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原始仏典コミュの増支部経典 一集 4

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(続き 『南伝大蔵経17 増支部経典1』大蔵出版 P44−55 に相当)





「   第十六 一法品

     (一)
296.比丘たちよ、一法を修習し多く為すならば、一方的に忌避・離貪・滅・寂静・超知・正覚・涅槃に転じる。何が一法か。
 ブッダを念じること[念仏]である。
 比丘たちよ、この一法を修習し多く為すならば、一方的に忌避・離貪・滅・寂静・超知・正覚・涅槃に転じる。
297.比丘たちよ、一法を修習し多く為すならば、一方的に忌避・離貪・滅・寂静・超知・正覚・涅槃に転じる。何が一法か。
 ダンマを念じること[念法]である。
 比丘たちよ、この一法を修習し多く為すならば、一方的に忌避・離貪・滅・寂静・超知・正覚・涅槃に転じる。
 比丘たちよ、一法を修習し多く為すならば、一方的に忌避・離貪・滅・寂静・超知・正覚・涅槃に転じる。何が一法か。
 サンガを念じること[念僧]である。
 比丘たちよ、この一法を修習し多く為すならば、一方的に忌避・離貪・滅・寂静・超知・正覚・涅槃に転じる。
 比丘たちよ、一法を修習し多く為すならば、一方的に忌避・離貪・滅・寂静・超知・正覚・涅槃に転じる。何が一法か。
 戒を念じること[念戒]である。
 比丘たちよ、この一法を修習し多く為すならば、一方的に忌避・離貪・滅・寂静・超知・正覚・涅槃に転じる。
 比丘たちよ、一法を修習し多く為すならば、一方的に忌避・離貪・滅・寂静・超知・正覚・涅槃に転じる。何が一法か。
 施捨を念じること[念施]である。
 比丘たちよ、この一法を修習し多く為すならば、一方的に忌避・離貪・滅・寂静・超知・正覚・涅槃に転じる。
 比丘たちよ、一法を修習し多く為すならば、一方的に忌避・離貪・滅・寂静・超知・正覚・涅槃に転じる。何が一法か。
 神々を念じること[念天]である。
 比丘たちよ、この一法を修習し多く為すならば、一方的に忌避・離貪・滅・寂静・超知・正覚・涅槃に転じる。
 比丘たちよ、一法を修習し多く為すならば、一方的に忌避・離貪・滅・寂静・超知・正覚・涅槃に転じる。何が一法か。
 呼吸を念じること[念息]である。
 比丘たちよ、この一法を修習し多く為すならば、一方的に忌避・離貪・滅・寂静・超知・正覚・涅槃に転じる。
 比丘たちよ、一法を修習し多く為すならば、一方的に忌避・離貪・滅・寂静・超知・正覚・涅槃に転じる。何が一法か。
 死を念じること[念死]である。
 比丘たちよ、この一法を修習し多く為すならば、一方的に忌避・離貪・滅・寂静・超知・正覚・涅槃に転じる。
 比丘たちよ、一法を修習し多く為すならば、一方的に忌避・離貪・滅・寂静・超知・正覚・涅槃に転じる。何が一法か。
 身体を念じること[念身]である。
 比丘たちよ、この一法を修習し多く為すならば、一方的に忌避・離貪・滅・寂静・超知・正覚・涅槃に転じる。
 比丘たちよ、一法を修習し多く為すならば、一方的に忌避・離貪・滅・寂静・超知・正覚・涅槃に転じる。何が一法か。
 寂静を念じること[念寂静]である。
 比丘たちよ、この一法を修習し多く為すならば、一方的に忌避・離貪・滅・寂静・超知・正覚・涅槃に転じる。

     (二)
298.比丘たちよ、これほどにも生じていない不善法を生じ、生じた不善法を増大し広大にする法を私は他に一つも認めない。
 比丘たちよ、邪見である。
 比丘たちよ、邪見であれば生じていない不善法は生じ、生じた不善法は増大し広大になる。
299.比丘たちよ、これほどにも生じていない善法を生じ、生じた善法を増大し広大にする法を私は他に一つも認めない。
 比丘たちよ、正見である。
 比丘たちよ、正見であれば生じていない善法は生じ、生じた善法は増大し広大になる。
300.比丘たちよ、これほどにも生じていない善法を生じさせず、生じた善法を断つ法を私は他に一つも認めない。
 比丘たちよ、邪見である。
 比丘たちよ、邪見であれば生じていない善法は生じず、生じた善法は断たれる。
301.比丘たちよ、これほどにも生じていない不善法を生じさせず、生じた不善法を断つ法を私は他に一つも認めない。
 比丘たちよ、正見である。
 比丘たちよ、正見であれば生じていない不善法は生じず、生じた不善法を断たれる。
302.比丘たちよ、これほどにも生じていない邪見を生じ、生じた邪見を長大にする法を私は他に一つも認めない。
 比丘たちよ、非根本作意である。
 比丘たちよ、非根本の意を作せば生じていない邪見は生じ、生じた邪見は長大になる。
303.比丘たちよ、これほどにも生じていない正見を生じ、生じた正見を長大にする法を私は他に一つも認めない。
 比丘たちよ、根本作意である。
 比丘たちよ、根本の意を作せば生じていない正見は生じ、生じた正見は長大になる。
304.比丘たちよ、これほどにも有情を身が破れ死して後、悪処、悪趣、堕処、地獄に生じさせる法を私は他に一つも認めない。
 比丘たちよ、邪見である。
 比丘たちよ、邪見を具足する有情は身が破れ死して後、悪処、悪趣、堕処、地獄に生じる。
305.比丘たちよ、これほどにも有情を身が破れ死して後、善趣、天世に生じさせる法を私は他に一つも認めない。
 比丘たちよ、正見である。
 比丘たちよ、正見を具足する有情は身が破れ死して後、善趣、天世に生じる。
306.比丘たちよ、邪見ある人の見解の通りに遂行し堅持した身業、見解の通りに遂行し堅持した語業、見解の通りに遂行し堅持した意業、意思、希望、願い、行、それら一切の法は愛すべきでなく、楽しむべきでなく、意にかなわず、無益で、苦となる。それはなぜか。
 比丘たちよ、見解が悪いからである。
 比丘たちよ、たとえばニンバ樹の種子、あるいはコーサータキ樹の種子、あるいは苦瓜の種子を濡れた地に置くと、あるいは地味を摂取し、あるいは水味を摂取し、それら一切は苦く、辛く、不悦になる。それはなぜか。
 比丘たちよ、種子が悪いからである。
 比丘たちよ、まさにこのように邪見ある人の見解の通りに遂行し堅持した身業、見解の通りに遂行し堅持した語業、見解の通りに遂行し堅持した意業、意思、希望、願い、行、それら一切の法は愛すべきでなく、楽しむべきでなく、意にかなわず、無益で、苦となる。それはなぜか。
 比丘たちよ、見解が悪いからである。
307.比丘たちよ、正見ある人の見解の通りに遂行し堅持した身業、見解の通りに遂行し堅持した語業、見解の通りに遂行し堅持した意業、意思、希望、願い、行、それら一切の法は愛すべきであり、楽しむべきであり、意にかない、有益で、楽となる。それはなぜか。
 比丘たちよ、見解が善いからである。
 比丘たちよ、たとえばサトウキビの種子、あるいは稲の種子、あるいは葡萄の種子を濡れた地に置くと、あるいは地味を摂取し、あるいは水味を摂取し、それら一切は甘く、おいしく、美味になる。それはなぜか。
 比丘たちよ、種子が善いからである。
 比丘たちよ、まさにこのように正見ある人の見解の通りに遂行し堅持した身業、見解の通りに遂行し堅持した語業、見解の通りに遂行し堅持した意業、意思、希望、願い、行、それら一切の法は愛すべきであり、楽しむべきであり、意にかない、有益で、楽となる。それはなぜか。
 比丘たちよ、見解が善いからである。

     (三)
308.比丘たちよ、一人が世に生まれ、多くの人々の不利益となり、多くの人々の無楽となり、多くの人々の無義となり、神々と人々の不利益と苦になる。誰が一人か。
 邪見にして見方が転倒した者である。
 彼は多くの人々を正法から出させて非正法に定住させる。
 比丘たちよ、この一人が世に生まれ、多くの人々の不利益となり、多くの人々の無楽となり、多くの人々の無義となり、神々と人々の不利益と苦になる。
309.比丘たちよ、一人が世に生まれ、多くの人々の利益となり、多くの人々の楽となり、多くの人々の義となり、神々と人々の利益と楽になる。誰が一人か。
 正見にして見方が転倒していない者である。
 彼は多くの人々を非正法から出させて正法に定住させる。
 比丘たちよ、この一人が世に生まれ、多くの人々の利益となり、多くの人々の楽となり、多くの人々の義となり、神々と人々の利益と楽になる。
310.比丘たちよ、これほどにも大有罪である法を私は他に一つも認めない。
 比丘たちよ、邪見である。
 比丘たちよ、諸々の大有罪のうち邪見はその最第一である。
311.比丘たちよ、これほどにも多くの人々の不利益のため、多くの人々の無楽のため、多くの人々の無義と、神々と人々の不利益と苦のために行道する者は私は他に一人も認めない。
 比丘たちよ、マッカリという愚か者である。
 比丘たちよ、たとえば河口に網を仕掛けて多くの魚の不利益、苦しみ、不幸、損失となるように、比丘たちよ、マッカリという愚か者は思うに人の網として世に生まれ、多くの生ける者たちの不利益、苦しみ、不幸、損失となる。
312.比丘たちよ、悪く説かれた法・律に入らせる者、また入る者、またその通りに行道する者、それら一切は多くの非福を生み出す。それはなぜか。
 比丘たちよ、法が悪く説かれているからである。
313.比丘たちよ、善く説かれた法・律に入らせる者、また入る者、またその通りに行道する者、それら一切は多くの福を生み出す。それはなぜか。
 比丘たちよ、法が善く説かれているからである。
314.比丘たちよ、悪く説かれた法・律では施者に量が知られるべきであって、受者ではない。それはなぜか。
 比丘たちよ、法が悪く説かれているからである。
315.比丘たちよ、善く説かれた法・律では受者に量が知られるべきであって、施者ではない。それはなぜか。
 比丘たちよ、法が善く説かれているからである。
316.比丘たちよ、悪く説かれた法・律において発勤精進する者は苦に住する。それはなぜか。
 比丘たちよ、法が悪く説かれているからである。
317.比丘たちよ、善く説かれた法・律において懈怠である者は苦に住する。それはなぜか。
 比丘たちよ、法が善く説かれているからである。
318.比丘たちよ、悪く説かれた法・律において懈怠である者は楽に住する。それはなぜか。
 比丘たちよ、法が悪く説かれているからである。
319.比丘たちよ、善く説かれた法・律において発勤精進する者は楽に住する。それはなぜか。
 比丘たちよ、法が善く説かれているからである。

320.比丘たちよ、たとえば少量であっても大便は悪臭を放つ。
 比丘たちよ、まさにこのように私はたとえ少量であっても有(存在すること)を称賛しない。それがたとえ一弾指の少量であったとしても。
321.比丘たちよ、たとえば少量であっても小便は悪臭を放つ。
 比丘たちよ、まさにこのように私はたとえ少量であっても有を称賛しない。それがたとえ一弾指の少量であったとしても。
 比丘たちよ、たとえば少量であっても唾は悪臭を放つ。
 比丘たちよ、まさにこのように私はたとえ少量であっても有を称賛しない。それがたとえ一弾指の少量であったとしても。
 比丘たちよ、たとえば少量であっても膿みは悪臭を放つ。
 比丘たちよ、まさにこのように私はたとえ少量であっても有を称賛しない。それがたとえ一弾指の少量であったとしても。
 比丘たちよ、たとえば少量であっても血は悪臭を放つ。
 比丘たちよ、まさにこのように私はたとえ少量であっても有を称賛しない。それがたとえ一弾指の少量であったとしても。

     (四)
322.比丘たちよ、たとえばこのジャンブディーパにおいて愛すべき園、愛すべき林、愛すべき地、愛すべき池は少量であり、これに反して高地低地、渡り難い河、切株・刺のあるところ、山の崖はより多くある。
 比丘たちよ、まさにこのように陸に生まれる生ける者たちは少なく、これに反して水に生まれる生ける者たちはより多くいる。
323.・・・比丘たちよ、まさにこのように人間に再生する生ける者たちは少なく、これに反して人間の他に再生する生ける者たちはより多くいる。
 ・・・比丘たちよ、まさにこのように中央の地に再生する生ける者たちは少なく、これに反して辺境の地、無知の蛮民に再生する生ける者たちはより多くいる。
324.・・・比丘たちよ、まさにこのように智慧を具え、痴呆でなく、唖でなく、善説と悪説の義を思う能力がある生ける者たちは少なく、これに反して劣慧で、痴呆で、唖で、善説と悪説の義を思う能力がない生ける者たちはより多くいる。
325.・・・比丘たちよ、まさにこのように聖なる智慧の眼を具足する生ける者たちは少なく、これに反して無明に行き、愚かである生ける者たちはより多くいる。
326.・・・比丘たちよ、まさにこのように如来を見ることを得る生ける者たちは少なく、これに反して如来を見ることを得ない生ける者たちはより多くいる。
327.・・・比丘たちよ、まさにこのように如来が知らせた法・律を聞くことを得る生ける者たちは少なく、これに反して如来が知らせた法・律を聞くことを得ない生ける者たちはより多くいる。
328.・・・比丘たちよ、まさにこのように聞いた法を保持する生ける者たちは少なく、これに反して聞いた法を保持しない生ける者たちはより多くいる。
329.・・・比丘たちよ、まさにこのように保持した法の義を観察する生ける者たちは少なく、これに反して保持した法の義を観察しない生ける者たちはより多くいる。
330.・・・比丘たちよ、まさにこのように義を思い、法を思い、法随法を行じる生ける者たちは少なく、これに反して義を思い、法を思い、法随法を行じる生ける者たちはより多くいる。
331.・・・比丘たちよ、まさにこのように恐怖すべき処に恐怖する生ける者たちは少なく、これに反して恐怖すべき処に恐怖しない生ける者たちはより多くいる。
332.・・・比丘たちよ、まさにこのように恐怖して根本に精勤する生ける者たちは少なく、これに反して恐怖して根本に精勤しない生ける者たちはより多くいる。
333.・・・比丘たちよ、まさにこのように放棄を縁と為すことにより三摩地を得て、心一境を得る生ける者たちは少なく、これに反して放棄を縁と為すことにより三摩地を得ず、心一境を得ない生ける者たちはより多くいる。
334.・・・比丘たちよ、まさにこのように最上食・最上味を得る生ける者たちは少なく、これに反して最上食・最上味を得ない生ける者たちはより多くいる。
335.・・・比丘たちよ、まさにこのように義味、法味、解脱味を得る生ける者たちは少なく、これに反して義味、法味、解脱味を得ない生ける者たちはより多くいる。
 比丘たちよ、それゆえこのように学ぶべきである。
 「私たちは義味、法味、解脱味を得る者となろう」と。
 比丘たちよ、あなたたちは実にこのように学ぶべきである。
336.比丘たちよ、たとえばこのジャンブディーパにおいて愛すべき園、愛すべき林、愛すべき地、愛すべき池は少量であり、これに反して高地低地、渡り難い河、切株・刺のあるところ、山の崖はより多くある。
 比丘たちよ、まさにこのように人として死んで人に再生する生ける者たちは少なく、これに反して人として死んで地獄に再生する生ける者たちはより多くいる。
337.比丘たちよ、まさにこのように人として死んで人に再生する生ける者たちは少なく、これに反して人として死んで畜生の生に再生する生ける者たちはより多くいる。
338.比丘たちよ、まさにこのように人として死んで人に再生する生ける者たちは少なく、これに反して人として死んで餓鬼境に再生する生ける者たちはより多くいる。
339.比丘たちよ、まさにこのように人として死んで天に再生する生ける者たちは少なく、これに反して人として死んで地獄に再生する生ける者たちはより多くいる。
340.比丘たちよ、まさにこのように人として死んで天に再生する生ける者たちは少なく、これに反して人として死んで畜生の生に再生する生ける者たちはより多くいる。
341.比丘たちよ、まさにこのように人として死んで天に再生する生ける者たちは少なく、これに反して人として死んで餓鬼境に再生する生ける者たちはより多くいる。
342.比丘たちよ、まさにこのように天として死んで天に再生する生ける者たちは少なく、これに反して人として死んで地獄に再生する生ける者たちはより多くいる。
343.比丘たちよ、まさにこのように天として死んで天に再生する生ける者たちは少なく、これに反して人として死んで畜生の生に再生する生ける者たちはより多くいる。
344.比丘たちよ、まさにこのように天として死んで天に再生する生ける者たちは少なく、これに反して人として死んで餓鬼境に再生する生ける者たちはより多くいる。
345.比丘たちよ、まさにこのように天として死んで人に再生する生ける者たちは少なく、これに反して人として死んで地獄に再生する生ける者たちはより多くいる。
346.比丘たちよ、まさにこのように天として死んで人に再生する生ける者たちは少なく、これに反して人として死んで畜生の生に再生する生ける者たちはより多くいる。
347.比丘たちよ、まさにこのように天として死んで人に再生する生ける者たちは少なく、これに反して人として死んで餓鬼境に再生する生ける者たちはより多くいる。
348.比丘たちよ、まさにこのように地獄から死んで人に再生する生ける者たちは少なく、これに反して人として死んで地獄に再生する生ける者たちはより多くいる。
349.比丘たちよ、まさにこのように地獄から死んで人に再生する生ける者たちは少なく、これに反して人として死んで畜生の生に再生する生ける者たちはより多くいる。
350.比丘たちよ、まさにこのように地獄から死んで人に再生する生ける者たちは少なく、これに反して人として死んで餓鬼境に再生する生ける者たちはより多くいる。
351.比丘たちよ、まさにこのように地獄から死んで天に再生する生ける者たちは少なく、これに反して人として死んで地獄に再生する生ける者たちはより多くいる。
352.比丘たちよ、まさにこのように地獄から死んで天に再生する生ける者たちは少なく、これに反して人として死んで畜生の生に再生する生ける者たちはより多くいる。
353.比丘たちよ、まさにこのように地獄から死んで天に再生する生ける者たちは少なく、これに反して人として死んで餓鬼境に再生する生ける者たちはより多くいる。
354.比丘たちよ、まさにこのように畜生の生から死んで人に再生する生ける者たちは少なく、これに反して人として死んで地獄に再生する生ける者たちはより多くいる。
355.比丘たちよ、まさにこのように畜生の生から死んで人に再生する生ける者たちは少なく、これに反して人として死んで畜生の生に再生する生ける者たちはより多くいる。
356.比丘たちよ、まさにこのように畜生の生から死んで人に再生する生ける者たちは少なく、これに反して人として死んで餓鬼境に再生する生ける者たちはより多くいる。
357.比丘たちよ、まさにこのように畜生の生から死んで天に再生する生ける者たちは少なく、これに反して人として死んで地獄に再生する生ける者たちはより多くいる。
358.比丘たちよ、まさにこのように畜生の生から死んで天に再生する生ける者たちは少なく、これに反して人として死んで畜生の生に再生する生ける者たちはより多くいる。
359.比丘たちよ、まさにこのように畜生の生から死んで天に再生する生ける者たちは少なく、これに反して人として死んで餓鬼境に再生する生ける者たちはより多くいる。
360.比丘たちよ、まさにこのように餓鬼境から死んで人に再生する生ける者たちは少なく、これに反して人として死んで地獄に再生する生ける者たちはより多くいる。
361.比丘たちよ、まさにこのように餓鬼境から死んで人に再生する生ける者たちは少なく、これに反して人として死んで畜生の生に再生する生ける者たちはより多くいる。
362.比丘たちよ、まさにこのように餓鬼境から死んで人に再生する生ける者たちは少なく、これに反して人として死んで餓鬼境に再生する生ける者たちはより多くいる。
363.比丘たちよ、まさにこのように餓鬼境から死んで天に再生する生ける者たちは少なく、これに反して人として死んで地獄に再生する生ける者たちはより多くいる。
364.比丘たちよ、まさにこのように餓鬼境から死んで天に再生する生ける者たちは少なく、これに反して人として死んで畜生の生に再生する生ける者たちはより多くいる。
365.比丘たちよ、まさにこのように餓鬼境から死んで天に再生する生ける者たちは少なく、これに反して人として死んで餓鬼境に再生する生ける者たちはより多くいる。


   第十七 善法品
366.比丘たちよ、これは道中の利得である。即ち、林住者であることである。(南伝では「是利中の一向なるものなり」)
367.比丘たちよ、これは道中の利得である。即ち、乞食者であることである。
368.比丘たちよ、これは道中の利得である。即ち、糞掃衣者であることである。
369.比丘たちよ、これは道中の利得である。即ち、三衣者であることである。
370.比丘たちよ、これは道中の利得である。即ち、説法者であることである。
371.比丘たちよ、これは道中の利得である。即ち、持律者であることである。
372.比丘たちよ、これは道中の利得である。即ち、多聞であることである。
373.比丘たちよ、これは道中の利得である。即ち、長老であることである。
374.比丘たちよ、これは道中の利得である。即ち、行儀を具足していることである。
375.比丘たちよ、これは道中の利得である。即ち、眷属を具足していることである。
376.比丘たちよ、これは道中の利得である。即ち、大なる眷属であることである。
377.比丘たちよ、これは道中の利得である。即ち、良家の子であることである。
378.比丘たちよ、これは道中の利得である。即ち、容姿が美しいことである。
379.比丘たちよ、これは道中の利得である。即ち、善語者であることである。
380.比丘たちよ、これは道中の利得である。即ち、少欲であることである。
381.比丘たちよ、これは道中の利得である。即ち、無病であることである」




(続く 『南伝大蔵経17 増支部経典1』大蔵出版 P44–56 に相当)

コメント(4)

こんばんは。
寒いですね。
明日から二日がかりで大掃除をする予定です。

その後(加害の件)、具合は落ち着きましたか?

ところで、ようやく大蔵出版の増支部経典を揃えました。

そこでぺこちゃんさんの訳は

> 第十七 善法品
366.比丘たちよ、これは道中の利得である。即ち、林住者であることである。(南伝では「是利中の一向なるものなり」)

とありますが、これは大蔵出版ではないものを底本としているのでしょうか?

寒いですね。精神状態は峠を越しまして、後は時間の問題で悪作は処理されると思います。まだまだ慎重ですが。


僕は大蔵出版しか持っていませんが、ネット上のTipitakaの「‘‘Addhamidaṃ , bhikkhave, lābhānaṃ yadidaṃ āraññikattaṃ.(比丘たちよ、これは道の利得である、即ち林住すること。)」の「addha」を道、旅路、行路と見てそう訳したのかも知れません。南伝の訳である「一向」という単語はどうも見当たらないので。 あまりここの訳を決めたときのことを覚えていないのが正直なところで、他に何かを参考にしたこともあったかも知れません。

僕は独学で翻訳してますから全然間違えてるところも多いと思うので、それで一応パーリ原文を本文に入れるようにしていますが、あまり意味ないかもとも思いつつ入れてます。



17. Pasādakaradhammavaggo

366-381. ‘‘Addhamidaṃ , bhikkhave, lābhānaṃ yadidaṃ āraññikattaṃ [araññakattaṃ (sabbattha)] …pe… piṇḍapātikattaṃ… paṃsukūlikattaṃ… tecīvarikattaṃ… dhammakathikattaṃ… vinayadharattaṃ [vinayadharakattaṃ (syā. kaṃ. pī. ka.)] … bāhusaccaṃ… thāvareyyaṃ… ākappasampadā… parivārasampadā… mahāparivāratā… kolaputti… vaṇṇapokkharatā… kalyāṇavākkaraṇatā… appicchatā… appābādhatā’’ti.

Soḷasa pasādakaradhammā niṭṭhitā.
パーリ原文をネットで見れるとは知りませんでした。
物質文明のいい点ですね。

質問して良かったです。

有難うございます。

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