機関の職員による内部評価のいずれの分野においても、開発コンサルタントを評価技術の専門家として、それは社会科学系の専門性をもった人も多いのですが、評価チームのメンバーとして雇用することが増えてきました。

すでに他の援助機関では、援助総額の何パーセントかを、事前評価、中間モニタリング、事後評価など援助効果促進にあててきたのですが、日本でも遅ればせながら、この評価分野に対して一定額の予算がつくことになり、原則、無償資金協力や有償資金協力について、かならず事後評価とフォローアップを行うようになりました。

ここで、ガイドライン策定などの面でも開発コンサルタントの活躍がめだってきており、評価という専門分野が生まれつつあるともいえます。

とはいえ、評価とは所詮、先人がやったことを評価するのであり、やはり最初に計画を立てたり、事業を実施する立場にたちたいとは思いませんか?

とりあえず、今回はここまで。
質問その4‘開発コンサルタント’における‘社会科学系’と‘技術系’の違い 『対談 開発コンサルタントとは?』


14 質問(その4−1) つかさ  2003/09/02 (火) 06:03

まさに私が開発専門家といったのは野田さんの開発フィールドワーカーという用語を念頭においてのことです。しばやんさんが以前おっしゃったように、Master Plan、Program, Projects, Implementationというレベルに大まかに分けられるわけですが、ここで最後のImplementationに主に携わる人を、私は開発専門家と呼んだわけです(当然多少のオーバーラップはありますが)。当然、開発コンサルタントとしても多少はプロジェクト実施段階に関わることはあると思いますが、「コンサルタント」という言葉が意味するように「行う」よりも「考える」ほうに重点をおいた職業というイメージをもっていました。

ただ、プロジェクトを「行う」際にも、受益者と関わりあいながら施行していくのが当然だとは思いますので、その視点でしばやんさんの「専門性をもってドナーと受益者に対して中立の立場で開発に携わるものは、広い意味で開発コンサルタント」という説明を聞くとしっくりきます。

ただ、ここででてくる「中立の立場で」というのはどれほど可能なのだろう、という疑問がわきます。開発コンサルについては調べたことはありませんが、欧米のNGOなんかでは中立であるはずの彼らが中立でないことがよくあります。つまり、政府から援助等をしてもらうために、プロジェクトに関われるように、より視点が政府よりになってしまうというわけですね。結果として、先進国の政府が重点をおいている分野については、十分すぎるほどの供給ができてしまう。これに対して途上国からの需要はそこまで高くないので、結果として半ば押し付けのような形になってしまう。マイクロ・ファイナンスやリプロダクティブ・ヘルスなんかがいい例だと思います。

これはいわゆる「介入主義」をとっている欧米の例ですが、「要請主義」をとっている日本でも、実際途上国政府が自国のニーズを調べて要請しているというよりは、日本の政府なり業者なりが代行していることが多いですからあてはまると思います。何故日本の開発コンサルは建設系が多いのだとうか?当然日本が重点をおいてきたアジア諸国ではアフリカ等他の途上国に比べてソフトな分野がしっかりしていたということはできると思います。しかし、それでも、そこに日本側の強い意向が感じられるような気がします。
(質問4の続きです。)

15 質問(その4−2) つかさ  2003/09/02 (火) 06:04


次に、実際の開発プロジェクト立案の際に、コンサルタントが、特に社会学系のバックグラウンドをもった方が、どのように関わっていくのかについて、質問させて頂きます。やはり、もし仮に私が開発コンサルタントに関わることができたとして、実際にどのような仕事を最初に与えられるのかは非常に興味があるからです。一般化し難い点かもしれませんが、しばやんさんの経験も踏まえて教えていただけらうれしいです。

私の推測としましては、技術系の知識をもった方々が現地調査を終えて、必要な情報を得られた後、プロジェクトをどのように施行するかの綿密なプランを打ち立てていくというイメージがあります。そして、実際にそのプロジェクトが施行されたと仮定して、そこから派生する社会的インパクトを推しはかり、適宜修正を促すというのがいわゆる社会的側面への配慮であり、社会学系の知識をもった活躍の場という風に想像しています。つまり、社会的ファクターを加味した、コスト&ベネフィット分析といったところでしょうか。

私がこのように考えますのは、開発コンサルタントのHPを拝見しますと、特に大規模なところでは、様々な部署があるのが分かります。そして、ひとつの推測ではありますが、プロジェクト案件がこうした様々な部署の中から必要するところを経由して形成されていくのでは?という風に推しはかっているのです。各自がそれぞれのもつ専門的な知識を、該当する部分に適応させてプロジェクトをつくっていくという感じですね。

あるいは、あるプロジェクトを行うさいに、会社内の人材から適当と思われる人材をピックアップしていって、プロジェクトチームのようなものを作るという手法。こちらも想像できます。つまり、技術系と社会学系のコンサルが入り混じって、ひとつの案件はチームとしての責任のもとに作成されていくという推測です。F/Sから評価までがひとつのチームの作品のような感じになるわけです。

なんとなく、前者が大規模な開発コンサル、後者が小規模な開発コンサルの姿であるようなイメージを描いています。同時に何件もの案件を抱えることができれば、分業のような体制も必要な気がしますし、一度に一件しかできないのであれば、それはその開発コンサル全体が取り組むべきものとなるからです。

16 質問(その4−3) つかさ  2003/09/02 (火) 06:04

かなり推測ばかりの質問になってしまいましたが、やはり原因は開発コンサルで自分が働いているイメージがまだつかみきれていないからだと思います。プロジェクトのソフト面のバックアップ、そのように言われれば何となくイメージがつかめないこともないのですが、では具体的に自分に何ができるのか?といわれるとどうもピンとこないわけです。ということで、実際に社会系の開発コンサルがプロジェクトに関わっていくのかについてお願いします。
(続きです。)

17 回答4(無事のお帰りを!) しばやん  2003/09/16 (火) 23:45


つかささま

返事が遅れてすみません。
多分、貴メールの4-1から3でおっしゃっていることは、ほとんどビンゴと考えていいでしょう。

ただあえて一口言えば、社会科学系の専門家も技術系の専門家と同列に一緒に調査に入るケースが多いです。

逆に、大規模開発では、社会・自然環境調査を先に行ってから、技術系の専門家を投入するケースも増えています。

たとえば、JICAとかの調達情報のコンサルタントの公示情報をごらんになってはいかがでしょうか^^?

開発調査などの具体的な案件で、どのような分野の専門家が求められているのか、垣間みることができるでしょう。

(2003年)9月18日に帰国とのこと。無事のお帰りを待っています。

ではでは。

しばやん
駆け足ですが、対談を全文転載させていただきました。

もう丸5年前の記事ですが、現状はそれほど変わっていないと思います。

あらためて自分で読み返してみて、「開発コンサルティング」の云々というより、「どう外部者がその地域と関わるか」という点に自分が論点を置いていたことに気づかされます。

海外の開発援助のテクノクラート(※)である「開発コンサルタント」の話ではありますが、この命題自体は国内外を問わず現実に起きている日常茶飯の課題であると私は思っています。

※プロフェッショナル論は、私も多大な関心をもっていますが、少なくとも日本の開発コンサルタントの現状を(私の立場からですが)みるに、この場では、「開発(援助)のプロフェッショナル」とはあえて言いたくありません。

開発にプロはいらないという逆説につなげることもできますが、私の見立てでは、日本人のプロの開発コンサルタントは数名(知っているかぎりでも)いらっしゃますが、ほとんどの人たちは‘テクノクラート’に留まっているというか、それ以上の責任も権限も持たされていないということもできる、という点を指摘しておきたいと思います。裏を返せば、そこまでの仕事をさせてもらっていない、ということもできましょう。

このトピックでは、‘これから’の開発コンサルティングを語る場です。今までのところは‘現状’の報告ということで、ご了承ください。

だからどうなのだ、という私見がないわけでもないのですが、まだ獏としていますので改めてお話しようと思います。ただ方向性としては、‘コンサルタント’といいつつも、‘プロ’ではない素人の‘代弁者’であってほしいというようなことは、なんとなく考えています。

ではでは^^?
最近というかちょっと以前に、「プロジューサーになりたい」(※)という記事を書いたのですが、先日本屋で、こんな本を見つけました。

○佐々木直彦 『プロジュース能力 ビジョンを形にする問題解決の思考と行動』 日本能率協会マネジメントセンター 2008

※ プロデューサーになりたい^^! 2008年11月11日
http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-453d.html

なんか同じようなことを考えている人がいるなあと思って著者の名前をみると佐々木さんではないですか。

以前、佐々木さんの『コンサルティング能力 相手の問題解決と夢実現を助ける6つの力』 日本能率協会マネジメントセンター 初版 1998 について紹介文を書いていました。 参考までに次項に引用しておきます。

佐々木直彦 『新・知的ビジネス・スキル講座 コンサルティング能力』 2008年4月30日 (水)

(ブログ版 歩く仲間より http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_8a62.html)

前回、ブログで、リサーチャー(研究者)とプランナー(計画者)とコンサルタントは違うという話をさせていただいたが、では、コンサルタントって何かということに、非常にクリアに答えてくれる本があるので、ここで、紹介させていただく。

佐々木直彦

 『新・知的ビジネス・スキル講座 コンサルティング能力』

日本能率協会マネジメントセンター 1998年12月

お薦め度: ★★★★☆

一口コメント: 最近、ようやく‘コンサルタント’という言葉もポピュラーなものとなってきた観があるが、いざその定義、実際の業務として何をしているのだろうという疑問が湧き出してくる。

最近でこそ、ITコンサルタント、経営コンサルタントなど時代の最先端なイメージがあるが、そもそも日本におけるコンサルタントとは、コンサルティング・エンジニア(技術士に代表される)と経営コンサルタント(中小企業診断士)であった。

この本では、副題にあるように「Consulting Skill and Consulting Mind」とあるように、コンサルタントの業種に限らず、そもそも‘コンサルタント’の「技術」と「その心掛け」について広く語っている。

私自身は、‘開発’コンサルタントという業界の末席にいるわけであるが、佐々木氏のいう「コンサルティングマインド」そして、その技術や方法論に非常に共感と感動を受けた。

佐々木氏は、コンサルティングを、このように定義する。

「コンサルティング能力とは、未来に向けて、クライアントの問題解決や夢実現を助ける能力を言う。」

その過程として、以下のステップを掲げる。(括弧内は引用)

「I.問題の発見

II.解決策の立案

III.プレゼンテーション

IV.変革の推進」

前回、「研究から実践」にというところで苦情を呈したわけであるが、研究では上記のステップでいえば、「I.問題の発見」に留まっているというか、その問題を「学問の場」への還元はするが、実際の現場(フィールド)にフィードバックがないことが多いし、次のIIからIVまでのステップが基本的にないのである。(なくても許されてしまう?)(*)

この本は、「コンサルティング能力」のあり方を根本に問うており、知識ではなく、「生き方」としての「コンサルティング・マインド」について論じている点、セクターや分野に限らず汎用性があると考えられる。

この本で述べられているステップ、方法論そのもののロジックは、まさに「開発コンサルタント」がやっていることと同じである。

参考までに、第1章から第4章の目次を以下に掲げる。

「序章 なぜ「コンサルティング能力」が必要なのか (詳細は略)

第1章 問題を発見する

 アプローチ能力

 リサーチ能力

 取材・インタヴュー能力

 問題整理・構造化・分析能力

 レポート作成能力

第2章 解決策を立案する

 コア・コンセプト設定能力

 目標設定能力

 ビジョン創造能力

 プロセス設計能力

 メソッド開発能力

第3章 プレゼンテーションを設計する

 プレゼンテーション構成力

 企画書作成能力

 話力・説得力

 総合的演出力

第4章 変革を推進する

 浸透化・巻き込み能力

 プロジェクト推進尿力

 組織文化変革能力

 葛藤処理能力

第5章 自己価値を創造する (詳細は略)」

また、以前コンサルタントは必ず‘落としどころ’を考えて行動するということを書いたが、この本でも、リサーチの段階から、つまり「フィールドワーク」の段階から、クライアントに対する(変革への)フィードバック、ワークショップ(ファシリテーション)を常に考えていることを明確に述べている。

つまり、それが「コンサルティング能力」なのである。

今日の企業社会では、自己変革と、新たな市場開拓に向けて、さらには社内的にも「コンサルティング能力」が必要とされている。

「開発コンサルタント」に関心をある方のみならず、どんな職業であれ自らの未来を自ら切り拓いていきたい人に広く薦められる一冊である。

(この項、了)
【es】プロジェクトの一環としての開発コンサルタント論をこちらで書き綴っていきます。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=66579577&comm_id=2498370

よろしくおつきあいください。

ではでは^^?
自らを語ることの難しさ 【es003】
(書き下し 2011年12月15日)
初出: 日本における開発コンサルタント論・・・プロジェクト【es】
@ mixi開発コンサルタントコミュ
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=66842603&comm_id=789299


地下にもぐらないとまずいなどといっていた私がなぜ、「開発コンサルタント」のコミュにあえてこのような書き込みをしたのか。

自爆テロ並みのむちゃくちゃな暴挙ではないかという気もしているが、それは、私がそれなりに腹をくくったからに他ならない。

開発コンサルタントの実態というのは、実はかなりのベールに包まれているといのが実状で、昨今では‘中に入ること’自体が難しい上に、内部の人となったらなったで、身内では仲良くするが、概して外部に対してはかなり閉鎖的になってしまうということがあげられる。

そもそも、これは開発コンサルタントに限ったことではなくて、全ての社会人がお金をもらった働く‘業界’そのものの特質でもあるのだが、みな自分の身の回りの仕事に忙しくて、社内の調整、業界内でのしのぎ(同業他社との闘い?)や他の関連業界への営業や調整と、身の回りのことだけで十二分に忙しくて、なにを赤の他人や一般市民(いやな言い方ですが^^?)に自分の仕事や業界の話をしなければならないのだというのが本音だと思う。

そういう意味で言うと、私は、全く会社貢献をしなかったサラリーマン(会社員)であったと思う。

ただ開発コンサルタントの間での連帯感や、広く開発援助業界や日本や世界の世論や具体的な動きには、それなりに敏くて、もう10年以上も前から、日本の開発コンサルタントも、いい加減に自己開示して、説明責任を果たさなければならないと考えてきた。

ただ、現役の開発コンサルタント(の会社員)として、社会に向けて発言するのはさすがに憚られたので、「歩く仲間」の名刺を勝手に作って一人NGOみたいなことを始めた。それが30歳前後のことであるから、すでに10年以上、2枚の名刺を使い分けてきたことになる。

ともあれ、いろいろな考え方もあろう。「開発コンサルタント論」は、それこそ、一人ずつ違ったものであってよいと思うのであるが、一つだけ、今のシニアコンサルタントがいる間にやらなければならない仕事がある。

それが、日本のODAの黎明期から世界で活躍した伝説の開発コンサルタント達の物語を残すことである。

なぜ、それが今なのか。

徐々に私の体験からそれを説き起こしたい。

to be continued!

ではでは^^?

初出: facebookページ 歩く仲間
http://www.facebook.com/note.php?saved&¬e_id=344013755625970&id=218043411556339#!/note.php?note_id=344013755625970

いよいよ中身に入ろうと思うのだが、いささか私的な話から始める事をお許しいただきたい。

私は、1992年に大阪外国語大学のアラビア語専攻を卒業しているのであるが、もともと人文地理学に興味があって、しかも現代の歴史や政治にも関心があった私は、大学という何をやってもよいという身に余る自由に道を見失いかけていた。今思えば単なるバカ?であるが中学生時代(1985年)にたまたま市の青少年施設(太陽の塔)のイベントで見かけた原爆の映画(人間を帰せ)に魂を被爆した私は本気で外交官にでもなってアメリカとソ連を握手させることを夢想していた。しかし時代の進むのははるかに早く、それからわずか数年後にはドイツのベルリンの壁の崩壊や中国の天安門事件、南アフリカのマンデラ大統領とアパルトヘイトの廃止、ソ連の崩壊など、あれよあれよという間に世界は激変し、私の夢はあっけなく現実に叶ってしまった。のであるが、その後の第2世界なきあとの世界の混乱については、だれもが知るところであり改めて言うまでもないであろう。

大学時代に学内の外交官の勉強会に入ってやろうと思ったが、あえなく挫折、結局、欧米の国際法などのなりたちというか枠組みのいい加減さというと誤解を与えるが、ギリシアとローマの伝統は中世でイスラーム世界を通じなければ現在まで継承されていないのであるが、それをすっ飛ばして西欧の歴史に接木する無節操さにあきれて、こんなバカなルールは認められないというのが、当時から今までの西欧ルールに対する基本的な私のスタンスである。今、世界中のいろいろな局面で、開発の世界も例に漏れず、‘民主主義’とか‘民主化’とかいわれているが、これほどうさんくさい言葉はないというか、それぞれの地域事情を考慮せずに言葉だけが独り歩きしていてしかも迷惑を与えている言葉はないであろう。

ともあれ、世界の激変の中でアラブも例に漏れず、イライラ戦争(イラン・イラク戦争)が終わったかと思えば湾岸戦争が勃発し、行く場のない私の唯一の希望であったエジプト留学も流れてしまった。そんなときに出会ったのが、飯塚浩二の「東洋史と西洋史のあいだ」岩波書店 1963という本で、中世のシチリア島の特異な位置付けについて、非常に明確にわかりやすくしかも楽しく解説していた。今でも、この知的な興奮はわすれられないであろう。留学もできないし現代的な問題をやってもダメだから中世史をやろう、これならアラビア語の知識も、そもそも好きなアラブの旅行記や地理書の研究もできるし、ということで中世シチリアにおける寛容の精神や共生のあり方について研究しようと思ったのであるが、わずか半年の浪人期間のみであえなく挫折。浪人中にとりあえず就職活動はしておけという親の指示で、やむなく始めた就職活動もことごとく落とされ(説明会にいってもそれ以上先に進めなかった)泣きついたアラビア語の主任教授である池田修先生の推薦を受けた某一部上場企業の役員面接で落とされるという前代未聞の不祥事を起こしつつも、結局、やはり自分の関心のあることでないとダメだと国際協力関係の役所などに絞って就職活動を再開、たまたま行った国際協力センターの説明会後に送っていただいた国際協力ジャーナルの1992年のリクルート特集号、これに載っていた開発コンサルタントの見開き2ページのダイレクトリーにあった三祐コンサルタンツにたまたま拾っていただき開発コンサルタントの門をたたいたのであるが、そもそも国際協力業界のことなんて、全く回りに先輩もいなくわからずに、本社が名古屋で農業関係というだけで選んで電話して3回の面接だけで通ってしまったという超裏道というか裏門から入ったようなもので、ちゃんと正規に試験や面接をやっていたら当時でも今でも絶対に雇ってもらえなかったであろう。

(続く)
(続き)

結局、私は、開発コンサルタントがなにであるか何も知らずには業界人となったわけで、もともと開発論者でも反開発論者でもない。あえて言えば、もし開発が避けられないものであれば、少なくとも現地の人に対する悪影響を少なくしたい、といった程度の事なかれの日和見のスタンスである。そもそも‘開発途上国’に関心があったわけではなく、自分の知らない広い‘世界’が知りたかっただけである。

確かに、1985年のバングラデッシュの飢餓に対する英国のバンドエイドやエチオピア難民に対するUSA for AfricaのWe are the world、日本でのネグロスキャンペーンなどのさまざまな開発途上国援助のためのプロモーションに関心がなかったわけではない。

だか単純に‘貧しい’とか‘かわいそう’とか、「恵まれない子供たちに愛の手を」などという陳腐なキャッチフレーズに流されるほどおセンチでも初心でもお人よしでもなかった。中学1年生の時に出合った原爆のドキュメンタリー映画をきっかけに、中高校生のときにはまったのは本多勝一の「戦場の村」といか「中国の旅」、極めつけは「殺す側の論理」とか「殺される側の論理」など一連の朝日文庫のドキュメンタリーシリーズとか、岡倉古志郎の「死の商人」(岩波新書)とか、フィクションよりむしろノンフィクションのルポルタージュとか新書とかであった。結局、小中高から今まで小説はほとんど読まない。小説より事実は奇なりという事実は、いくらでもあります。本当に世界をいろいろみてみると^^?

まず基本的に私は開発援助業界に身をおいたものの、業界を弁護する立場でもないし、中身を知らずに批判するという無責任な立場でもないというのが今のスタンスである。

ただ、中に入ったら入ったで大変でした^^?右も左もわからないとはよく言ったもので、特に困ったのが日常業務と開発援助の‘崇高な’目的なりが全く結びつかなかったことである。民間企業である開発コンサルタントは、当然のことながら営利企業であり、ちょっと知的ではあるが組織であり、やること自体は調査も設計も施工管理も、はたまた日常の細かな日常業務も、いわば全て金儲けのための‘仕事’であり、どこの企業でも、大規模であろうが中小企業であろうが、ひたすら繰り返すルーティン・ワークでしかないのである。

開発援助の最前線で、‘貧しい’?人たちのために、僕は私はがんばっているだという充実感は、少なくとも東京でのオフィスワークを見る限りは‘ない’。

(続く)
(続き)

結局、要領も悪く社会性のない私は普通の人が1年や遅くとも3年でわかることや簡単な作業でさえ、なんとなく自信をもってこなせると自分で思えるようになったのは、入社して7年とか8年かけてやっとこさ、人の半人前、同期は遥かに先の業務をやっているという状況であった。

いや、正確にいうと文系で語学系の私みたいなポジションの先輩は10年上の東京外国語大学のドイツ語卒の先輩ととふた周り(24年)の大阪外国語大学のタイ語の先輩がいるきりで、会社の本業である農業や水資源関係の技術者や経済畑のいわゆる技術系のエンジニアとはちがった立ち位置に退社するまで、最後まで悩まされた。

結局、技術のないものが、いかに開発コンサルタントの仲間や開発援助業界を見たかというのが、この研究の出発点であり描き出したいことである。

そもそも人間世界の全ては技術論でもなく論理や理論や理屈の世界ではない。喜怒哀楽や好き嫌いとか表も裏もあるどろどろした‘天’と‘地’と‘人’の世界である。

私が16年間努めた会社は、株式会社三祐コンサルタンツというのであるが、非常にわかりやすい会社名であった。協業メンバーの愛知用水の図面を引いた安城農学校の浜島辰雄先生の新入社員に対する説明は、下記のとおりであった。

「三祐の‘祐’の字は、正確には示す偏に右と書き、その意味は、‘たすけ(である。3つのたすけ、すなわち‘天’のたすけ、地のたすけ、人のたすけのことである。すなわち農業開発など大きな事業を起こすには、神仏など天の助け(政治的な‘天の声’というものもあるが)と自然環境のたすけと、多くの人々のたすけ(協力)がないと事は成就しない。そして、コンサルタンツと複数形であるのは、一人のコンサルタントではなく仲間で事にあたるから(最初から)コンサルタンツなのである。」

これほど理路整然とした会社名の解き明かしは、正直、私は今まで聞いたことがありません^^?

名古屋が本社で東京が支社というこんなオーナー会社は、実は、プロジェクトXでも取り上げられた戦後の世界銀行の借款プロジェクトの一つである愛知用水を作ったいわば日本の農業分野の開発コンサルタントの草分けであり、農業土木の分野では日本トップの会社でもあったのでした^^?

正直そんな事情なので、学問的とか中立性とか無記名性とかは一旦おいておいて、‘客観的’に描くことより、当事者としての自覚と‘主観’をもって開発コンサルタンツたちの物語を始めたいと思います。

(この項 了)
【es005】そもそも‘開発コンサルタント’とは? 開発援助‘業界’と開発コンサルタント論

初出:facebookページ 歩く仲間 2012年1月8日
http://www.facebook.com/arukunakama?sk=notes#!/note.php?note_id=344282068932472

開発コンサルタント論、これは非常に簡単であると共に非常に難しいことであるといえる。

まず、なぜ簡単なのか。それは開発援助の実務の世界では自明のことであり、特に開発援助‘業界’の内部者にとってはいわずもがなの最重要なステークホルダーのひとつであるということ、ただし、その全貌についてどこまで開発コンサルタントといわれる人自体が理解しているかについてはかなり個人差があることは否定しないが、ともあれ‘あたりまえ’のものであるのだが、やっかいなのは後者。具体的には、国際開発学研究者と国民、両者における‘開発コンサルタント’に対する理解は、ほぼ絶望的に薄く、そもそも‘社会的’に認識されるにいたっていないのではと思うような局面すらある。

日本の社会と開発コンサルタントとのかかわりについて、私見の及ぶ範囲で説明させていただくと(筆者は1970年生まれ)、見えない存在から、露出したかと思えば、1980年代後半のODAバッシングの渦中で、発展途上国の貧しい人たちの役には‘ほとんど’たたないばかりか、貧しい人たちや少数先住民を抑圧し追い立てるような巨大開発で、一部高官の私財の蓄積に貢献?し、独裁政権や軍事政権を‘公に’支えたダーティーな日本の資本主義の尖兵である商社、建設業者、メーカーの、さらに奥に影に隠れたフィクサー(暗幕)もしくはブローカーみたいなものとしてで、確かに直接にマスコミや政治論争の場に引っ張り出されることは少なかったと思うが、非常に怪しげで訳のわからないものというイメージが定着してしまった。いや、その後に及んでも‘存在’すら表立って認められなかったというほうが正しいであろう。

私は自分自身のこととして鮮明に覚えているのであるが、1992年に開発コンサルタントに就職が決まったとき、大学の恩師から、怪しげなブローカーみたいな職種について気の毒がられたという記憶がある。正確な言葉は覚えていないのであるが、へんなところに入ったねえというようなニュアンスのことを言われた。

(続く)
(続き)

この日本の一部の識者によるODAバッシングの経緯とその後についても、もう30年前の歴史的な‘事実’としてきちんと検証しなくてはならないと思うが、ともあれ1990年代の当初は、開発途上国の開発を仕事にするなんてとんでもないという風潮が大学人にはあったことは明記しておくべきであろう。

それは、そのまま当時から現在にいたる‘学界’そのものの立ち位置と決して無関係ではない。

国際開発学会が創立20周年を数えるが、果たしてここに所属する研究者(学生会員を含め約2000名)の何人が、開発援助業界と開発コンサルタントについて‘正しく’知っているのであろうか。

何が‘正しい’のかも恣意的なものかも知れないが、事実として最低限押さえておくべきことは、開発コンサルタントとは、欧米流に言えば‘コンサルティング・エンジニア’、日本で言えば‘技術士’という国家に認証された‘エンジニア’の開発専門家であるということである。

いやこの20年間の参加型開発に見られる草の根アプローチの開発現場では適正技術や人類学や社会科学系のバックグランドをもった開発フィールドワーカーに注目が集まっていて、それこそ、開発のプロフェッショナルと思われている風潮があるが、いえいえ過去もこれからも開発コンサルタントの主流は‘エンジニア’に代表される‘技術’をもった専門家である。

この研究では、‘開発コンサルタント’そのものについても、開発援助研究のなかの非常に大きなポーションを占めるステークホルダーの一つとして分析を進めていく予定である。

ともあれ、開発援助‘業界’そのものが、一般の人には見えづらくわかりにくい。特に、この研究は、国際開発学会に所属するような(専門的な)研究者に、業界と、開発コンサルタントというものについて理解してもらうことを目的の一つとしている。

そもそも私の「歩く仲間」プロジェクト自体が、一開発コンサルタントが直面した‘世界’と‘開発’をめぐる情報発信であることを思えば、どの講座やエッセイを読んでいただいても、一つの開発コンサルタントのフィルターを通った世界認識論であることに気づかれるであろう。

とりあえず、まとまった言及として下記の2つの記事に目を通していただくことをお願いいたします。

■対談・開発コンサルタントとは? 2004年6月1日

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/ondc000.htm 

■‘開発民俗学’への途(第1部)<連続講座> 2000年7月15日〜2008年1月27日

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r0000.htm 

この項、了
【es006】開発コンサルタント=コンサルティング・エンジニアとは?

初出: facebookページ 歩く仲間

http://www.facebook.com/note.php?saved&¬e_id=354994207861258&id=218043411556339

まず、開発コンサルタント論から始めたい。

今でこそ、開発援助業界自体が人気業種?となっていることからか、国際開発ジャーナルなどの業界紙による年刊の『国際協力ガイド』などが大手書店では平積みされているような状況であるが、それでもやはり「民間」というところが怪しげでかつわかりにくさを助長している。「開発学」を学んでいる学生(院生)ですら、開発コンサルタントってなんやねんという状況である。

2004年当時の現役院生とのやりとりはこちらを参照。

■対談・開発コンサルタントとは? 2004年6月1日

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/ondc000.htm

また、コンサルタントという言葉自体もこの10年くらいで非常に人気がでてきて一定の意味を持ちつつある。つまり経営学系のMBA資格の人気と共に、欧米の戦略系の経営コンサルタントや、インターネット時代を受けてのITコンサルタントなどが先に知名度を上げてしまったために、逆に、シビルエンジニアリングの開発コンサルタントと、どう違うのという問題がでてきている。

おおまかに言えば「コンサルタント」であるからには、やることや本質はたいした違いがないはずである。しかし、そのような経済や経営やIT系のコンサルティングファームと日本の開発コンサルタント会社との決定的な違いは、どのような‘技術’を持っているのかという点に集約される。

つまり、日本の古くからの(といっても第二次世界大戦後であるから50から60年)老舗で大手の開発コンサルタントは、ほぼ例外なくコンサルティング・エンジニア、つまり技術士の所属する科学技術系の設計・調査の会社である。

先の対談でもふれたことであるが、その一部を下記に引用する。

「回答(1−1) しばやん  2003/08/09

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/ondc005.htm

「まず、そもそも日本における開発コンサルタントについて説明しますと、例えば、端的にもうしますと、国際協力事業団*1(JICA)という組織がありますが、JICAに、コンサルタント登録している日本の民間法人(会社:数千名〜数人まで規模をとわず)、約1,500〜2,000近くあります。(これらの会社の一覧は、JICA本部のJICAプラザで閲覧できます)そのうち、実際に、JICAから業務を受注している会社は150〜200くらいです。たぶん契約額売上の上位50社で、JICA業務の60〜70%を占めているのではないでしょうか。

そもそも、日本の開発コンサルタントの歴史は、第2次世界大戦前に母体を遡れる会社がいくらかあるとしても、ほとんど全ての会社が、戦後に土木建設部門の戦後復興のための公共事業、例えば、黒四ダムや、新幹線、愛知用水、名神高速道路などは、世界銀行の借款として、技術者の大きな発給もととして、農水省や建設省等のエンジニアも交えた技術者集団が、アメリカ等、先進国のエンジニアリングを学んで、卒業というか、いわば独立して民間会社としての礎を固めました。

つまり、社会公共財(インフラ)といわれている公共事業の調査・計画・設計・調達・工事監督を行ってきたのが、日本の開発コンサルタントなのです。

このコンサルタントの仕事をするためには、技術士という国家資格(現在20部門)をもった技術士が一定の基準で所属していることが必要で、つまり旧来の日本のコンサルを建設コンサルタントというゆえんです。

そして、建設コンサルタントは、ほとんど例学なく日本国内で官公庁の仕事(公共事業)の設計等を行っており、その売上の、5%〜30%等、会社の余力をもって、海外事業、ほとんどが、JICAや国際協力銀行(JBIC)の仕事を行っているのが現状です。(日本のODAより競争の厳しい世界銀行などの国際金融機関や国際機関の仕事を受注できる実力のある日本のコンサルは、ほんの数十社しかないのも事実なのです。)

注:*1 2003年10月1日より「独立行政法人 国際協力機構」となる。ただし、英語名の’Japan International Cooperation Agency’は変わらない。

(続く)
(続き)

回答(1−2) しばやん  2003/08/09
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/ondc006.htm 

果たして、どのような経歴の人がコンサルタントなのかは、上記をみればわかるように、そもそも論として、理系の技術者が圧倒的におおく、多分昔から修士以上の学歴の方が他の職業に比べて多かったのではないのでしょうか。多分、私の直感的なつかみですが、経理や営業や会社の管理部門のスタッフを除いたいわゆる専門家の70〜80%が、技術的なバックグランドをもっており、国内の公共事業で実務経験を俗に8年〜10年ぐらい積んでから海外要員として、海外の開発の仕事に携わるようになってきたのが、10年ほど前までの(ある意味では今でもですが)内実であったと思います。

しかし、1992年ぐらいを境に、日本国内でも、社会開発分野の開発学関係の学部や大学院が相次いで設立され、それらの社会科学系の人たちのコンサルタントへの入社が増えてきたと思います。(それまでは、経済学や政治学系の一部の人たちが、経済効果をはじくとか、今思えば限定された部門での需要を満たすために、やはり昔から一定数の専門家は必要とされており、経済学や財政学専門のコンサルタントもあるにはありました。)

今、多分、文系の開発学系の方が想像する社会開発専門の日本のコンサルタントというのは、社会の需要の変化により、約10年から15年ほど前から、どんどん設立されてきていますが、ほとんどが小規模(数名から数十人程度)で、実力のある会社は限られているのが実情です。

最近はやりの経営コンサルタントやITコンサルタントの、日本のODA参入は、たかだかこの10年くらい前からのことではないかと思います。

詳細に入れないこともないのですが、まずは実情として、以上を報告します。」

引用終わり

したがって、社会科学系の開発学を学んだ学生にとっては、一体、日本の開発コンサルタントって何って思うのは当然であろう。はっきりいって、職業分類で言えば「その他サービス業」であり、「建設業」の一部門という言い方もできるのが日本の開発コンサルタント会社なのである。

だから国際開発学とか公共経営・政策分析とかいう分野は、‘いままで’の開発コンサルタント‘会社’では必要とされてこなかったし、今でも大きな重みはおかれていない。

なぜなら、そのような‘文系の知識や学問’は、クライアントである‘国’や‘国際機関’のオフィサーが‘考えれば’よいことであり、技術屋である開発コンサルタントは、言われた‘全体構想’にそってその‘一部’の主に構造物を作るための専門家集団であるからなのである。つまり餅は餅屋といったもので、開発コンサルタント会社に政策通や理論家や学者は要らないということになる。

というのは、極論でもあるし、現実にそのようなバックグランドをもった社会開発の専門家、しかも若手が開発コンサルタント業界に参入している以上、開発コンサルタント業界自体も変わっていかなくてはならないし、内部から変わっていることも事実である。今(2012年)の時点で、ぎりぎり50歳半ばくらいの開発コンサルタントならある程度は開発‘学’というものに理解があるかもしれないが、それ以上の世代にとっては開発学ではなく開発行為の‘実践’つまり具体的なプロジェクト(しかも構造物)の実施(建設)こそが開発であるという考え方をすると思う。

つまり参加型開発やプロセス重視の住民参加とかが問題や課題なのではなくて、何がアウトプットとして‘できるか’ということが全てなのである。何が、モノとしてできたか、ここに開発コンサルタント会社の利益関心があると言い切ってしまってもよい。

技術的な開発コンサルタントの存在意義というか仕事の目的は、一言でいえば、「モノを作ってなんぼ」のものであり、それが開発NGOや学会の関心と真っ向からぶつかることは最初からわかりきっていることである。そもそも向いている方向が違うのだから。

確かに日本のODAが60年を迎えようとしている今では、「モノを作ってなんぼ」という考え方自体が許されないことは当然のことかもしれないが、その「モノを作って」というところの、いわば開発実践における苦労について、もっと注目をされてよいはずだし、アイデア(考え)を具体的な‘モノ’として仕上げるという‘プロセス’そのものについて、もっと敬意がはらわれてしかるべきなのではないか、というのが、私がこのプロジェクトを立ち上げた大きな一つの動機となっている。

(続く)
(続き)

ビジネスの世界では、‘成功して当たり前’であるとされるが、その‘当たり前’とされることを実現するためにどれほど多くの人の知恵と努力が隠されているのか、そこにはとてつもない‘なにか’がある、あったと考えるのは当然のことではないか。

‘当たり前’の裏側にあること、これは、別に開発援助の世界に限らず、あらゆる生活の局面においても忘れてはならない視点であろう。当たり前を当たり前とさせている技術や努力、創意工夫など、それこそ‘知る人ぞ、知る世界’が、どんな単純で簡単そうなことの‘裏側’にもある。その裏側に、徐々にスポットライトを当てていきたいと考えている。

とりあえず、ここで、開発コンサルタントや開発援助の実態にせまる参考となる本を挙げさせていただく。

○ グレアム・ハンコック著 武藤一羊監訳 『援助貴族は貧困に巣喰う』 (Loads of Poverty) 朝日新聞社 1992(原著 1990)

今での一定の真理はあるだろうと思われる国際援助‘ビジネス’を扱ったジャーナリスト・グラハム・ハンコックの告発の書。基本的に欧米の世銀システムと二国間援助を扱っており、その大筋は今でも変わっていないと思う。ただ非常に残念なのが、座談会で日本の援助に触れているところ。これは半分は当時の認識としては、間違いではないにせよ、やはりNGO(PARC)とかマスコミ(朝日新聞社)という一方的な見方であるということ。きちんと政府関係者(ODA推進側)と対話があったのかというのが、1980〜1990年代のNGOやマスコミに対する私の評価である。つまり、どちらもが自分が見たいとするコインの一面しかみていない。両者間の建設的で具体的な対話は、正直なかったのはないかと察する。結局、1980年代終わりのODA批判は、NGOやマスコミが散々騒ぎ立てて、政府関係者や開発コンサルタント自体は口を堅くつむぐという結果に終わったのではないかと思う。つまり、本質的な議論はなかったことと同じではないかと思う。なぜ、議論が成立たなかったについてもこの講座で明らかにしていきたいと考えている。

そこらへんの日本の開発援助を巡る言説を分析したのがこちら。

○北野収 『国際協力の誕生−開発の脱政治化を越えて−』 創成社 創成社新書46 2011年2月20日

最近、たまたま本屋で見かけてよくまとめられているなと感心した。まだ読了していないが、、日本人の国際協力や開発援助を巡る思想について、具体的に今までのテクストを読み解き説明している。また、視点に客観性がある点に好感が持てた。まず、ここら辺から始めるのがいいのかもしれない。

○コーエイ総合研究所編 『国際開発コンサルタントのプロジェクト・マネジメント』 国際開発ジャーナル社 2003

日本の開発コンサルタントのトップ企業が、いわばその手の内を明かしたプロジェクトマネージャー養成のための教本(マニュアル)。当然オフレコの部分には触れていないがそれでも日本の開発コンサルタントのレベルがわかる唯一の本だと思う。

○橋本強司 『開発調査というしかけ−途上国と開発コンサルタント−』 創成社 創成社新書27 2008年10月10日

現役の開発コンサルタント、日本でも有数の地域開発のプロジェクトマネージャーの一人の橋本さんの開発コンサルタント論。開発調査については、別途、この講座でも取り扱いますが、そのODAの援助行政の中における位置づけと、いわゆる開発コンサルタント的な発想方法について、豊富な経験と持論を展開している。開発コンサルタントの論客の一人。

○森田裕之+21人の野武士たち 『技術士 独立・自営のススメ』 早月堂書房 2005

たぶん、手に入れることがとても難しいと思うので、もし図書館かどこかで手に取る機会があれば見てほしいのだが、技術コンサルタントの技術士協同組合の理事長の森田氏の「技術士」という職業に関するエッセイ集。日本の技術士が企業でサラリーマンとして働いている現状に対して、そもそもの‘コンサルティング・エンジニア’のあり方についての持論を展開している。学問的な本ではないですが気楽なエッセイとしては楽しめます。直接、開発コンサルタントとは関係ないですが、コンサルティング・エンジニアの考え方というかあり方については、私も目からうろこでした。

こんな感じで、開発コンサルタントについての知識を仕入れつつ、徐々にその実態に迫っていきます。

今日はここまで^^?

この項、了

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