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戦史研究室コミュの興味のある戦史・戦闘は?

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皆さんは、どんな戦史や戦闘に興味がありますか?

個々の戦史・戦闘トピック立ち上げの参考にしたいと思います。
もちろん、皆さんが独自に立ち上げて下さって結構です。

コメント(41)

ふむ、そうですね。
早速、第2次世界大戦のヨーロッパ戦線の戦史トビを立ち上げます。
日本本土決戦ですね。でもこれってコミュ趣旨に合ってますか?
>フロム様

もちろん合っていますよ。「日本本土決戦」という単独トビでもいいのですが、本土決戦同様に計画だけで実際に行われなかった作戦(重慶作戦、対ソ作戦など)は他にもありますので、「幻の作戦」ということでトビを立ち上げるのも面白いかもしれません。

フロムさんとしてはどちらがいいですかね。
>一匹若造様
海上護衛戦については以前からおっしゃってましたね。
トビを立ち上げます。

>フロム様
とりあえず、本土決戦単体のトビを上げることとします。
<nagao_eiji
トピたてありがとうございます。詳しい戦史に関しては全くの無知なので非常に嬉しいです。本土決戦は沖縄戦と全く同じ経過を辿ると個人的には見てますがいかがでしょう
海上護衛戦が出てるので、「北号作戦」をまとめておくのもよいかなと思います。
私は系統立てて書くのが苦手なので、誰かに(^^;
nagao eijiさん>
ありがとうございます
>じょうにっちゃん 様

>国際法関係ないだろ!って本が無数に
>いや、誰がその本を買うように指示したか大体はわかってるんですがw

秦郁彦先生ですかねw
今は退官されているようですがね。

国民政府軍、満州国軍、タイ王国軍には、日本軍の指導のもと、日本式の訓練がされていたはずです。いずれも規模はさほどではないのですが。
しかし、満州国軍は、軍学校(日本の士官学校のようなもの)が設置され、陸軍だけでなく空軍もあり、上記の中では一番力を入れて養成に取り組んだようです。
敗戦後、共産党軍が満州にあった日本陸軍の機材、施設を利用し、陸軍航空部隊のパイロットたちを招いて、空軍創設に役立てたはずですが。今、ちょっと定かではありません。
>じょうにっちゃん 様
南京国民政府軍やモンゴル自治政府軍の資料は見ませんね。
むしろ戦史叢書を当たってみてはいかがでしょう。全108巻のどこかには、そのことに触れている部分があると思います。

>秦先生は少しは増やしたけどあんまり関係なかったようです
まあ、個人の趣味で大量に増やすことはね。大学側も無難な回答をしましたねW


>ヴィー 様
北号作戦・・昭和20年2月、戦艦「伊勢」「日向」からなる「完部隊」が実施した輸送作戦ですね。松田千秋司令官のもと、奇跡的に成功した輸送作戦でした。
戦艦が輸送に従事していたのは、これが最初ではなく、実は戦艦「大和」「武蔵」ですら、その移動中に陸軍兵士や兵器、物資などを輸送していました。
北号作戦も含めて「海上護衛戦」トビで、いずれ取り上げたいと思います。
>nagao_eijiさん

ありがとうございます。
恐らく日本海軍が唯一正式な作戦として「物流の確保のため」
に行動したものではないかと思うのです。

最後の最後になってこうした作戦が出てくるところが
やはり迎撃海軍であって、まともな海軍ではなかったのだなと
思いますので。
最近、インドネシアをテーマにした映像制作を企画しているので、インドネシア関連の戦史も調べています。

満州や中国の特務機関は有名ですが、南方でも藤原機関とか光機関が知られています。ただ、基本的に対マレー、対インド工作がメインで、インドネシアに対してどのような工作がされたのかよくわかりません。
中野学校の活動も含め、インドネシア(特にスマトラ)に対する特務機関の活躍をご存知の方、資料等を教えていただければと思います。
テト攻勢に興味があります。
戦闘には負けたが戦略的に勝った、と評されるかの戦闘をご存知であれば詳細を教えていただきたいです。
>nagao eijiさま

 >敗戦後、共産党軍が満州にあった日本陸軍の機材、施設を利用し、陸軍航空部隊のパイロットたちを招いて、空軍創設に役立てたはずですが。今、ちょっと定かではありません。

 毛沢東と言うか、実際は林彪によって関東軍の林飛行隊が、中国兵に飛行訓練をした事ですね。

中華人民共和国の創立式典の上空をフライ・バイしたのは、彼らの教え子たちでした。雑多な機種だったそうですが・・・。

その意味では、現在の中国空軍の産みの親は、日本軍だったと言えますね。
>16 からす様

テト攻勢に関する詳細な記述が「ウィキペディア」に記載されておりますので、戦闘詳細については、ここでは省略させて頂きます。

あくまで私見ですが、北ベトナム並びに南ベトナム民族解放戦線側は、テト攻勢において戦略的にも敗北したと認識しております。期待していた南ベトナム政権下での民衆蜂起が起きず、北ベトナム政権はその後、対南ベトナム軍事戦略の抜本的見直しを迫られたと考えております。

但し、南ベトナムの警察庁長官(でしたっけ?)が、路上で解放戦線の青年を拳銃で射殺したのは最悪でしたね。あの衝撃映像が全世界に発信された事は、ベトナム反戦運動に測り知れない影響を与えたと思います。その意味では、西側世論の反戦機運を醸成させたという意味においては、戦略的に勝利したといえるかもしれませんね。

テト攻勢に関する書物は数多く刊行されておりますが、以前読んだ本で、佐々淳行著「香港領事 佐々淳行(文春文庫)」が中々面白かったです。著者が在南ベトナム日本大使館滞在中に「テト攻勢」に巻き込まれる様子を「講談調」に書いており、楽しく読む事ができました。お勧め致しますウインク
>からす様

テト攻勢はベトナム戦争の帰趨を決定した戦いと言われていますね。

北ベトナム軍は、参加兵力の約半数に損害を出したため戦術的に敗北とされますが、アメリカにベトナム戦争の勝利を諦めることを決断させ、和平の道を講ずるきっかけとなったので、戦略的勝利といわれています。

概要はウィキペディアの「テト攻勢」「ベトナム戦争」を見ればわかると思います。

参考文献としては、
「ベトナム戦争 アメリカはなぜ勝てなかったか」
 三野 正洋 ワック 1999
なんかどうでしょう。
テト攻勢だけでなく、ベトナム戦争全般を扱っていますが。
>18: かず色さん

内容がカブッちゃいましたw
>17: 山城 征太郎さん
>林彪によって関東軍の林飛行隊が、中国兵に飛行訓練をした事

私の発言の出典は「軍事史学」(143・144合併号)ですが、あらためて読み直したところ、山城さんのおっしゃる通りでした。

第4錬成飛行隊長の林弥一郎少佐と部下たちが、林彪・影真・伍修権の3人に要請され、飛行教官として航空学校創設に尽力したというものです。
林少佐は昭和20年9月から昭和31年8月まで、人民解放軍の飛行教官の職を従事していたそうです。
>20: ★ともやん★さん

本土防空戦闘機隊の苦闘は、それまでの戦争指導にツケを払わされたという感じですね。

このコミュ内に「日本本土決戦」http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=3099173&comm_id=396416
というトピックがあります。
また、独立トピを立ち上げていただいても結構なので、本土防空戦に関し、発言したいことがあれば、どんどん書き込んでください。
>nagao eiji 様

 現在、nagao eiji様が執筆中の「太平洋戦争・第二段作戦」で、もうじき出て来ると期待致しておりますところの、18号作戦と、81号作戦に興味があります。
第一次大戦の黒手組の活動とか、民間の秘密結社や政治グループ、レジスタンスなどの活動は何か謎めいていて引かれます。
渋沢さんの秘密結社の手帳は面白いです。
>ケルシャー 旧なおきさん
>民間の秘密結社や政治グループ、レジスタンスなどの活動

「戦史における陰謀説」で問題提起されてみてはどうですか?
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=6476715&comm_id=396416
初めてコメします、

私は似た様な展開になった戦闘に興味有ります。

戦国時代には長篠の戦いで武田の騎馬隊が織田軍の鉄砲隊に一方的に壊滅させられました、それからおよそ400年後の第四次中東戦争では、イスラエルの戦車隊がエジプト軍のATMでやはり一方的に壊滅させられています。

時代も場所も異なっていながら似た様な展開になったこの2つの戦い、興味有りますね。

>29

長篠合戦と第4次中東戦争が似たような展開の戦闘だった、というのは、軍事的に正しいのでしょうかね?申し訳ありませんが、私には判断しかねる点なので、Streamlinerさんやメンバーの方の意見をうかがいたいところです。

機動力のある攻撃兵器が防御兵器に敗れたという点でしょうか?

最近の研究では、武田騎馬隊や織田軍鉄砲隊の通説に疑問を述べている意見が多いので、そもそもの定義付けが難しいと思われます。
>30

コメありがとう御座います、

>長篠合戦と第4次中東戦争が似たような展開の戦闘だった、というのは、軍事的に正しいのでしょうかね?

厳密には設楽ヶ原の戦いとショバフヨニム作戦となりますか。

>機動力のある攻撃兵器が防御兵器に敗れたという点でしょうか?

それも有りますし、当時最新の兵器(の集団運用)に、それまで無敵の誉れ高かった戦車隊(騎馬隊)が呆気無く敗れ去った点とでも申しましょうか。
色々ありますが

ポエニ戦争・三十年戦争・ナポレオン戦争ってところでしょうか

ポエニ戦争
カンネイの戦い(第2次ポエニ戦争)
(包囲撃滅の見本みたいな戦い)
三十年戦争
ブライテンフェルトの戦い
(グスタフ・アドルフが発展させた三兵戦術)
ナポレオン戦争
イエナ・アウエルスタットの戦い
>32 Streamlinerさん

戦史の比較研究は面白いですね。
専門トピックを新設されるかどうかは、とりあえずStreamlinerさんに一任します。

>33 モへうんこ烈風8世さん

独ソ戦は、
 《WW2・ヨーロッパ戦線》
  http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=2995034&comm_id=396416
 《【独ソ戦】東部戦線について【大祖国戦争】》
  http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=44149291&comm_id=396416
が、既存トピであるので、そちらに新たな書き込みをお願いしますね。

>34 ノブさん

ポエニ戦争・三十年戦争・ナポレオン戦争・・いずれも、単独コミュがあっておかしくないくらいのテーマですね。
管理人である私が西洋戦史に疎く、トピックも十分ではありませんので、興味のある戦史トピックを立ち上げていただくと助かります。
映画「キングダム・オブ・ヘヴン」(オ-ランド・ブル-ム主演)が大々だい好きすぎるんですが
このコミュで言いますと

「十字軍遠征」〜エルサレム王国建国/サラセン軍による奪還/獅子王リチャードによる再遠征…………私が知ってるのは十字軍遠征の長い歴史のごく一部です。しかもどの軍を誰が指揮したかとか作戦の動きとか
まったく無知で………………
「自分で調べなさい」って言われるオチがありそうです( ̄▽ ̄;)
>36

wikipediaは見ましたか?

「十字軍」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%AD%97%E8%BB%8D

ウィキからリンクをたぐっていくと、一通りの知識は得られます。
ウィキの「十字軍」ボリュームがあるので、リンク先まで網羅するだけで結構時間がかかりそうです。
あとは信頼できる概説書、専門書を読んでいって知識を深めるというのが一番いいでしょう。
「縁の下の力持ち」的な艦艇の戦いの歴史でしょうか…。
個人的に大東亜戦争と日本海軍については、十数年来研究調査をしてますが。

軽巡洋艦八十島、海防艦五百島の数奇な運命だなんて、なかなか歴史に埋没してますね。僕は木俣氏の著作(「日本軽巡戦史」?、図書出版社)でその存在を、高校生の頃ですか知りました。学生の乏しい小遣いから、清水の舞台から飛び降りる気持ちで、高価な本を買っただけはあるなとは当時の印象です。
>35 nagao_eijiさん、

>戦史の比較研究は面白いですね。

はい、他には奇襲攻撃で始まった戦いも興味有ります、桶狭間の戦い・真珠湾攻撃・カンブレの戦い、そして一の谷の戦い、この一の谷など奇襲のお手本とも言うべき戦じゃないでしょうか?

>専門トピックを新設されるかどうかは、とりあえずStreamlinerさんに一任します。

ありがとう御座います、また様々なコメを頂ければ幸いと存じます。
>38 殿下(高校時代)さん

>「縁の下の力持ち」的な艦艇の戦いの歴史でしょうか…。

これも面白いですね。
実は太平洋戦争緒戦で南方作戦に従事していた敷設艦「沖島」「津軽」に乗艦されていた方を偶然知りまして。7月上旬に改めて取材に行く予定です。

昭和11年、徴兵で海兵団に入団。今年で96才の方なので、海軍経験者の中でも最高齢クラスになると思います。耳は遠く会話は出来ませんが、頭も言葉もしっかりしているので、ご本人の記憶と筆談で何とか取材をまっとうしたいと思っています。
前回の取材では、海兵団入団から昭和12年7月のウースン上陸の掩護、開戦直後、ギルバート諸島マキン島攻略、ラバウル攻略といった辺りまで聞きました。
軍歴表によると、昭和16年3月から「沖島」乗り組み、昭和17年5月から「津軽」乗り込みとなっています。「沖島」は昭和17年5月11日に敵潜の雷撃で沈没していますから、その後、「津軽」に乗艦したのでしょうか。

初期の南方作戦で敷設艦「津軽」の名前は、陸軍上陸部隊の護衛艦として必ずといっていいほど出てくるので、知っていましたが、乗組員が存命だと知ると、ますます親近感がわきます。
> nagao_eijiさん

津軽乗員だった方ですか…。ご存命とは、まさに歴史の生き証人ですね。
津軽といえば、光人社からやはり、元乗員だった方が「海軍機雷兵よもやま物語−敷設艦『津軽』南の海に死す」という本を出されてますね。尤もこの方は、乗り組み直後に艦が沈んでますから、最末期の話だけです。

筆談といえば、私も数年前に一度だけ、海兵57期の方にぶしつけながら手紙で問い合わせをして、お返事を頂いた事があります。
毎年「水交」に、盆暮れと広告を出されていたので、お元気なんだろうと解釈したわけですが、残念ながら翌年にその「水交」に訃報記事が出ていました。確か、五・一五事件に関しての問い合わせです。

また、水雷艇乗り組みの軍医さんにも何度かお目にかかりました。この方は陸戦隊に移られましたが、終戦時は部隊生存者はその方を含め三名だったそうです。もう卒寿を迎えられました。

近現代史研究は時間との戦いでもあり、少しでも聞き取り等出来たらとは思っています。

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