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名勝コミュの大和三山

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 奈良県橿原市

 2005年07月14日指定

 大和朝廷発祥の地である飛鳥地方を取り囲む形で聳える三つの独立峰。標高は低いが、良く目立つため、『万葉集』以来、多くの和歌に詠まれて来た。
 特に、『万葉集』巻1-13の中大兄皇子の「香具山は畝傍ををしと耳成と相争ひき 神代よりかくにあるらし いにしへもしかにあれこそ うつせみもつまを争ふらしき」の歌は名高いが、「ををし」を「雄々し」と解釈すると畝傍山が男神で、他が女神となるが、「を愛し」と解釈すると畝傍山は女神で、他が男神となる。
 後者なら、中大兄皇子が弟の大海人皇子(オオアマノミコ)との額田王(ヌカタノオオキミ)を巡る恋争いを大和三山に託した歌ともなるが、畝傍山は三山の中で一番標高が高いため、前者の解釈の方が無難だと思われる。

◆天香具山(アマノカグヤマ;標高152.4m)
 多武峰(トウノミネ)山系から延びた尾根が、長い年月の中で浸食されて残ったもの。風土記には天から降ってきたという伝承が残り、大和三山の中で最も神聖視された。

◆畝傍山(ウネビヤマ;標高199.2m)
 三山の中で最も高い。死火山。山麓は神武天皇即位の地とされており、現在は橿原神宮や神武天皇陵の森が広がる。

◆耳成山(ミミナシヤマ;標高139.7m)
 安山岩で形成される標高139.6mの独立峰。この一帯は瀬戸内火山帯に属し、第三紀に噴出した火山岩が侵食されて、その一部のみが残存した侵食地形に当たる。
 余分な突起が無い円錐形山容から「耳無し」山と呼ばれたのが山名の起源で、麓には曾て「口無しの井戸」や「目隠し川」があり、三点セットになっていた。『万葉集』には「耳梨山」とも記されている。
 『万葉集』には耳成山に纏(マツ)わる縵児(カヅラコ)という名の美少女の悲恋物語が載せられている。彼女は三人の男から同時に求婚されて困惑し、「私の身は消えやすい露のように儚(ハカナ)いのに、三人の男の心の和らげがたい事は石の如く堅い」と嘆き、耳成山麓の池の畔を彷徨(サマヨ)い歩いた挙句、池に身を投げて自決、彼女の死を嘆いた三人の男はそれぞれ歌を詠んだ。
 寛政3(1791)年刊の『大和名所図会』によると「耳無山の西麓にあり、今水涸れて名ばかりなり」とあるので、現在、山の南麓にある古池は『万葉集』の池ではなく、その名とは裏腹に近代になってから造成された溜池のようである。西方から耳成山に道路がぶつかる三叉路の近くにある低湿地の場所が、耳成池の痕跡ではないかと推定されている。
 耳成山八合目付近には、大山祗神(オオヤマツミノカミ)と高御産霊神(タカミムスビノカミ)を祭る耳成山口神社〔延喜式内大社〕〔郷社〕がある。通常「山口神社」とは山麓にある神社を指すので、山頂近くにあるのは極めて珍しく、本来は山麓にあった可能性が高いと推定される。大和国の山口社六社(飛鳥・石村・畝火・忍坂・長谷・耳成)の一つで、天皇家の舎殿用材を切り出す山の神として祀られていた。創建年代は定かではないが、顕宗天皇3(487)年に創建されたと『日本書紀』に記されている目原坐高御魂(メハラニマスタカミムスビ)神社の論社の一つになっている。『正倉院文書』正税帳の天平2(730)年項に聖武天皇から稲を給わった記録があり、大同元(806)年には平城天皇、貞観元(859)年には清和天皇の遣使によって雨乞いの神事が行われたとの記録も残る。
 中世には天神社とも呼ばれたため、耳成山の別名として天神山の名も用いられ、山頂には天神山城と呼ばれる城塞が設けられていた。
 江戸時代に入ると、慶安4(1651)年に山之坊の村民が神木を伐り荒らした事を契機に神社を中心にした山の管理や所有争論が起こり、元禄15(1702)年に至って「耳無山天神ハ式内之社耳無山口神社」とする事で決着した。その後、山之坊の村民が神霊を山之坊山口神社に遷座したとの記録があるので、この時に山麓から山頂に遷った可能性がある。
 その後、社殿が焼失するなどして荒廃してしまいたが、寛延元(1748)年8月、耳成村の氏子らが現在に残る本殿と拝殿を再建し、石原田・木原・葛本・新賀・常磐・山之坊地区の氏神として祀られている。
 耳成山頂は明治41(1908)年11月11日に明治天皇が陸軍秋季特別大演習を統監した地でもある。東軍は軍事参議官兼学習院長乃木希典(ノギマレスケ)伯爵大将、西軍は軍事参議官伏見宮貞愛(サダナル)親王大将が率い、数個師団同士が合戦する壮大な演習であった。現在の山頂は全く見通しが効かないが、当時は山頂からの眺望が良かったらしい。

 http://asuka3.michikusa.jp/panorama/pa/panorama4.html

コメント(14)

近鉄大阪線の車窓でもっとも接近するのが耳成山ですよね。
山のふもとを走っていますし、耳成という駅もあります。
どうも、登れるらしいですなあ。
私は畝傍山しか登った事が無いんです。耳成山は、飛鳥の中心部から外れてるんで登る人は稀でしょうなあ…。
9月12日に訪れた特別史跡本薬師寺跡から見た大和三山です。
左から、天香具山・耳成山・畝傍山。
畝傍山です。

左;神武天皇陵より
中;橿原神宮より
右;イトクノモリ古墳より
 一昨日、耳成山に登って来ました。
 山麓の耳成公園です。縵児(カヅラコ)の死を嘆いた三人の男の一人の歌碑が建ちます。
  「耳無の 池し恨めし 我妹子(ワギモコ)が 来つつ潜(カヅ)かば 水は涸かれなむ」
 「耳無の池は恨めしい。あの娘が来て身を投げたのなら、水は涸れて欲しかったなあ」
耳成山麓の花々です。

左;桔梗 白花
中;百日紅(サルスベリ)
右;松葉菊
耳成山口神社奉納絵馬に描かれた旧耳成村役場です。
藤原宮朱雀大路跡から望む大和三山です。10月1日火曜日に行きました。

左;畝傍山
中;耳成山
右;天香久山
藤原宮東門跡付近から見た大和三山です。

左;耳成山
中;天香久山
右;畝傍山

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