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心の中の樹を抱く、花を愛ずるコミュの晩秋 ふと思い出す過去について

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晩秋 ふと思い出す過去について

憎しみを抱く、あのときの悲しみが忘れられない寂しい晩秋。
その苦しさを吐き出してみませんか?

コメント(10)

 今まで人生で苦しいことは一杯あった。病気、訴え、恐喝、罵声、嫌な話し合い、けなしあい・・
どうして神様はこんな思いを与えるのだろうかと思うことが一杯あった。

 先日もとある事件がったとき、あれ?と思った。
 なぜこんなに落ち着いていられるんだろう。疲れるけど「昔ほど」辛くない。
 立ち直りも早い。何か薬草をせんじて飲んだみたいな気がする。傷を薬草が覆ってくれてる。
確かに即効には効かないけど、自然にすうっと効いてくる。傷口から「暖かな生きてる薬が」
入ってきてくれる。昔の薬草を肌にあてたように・・・

 経験したからと人はいう。昔「嫌な目にあったこと」が使えるではないか。

 もしかして嫌な思い出、出来たら起こらないでほしかった嫌な思い出から「得たもの」が
使えてる。
 
 もしかして嫌なこと、何十年にもわたる嫌なことから薬草の種が出来るのではないだろうか。
 あるいは人脈、貴重な人脈って体に入ると薬草の種になるのではないだろうか。

 種、それは嫌なことがしだいに薄れていっても残る種、そこから薬草が生えて私の
中に森を作ってきたのではないだろうか。知らない間にかみさまが森を作ってくださったのではないだろうか。

森の中から、神様が呼ぶ。

・・・・こういうときはこの「薬草の花を」使い,かおってみなさい。
こういうときはこの「薬草の樹を」使いなさい。そしてエネルギーをもらいなさい。
心に傷ができたらこの薬草を傷に当てなさい。
・・・
自分の中にしっかりと生えた薬草の樹や葉や花が守ってくれますよ。そして、また新しい経験や新しい辛いことをしなさい。

 あ、と思った。

 辛いことはあながち悪いことでないんだ。
 そして友達を作ることもすばらしいことなんだ。
自分の中に薬草の種を作り、森を作れるものなんだ。
 
 そして疲れながらも、悲しみながらも薬草の種がまた出来ていく。生えた薬草が傷を覆ってくれる。

 その種がまた薬草の森の一部になる。


 あらたな経験をする時そこから薬草の葉が香りをくれる。あるいは知らず知らずに使ってる。

 心に傷が出来たら、自分の森の中の薬草を使える。神様が生やしてくれた森の薬草が覆ってくれてる。

 いつのまに生えた薬草なんだろう?いつのまに出来た種なんだろう?種からどうしてこんなに一杯薬草が出きたのだろう?

 人生って種を作ること、そして素直に種から神様が育ててくれる薬草に感謝することの繰り返しなのかもしれない。

 種を大事にしよう。気がつかないと種や小さな芽をどんどん粗末にしてしまう。

苦しい時、その気持ちを「否定しない」ようにしよう。経験と思うと種が出来る。大事なことだったと思うと芽が生えてくる。
 
神様からの試練と思うと、それがどんどん伸びてくる。そして薬草の森が出来る。
 
苦しい時心に目を向けると、使える薬草がどんどん見えてくる。
どうしようもない、また許せないこと、一生をかける、
命をかけて許せるかどうかの人間性まで問われるときもある。
でも無理だった・・

運命と悟る。
運命と悟ると悟ったときから「何かにゆだねる」気になる。
何かにゆだねて、また怒りとかうらみの感情がでてきたら
ゆだねた何か(この私なら神様)のサインと割り切る。

課されたからには何か意味があるんだ。

ただそのあがき、苦しみのエネルギーを本、神に対する関心、
(宗教をしんじるというのではなく)ひとびとの言葉、その他
私はこの3ヶ月のこの「許せん」ことからはじめた
学習を無駄だったとは思えない。

自身を客観的に見る。これもひとつ確かに習得できました。
ゆるさないながら「習得できたこと、大きくなれたこと、
あの手この手でアプローチすることでいっぱい読めた本。感情を爆発させないこととか・・・」
人当たりもよくなったのかもしれないな・・・

なにより「自分の力とか努力ではどうすることもできない自分の非力さを知った」

それでもなお生きていけてほかのこともできる自分の
可能性も・・・

あきらめるということも一つの手段と悟る。

そういうときは「相手をせめても無駄」「相手の愚痴を言っても無駄」とすばやく悟る。しばらくは心を落ち着けるしかないでしょうね。

そして最後はあがいてあがいて・・運命だと悟る。

でもその悟りからいろいろなことができる。

許すとかゆるさないとか、疲れた。
悪の審判は神にゆだねたいと悟る。

私はこのことを運命と悟るのみ。


神をのろうことなく「神様が与えてくれた試練」

真珠貝は阿古屋貝の中に傷を入れる、その傷を真珠にする「能力」がある。

私にもその能力が「努力すれば」あるかもしれないから神様は試練をくださったのだろうか?

一生かけてそれなら一個の平凡な貝でも。傷を真珠に変えてみようと思う。
いままでの私のエッセイや文を書きました、これからはフリートークで書いてくださいね! ふと思い出すこと、されたこと・・したこと、後悔してることについて、愚痴も一杯ね!!
自分の悩みを書くのもよし、自分の考えについて書くのもよし、少々トピと
はみ出しててもいいですから・・ね!!
昨日辛い過去を思い出すちょっとした事件がありました。

まだ許せない・・そんな許せないことってあるかしら?


実は最近家のみかんとかゆずなどの収穫で日曜とかはいつも外、森にいく。

したし、最近デジカメなどで木の写真などもとることが楽しいので
かなり日の陽光に照らされているうちに・・・なんとなく
自分って何だろう、何を苦しんでたのだろう。
人を恨む、人を憎むってもしかしてすごくちっぽけなことでないかと
木の木漏れ日を浴びてそう思うようになっている。
まさに「ありがたいなあ、自然そのものがカウンセリングをしてくれてる」
気がする。

最近すごく変わった気がします。奇跡のように昔のいやなことから
ふわっと抜けたような・
陽光ってエンドルフィンの作用があるんでしょうか?まさに
頭でなくて体が変わった気がする。
「過去は変えられない」という。
私も実際タイムトラベルして過去を変えようとしても「今よりなにが変わるか・・」ほとんど変わらないだろう。

過去の苦しさとかあんな過去ってたいてい「誰かが絡んでくる」から。

過去にもどっても、自分がいくら努力して今、そう現在の自分に有利にしようとしても過去から現在にいたるまでの「相手、その自分を苦しめてる他人」の気持ちが変わらない限り、どんなに過去で「わたし」ががんばっても・・似たりよったりの気がする。

過去において「今のくるしみの原因になってる」さまざまな人の気持ちを
変えられたら別だけど

「過去と他人の心はかわらない」んだ。
過去において「他人の気持ちを変える」ここまでしなくちゃ、自分の今の
苦しみは変わらないんだ。

過去にもどり自分を変えようとしても「今の石段、つまり今まで過去からきずいてきた自分の中の石段」の一個の石を取り除くくらいしかできないだろう。

まして過去に、
大事に大事に積み上げた石を壊したり、風化させてるもの(他人の悪意とか悪意なくてもいろいろな
行為とか)をやめてもらうことなど不可能だ。


そしてその自分勝手にいじり取り除いた過去の一個の石、石段形成の一個の石を
取るともしかして石段が傾くかもしれない危険もある。

どんなに無骨でも今自分が築いてる石段にまた石を載せる、また石を載せる、今はそれしかできない。もしかして今でも他人は石を崩そうとしてるかもしれないけど・・

だけど生まれたからには石段を作っていくしか仕方ないのだ。崩されても壊されても。疲れても風化させられても。

でも、石しか自分が積み上げてないし、下の石(過去)をかえることすらできないのに・・

なぜか知らない間に石と石との間に土が入り強固になってる。石にコケが生え、
見た目すっきりしてきてる。何より石の間に、こんなに狭い石段の間に種がどこからともなく入り、花すら咲かせてくれてる・・

今は下の石、過去に積んだ石を除くとかかえることはできない。後悔しても・・
まして石段を風化させてるいろいろな過去に起こった人たち、苦しめた人たちの
気持ちを変えさせるなんて出来ない。

無骨に石をわたし,石を積み上げ、風化させられても、壊されてもそれでも石を積み上げていこう。そうすれば壊されて汚くなったところでもいつか「知らない花が」咲くこともあるんだ。
石垣の石、無骨な石、風化された石。

そして石段の石。

詰まれても踏まれるだけの石。

詰まれても詰まれても、踏まれ、風化され、どんどん小さくなるだけの石段。

でもそれをつくるために人生を生きてる。

「誇りをもって踏まれるための石段を作るために」

いやだいやだ、踏まれてはいやだ、綺麗なほうがいい、なら石段や階段の役はならない。

こんなに一生懸命つんで、時には崩され、時には風化させられて・・それでも
その結果、石段ができて誰かの役に立つ。石垣ができて誰かの役に立つ。

いつか踏まれ、いつかかぜや雨をよけ、いつか土をよけ、そしていつか風化して
土まみれになっても「誰かの役に(知らない間に)たってる」人に踏まれても、そういう自分すら誇りに思う、人に踏まれる石段になりたい。
生きるってこと=石を積むってこと。素敵なフレーズに出会えたことを感謝いたします。
過去に積んだ石は、私たちの力ではいかんともしがたい。
でも…、今まさに積もうとしているこの石には、希望を託せるはず。
自らの力を信じ、ぶれないように石を積んでいきます。
そこに未来があると信じるから。
そうですね。でも出来たものはけして美しいものではない。
石段は踏まれるだけのものかもしれない。

でも「誇りをもって」「そして自分の役割をきちんと持って(崩れないように)」つみたいです。
あの恨んでる人の名を聞くと今日も動揺してる・・
あのひどいことをした人の名を聞くとささっと気持ちが暗くなる・・

卑下せずひがまず彼らと比較せず。

そんな人生が今から歩めたらどんなにいいだろう・・

雪がすべてを美しく覆うけど、それでも試練がいるんだろうな。
私のこころに「すべてを許せる雪景色を作る」には。

そして雪が解けたあともきれいなままでいるためには・・
まだ土くれてささくれた気持ちがある・・

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