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開発民俗学 「地域共生の技法」コミュの現代の研究者、実践家の紹介コーナー

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現在、開発民俗学を実践している研究者や実践家の方々の活動内容を紹介するコーナーを設けました。自薦、他薦でもけっこうなので、その活動内容(著書やHPなど)を紹介してください。

【理論編とだぶるところもありますが、こちらはどちらかといえば現在でのネットワーキングに重点をおいています。】

コメント(19)

とりあえず故人ではありますが鶴見良行氏を紹介します。先日、小田実氏がなくなられましたが、小田氏の「べ平連」の戦友でもあった鶴見氏は東大法学部を卒業しながらアジアに学ぼうとした一学徒であり市民運動家でした。「大文字で語ること」を嫌い、「はだしの研究者」を育てようとした氏にとっては、何々学とくくられることを片腹痛く思っているに違いありません^^?

「世間師、裸足の研究者、絶望を越えて」

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n0008.htm

3月15日から18日まで一時帰国していました^^?でも、日本って本当にいいですよね。早速、おもしろそうな本を仕入れてきたので、以下、紹介します。

伊藤亜人 『文化人類学で読む日本の民俗社会』 有斐閣選書 有斐閣 2007
菅原和孝編 『フィールドワークへの挑戦 <実践>人類学入門』 世界思想社 2006
井上真編 『躍動するフィールドワーク 研究と実践をつなぐ』 世界思想社 2006

期せずも、菅原氏は、京都大学系(京都大学大学院人間・環境学研究科教授)、井上氏は、東京大学系(東京大学大学院農学生命科学研究科教授)です。改めて東大、京大の層の厚さを実感。

今は、マニラですが日本に帰ったら、彼ら先生とそのお弟子さんたちとのネットワーキングも具体的に考えたいです^^?

まあ、今でもできるか。メールも発達しているし。
つい先ほど、「環境思想、環境哲学」のコミュの中の「日本独自の環境思想・哲学」というトピックに書き込んだコメントですが、実は、しばやんは大学時代にかなりの多くの地域をベースにした地球環境問題に取り組む実務家や研究者にお会いしております。これらの先達の謦咳にふれられたことは今思うと、非常に貴重な私の財産となっていると思います。以下、転載ですがご参考まで。

--------------------------------

しばやん@マニラです。

日本独自というと難しいですが、実は1990年代のはじめ、大阪外国語大学で「地球環境論」というリレー式講義が行われました。私はその1期生だったわけですが、このとき、日本中から標記にかかる研究者が講義に来ていただきました。今でも学界、民間などいろいろな分野で活躍されている精鋭ばかりだと思いますので、彼らの足跡も参考になるのではないのでしょうか。ちょっと古いですが、ご参考まで。

『地球環境論』とその周辺(大阪外国語大学1990年度講義)
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/h000.htm

地球環境論(地域と環境) 神前進一他教官 (大阪外大履修案内1990年度の抜粋)
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/h0003.htm

鶴見良行さん(龍谷大)、黒田洋一(熱帯林行動ネットワーク)、アイリーン・スミスさん(立命大・非)、植村振作(大阪大)、山田國廣(大阪大)、槌田劭(京都精華大)、横山正樹(四国学院大)などは、今での著名な強力な論客だと思うのですが^^?(カッコ内の所属はいずれも1990年当時です。)

ちょっと現代よりの研究者ですみませんが、彼らの著作には、結構、学説史を踏まえた良質な入門書が散見されますので、それらも参考になるのではないでしょうか。

ではでは^^?
前回、「宮本常一+案渓遊地 『調査されるという迷惑 フィールドに出る前に読んでおく本』」を紹介させていただいたのですが、著者の案渓遊地さまから生?メッセージをいただきました。

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-38a2.html

案渓先生のHPは、http://ankei.jp/yuji/となります。

とりあえず現代の研究者、実務家の紹介ということでこちらに書き込みさせていただきます。もしよろしかったら、「ブログ版 歩く仲間」のほうでしばやんとあんけい先生に絡んで?いただいて結構ですよ。

ではでは^^?
あこぎさん 初めまして^^?

書き込みありがとうございます。
実は昨年末、近くの町立図書館で、森本孝さんの『舟と港のある風景 日本の漁村・あるくみるきく』 農文協 2006年 を借りてきて、まだ読んではいないのですが、どこかで紹介したいなあと考えていたところでした。以心伝心なのでしょうか^^?


これからもいろいろ書き込みをよろしくお願いいたします。

ではでは^^?
最近、地域学、地元学という文脈で、日本語の本を漁っています。

とりあえず、目に付いた本の書名だけでも紹介しておきます。

小泉潤二・志水宏吉編 『実践的研究のすすめ 人間科学のリアリティ』 有斐閣 2007年7月

京都造形芸術大学編 中路正恒編集責任 『地域学への招待』 角川書店 2005年5月

川喜田二郎 『環境と人間と文明と』 古今書院 1999年6月

網野善彦 『『忘れられた日本人』を読む』 岩波セミナーブックス 2003年12月

ちょっと方法論的なところにも入ってしまいましたが^^?

上記、公共図書館で借りました。結構、専門書が置いてあるので助かります。全然、よめないのが問題ですが…。

ではでは^^?
「民族学」とは違いますが、社会学者でフィールドワーカーの二人を紹介します。

松村和則(筑波大学教授)
宮内泰介(北海道大学准教授)

双方共に研究自体へ言及する学者です。

彼らに限らず、日本の農村社会学や環境社会学の分野も、このコミュニティの参考となると思います。

時代を考えるものとしては、
見田宗介(真木悠介)はお勧めです!
としきさん 

書き込みありがとうございます。

宮内先生は、鶴見良行さんとか上智大学の村井吉敬さんのお友達で、ヤシ研(ヤシ研究会)の仲間として、彼らと東南アジアを歩いた仲間ですね。

大体、研究者といえどもいろいろ横の人間関係で動いているので交友関係を探れば結構、似たような考え方をする人たちにぶつかりそうです。

あと、私としましては、あまりディスプリンというか学問的な所属?については気にしていませんので、べつに研究者に限らずどんな職業であれどんな人でも基本的にOKです。

お気楽に書き込んでください。

ではでは^^?

最近、海洋民俗学というコミュも・立ち上げたことはご報告したとおりですが、今、「海からみる世界」ということで海辺や水辺関係の研究者を調べています。

先日、大阪にいったときに、とりあえず下記の本をゲットしました^^?

足掛かりにしたい専攻研究<ブックガイド> より転載。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=47749470&comment_count=1&comm_id=4578156

「道はまだまだ遥かかなた。でも、まず一歩から踏み出そう!」 2009年11月3日

という文章を日記に書きました。そのまま転載しておきます。



ということで、今回の大阪行きの収穫の2つ目は、海洋民俗学関係の専門書を「阪急古書のまち」で古本屋めぐりで偶然にも漁れたこと。ゲットした本は下記のとおり。

○田辺悟 『海浜生活の歴史と民俗』 慶友社 考古民俗叢書 2005 (13,000円+税)
○野本寛一 『海岸環境民俗論』 白水社 1995 12,000円(税込)

両方とも新古というか古本で買ったからまだしも、う〜ん、実は、非常に高い買い物でした。

でも「海洋民俗学」をやると宣言してしまったからには、これらの専門論文集に食らいつかないといけないというか、実際に手にとってみて、これは手元において(読まねば)と、直感した次第。

ちらっとみただけですけど、非常にそそられる本です。両方共に今までの研究史が載っているのが非常にうれしい。

ともかくこれらを足がかりにすれば、すくなくとも2005年までの研究成果は概観できるはず、ということで、これからの「海洋民俗学」の研究の弾みになりそうです。

あと、この2著をみて思ったのは、野本先生はともかく田辺先生は、この道で一筋で45年もやっているのに、私は、「開発民俗学」とか「アラブ・イスラーム地理書・旅行記」もやるといっている点。

でも私には私にしかできないことがある。この3つは、それ以上の多くの興味(単なる浮気心)を削って絞り込んだものなので、きっちりとやってやりましょうと、改めて気持ちを引き締めています。

ふんどしを締めなおすというか、もうこれだけ投資をすれば、もうやるしかないというところで、ミクシイのコミュも盛り上げていきたいと思います。

といったところで、2つ目の収穫の報告は終わりです。

ではでは^^?
上記のついでに、実は他にもいろいろ買い込んでしまいまして^^?

○岩田慶治 『人間・遊び・自然 東南アジア世界の背景』 NHKブックス 日本放送協会出版会 1986

実は、岩田先生は京大出身で大阪市立大学などを経て国立民族学博物館の教授もなさった方で、文化人類学者としてめちゃくちゃ多産の人のようで環境民俗学でチョー有名人らしいということを、恥ずかしながら最近知りました。

それなりに目配りしているつもりが、イスラーム地域研究とか開発学という文脈からは全く抜け落ちておりました。

ともあれ、それはそれとしてこの人の本は読んでみたいなあと思います。

あと、ちょっと古めの本ですが、文化人類学プロパーの研究者とか京大人脈の本が面白い。

○中根千枝 『未開の顔・文明の顔』 全日本ブッククラブ版 中央公論社 1970

中根先生は、日本の女性の文化人類学者の草分けの一人で、東京大学文学部東洋史学科卒でイギリスのロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの大学院で本格的な社会人類学のトレイニングを受けたという経歴の持ち主。東大の東洋文化研究所の教授も長く勤められました。

私は個人的に、イスラーム文化人類学者の片倉もとこ先生に親しくご指導いただいていると思うのですが、中根先生は片倉先生の愛弟子なので私もなんとなくその系統にあるのかなとも思います。

とにかくきっちりしたオーソドックスな社会人類学者で、以下の本は掛け値なしにおもしろかったです。

○中根千枝 『社会人類学 アジア諸社会の考察』 講談社学術文庫 2002 (初出 東京大学出版会 1987

これぞ日本人の社会人類学といった感じで、欧米の輸入学問である社会人類学をどう日本の研究者が理解して取り組みかというところで、彼女というか日本人ならではの視点が非常におもしろかった。へたな入門者で理論みたいなものを浅くさらうくらいなら、この学術書のほうが10倍、100倍スリリングでためになると思いますね。少なくとも私はそう感じました。

さて、京大の今西錦司の人脈については、別のところに書いていますが、その弟子筋の河合雅雄さんのこの本もゲットしました。

○河合雅雄 『ゴリラ探検記 赤道直下アフリカ密林の恐怖』 KAPPA BOOKS 光文社 1961

京大人脈は非常におもしろいので、ここではあまり触れないようにします。かなり前の本ですが‘若き日’のフィールドワーカー・研究者の体験記ということで読んでみたいと思いました。

ではでは^^?
としきさんにご紹介いただいた宮内泰介先生ですが、年末にとあるつての勉強会でお会いする機会がありました。

北海道大学で教鞭をとられているのは変わりませんが、お名刺の裏?にはNPO法人 さっぽろ自由学校「遊」の共同代表ともかかれていました。

自分も含めてですが、どうも活動している人は、いろいろな看板?を使い分けている方が多いようです。

HPを紹介しておきます。

宮内泰介先生

北海道大学文学研究科地域システム科学講座 教授
http://miya.let.hokudai.ac.jp

NPO法人さっぽろ自由学校「遊」
http://www.sapporoyu.org

以前より、お名前と著書は知っていましたので、生?宮内先生にあえて個人的にちょっと感動しました。

ではでは^^?
「世間師」、「裸足の研究者」そして「絶望」を超えて 2000年2月5日

ちょっと関連が深そうなので全文転載しておきます。

初出: HP歩く仲間 歩きながら考える−世界と開発−
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n0008.htm
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n0009.htm



「世間師」、「裸足の研究者」そして「絶望」を超えて その1 2000年2月5日


 最近、今年(2000年)の1月〜3月期のNHKの人間講座で佐野眞一による「宮本常一が見た日本」というテレビ番組が組まれた。また、同時期に福井勝義の「東アフリカ・色と模様の世界〜無文字社会の豊かな想像力〜」とエチオピアの牧畜民をあつかった番組が組まれたことをみて、ずいぶん、日本というか、世の中の情勢が変わったなと思った。

 さて、「世間師」とは、“奔放な旅を経験し広く世間を見聞した者を「世間師(しょけんし)と呼ぶ、”と宮本自身が書いているそうである。

 この世間師の代表的な存在として、今、私が個人的に敬愛している2者を紹介したいと思う。

 まず、タイトルで「裸足の研究者」と書いた人は、誰であろう鶴見良行氏である。最近、本屋で全く偶然に、「鶴見良行の国境の越え方」という本を手にした。そして、数年前(1994)に彼が亡くなったことを東京に勤めていた私は、何の風の便りか知っていたこと(実際には新聞か何かで知ったのであろう)と、もう10年前に大阪外国語大学時代に、「地球環境論」という連続講義の一こまを講義にきた先生(彼)にお会いしたこと。授業の後の懇親会(フィリピン語の津田先生の自宅)にどさくさにまぎれて参加していたことを思い出していた。たしか、時期的に鶴見先生が龍谷大学に移られて、『ナマコの眼』を刊行するか、刊行した直後ぐらいの時点であろう。私は、『バナナと日本人(岩波新書1982)』ぐらいは読んでいたと思うが、恥ずかしながら、そのお会いした当時は、全くといっていいほど鶴見良行に対する予備知識がなかった。(はっきりいって、「バナナ」といってもぴんとこなかったぐらい、その本のことすら忘れていた)そのときの彼の印象は、ちょっと顔色が悪いかなということと、小柄で細みな癖に、つり用?のポッケのいっぱいついたチョッキを着ていて、おしゃべりで、やたら活動的ないでたちであったことぐらいしか覚えていない。

 今回、この1999年の上智大学で行われた彼をしのぶシンポジウムの記録を読んで、今ならすぐにでも押しかけてでもお話ししたかった人に、既に10年前に実際にあっていること、しかし今はもういないこと、つまり一期一会の厳しさを思い知らされることとなった。

同書では、花崎皋平、ダグラススミス、村井吉敬らが、彼の人となりを語っている。人それぞれ、いろいろな見方があり、そんなにかっこいいことばかりでないと思うし、他人の話であるから話半分ぐらいに聞いておけばいいと思うが、佐伯修の「アジアを見る目 中央を拒みつづけて海を見る」という対談(1992)も彼自身の考え方を知るうえで、参考になるのであげておく。やはり、彼の業績というか実際に偉いと思うのは、とにかく現場を歩いたことにつきると思う。中央というか学会からは無視されていたという証言もあるし、かといって市井に媚びたわけでは決してない。とにかく「象牙の塔」とは無縁に、丹念に人とものとのかかわりを、自分の足で一つ一つ訪ねていく。まさに、世間師であるといえよう。
「世間師」、「裸足の研究者」そして「絶望」を超えて その2 2000年2月5日

 次に紹介したいのは、鎌田慧である。私の感覚では、彼は今でこそ、岩波書店で単行本を出したりしているが、『自動車絶望工場』を書いていた頃は、はっきりいって際物扱いされていたと思う。(直接、その当時の状況を知っているわけではないが)

 私は昔からルポルタージュ系のノンフィクションが好きで、中学校ぐらいからいろいろ読んでいたが、同時代として中高時代によく読んだのは、本多勝一のルポルタージュであった。しかし、この鎌田慧に関心を持ち、積極的に意識しだしたのは、『ぼくが世の中に学んだこと』という半自伝的な彼の生い立ちに触れた本を読んでからである。この本は、当初、中学生向けの叢書の一冊で、わたしも中学生時代の図書館でそのハードカバーの背表紙は見ていた覚えがあるような気がする。しかし実際に読んだのは、就職してから2〜3年目のことであった。仕事に対する愚痴や、またその辛さが少しわかり始めた頃に、たまたま出会って、本当に頭をぶん殴られる気がした本である。逆にいうと、この本は、中学生向けでありながら、多分、「ガキにはわからない」本だと思う。彼は、18歳で東京に働きに出て、労働組合運動とかもやって、首になったりして、3年後に早稲田大学の露文に入学する。そして業界紙の記者となり、ルポライターとして独立し『自動車・・・』などをものにしていく。その経緯などが綴られているが、なによりも私の一番の心を打ったのは、彼の「人間に対するまなざしのやさしさ」である。鉄鋼業界から始まって、最近では屠殺場のルポまで書いているが、誰に対しても真摯に向き合う、人を見下すでもなく上に媚びるでもない「人と人と四つに組む」姿勢には、本当に頭が下がる。

私は、最近、友人で仕事や勉強に行き詰まった人に対して、この本を薦めるようにしている。誠に恥ずかしい話であるが、この本を読むたびに、学歴社会における「エリート」の思い上がりや、世間知らず、そして、その脆さなどを感じてしまう。本当にこの本は、ガリ勉秀才の俗にいう「エリート」や、自分自身の「エリート」意識の自覚もできない(受験に巻き込まれて、大学など行かずに小中高で就職していく友達と、どんどん、さも当然なような顔をして縁を切ってしまったような)普通の若者こそが読むべきだと思う。この本を読んで、自分では意識していなかった「エリート」意識に気が付けば儲けものである。ある意味では、ちゃんと「世の中」に学んでいる人には、この本は釈迦に説法かもしれない。しかし、いままでの日本の社会が目指していたものは、果たして何であったのだろうかと、彼のルポルタージュから考えさせられる。

 最近、たまたま『アジア絶望工場(講談社文庫1987)』で上記、鶴見良行と鎌田慧が対談しているのを知り、つくづく「同時代に生き」ているということを、感じさせられた。知の連鎖というか、人、互いに共鳴しあうというか、大きな同時代意識というものの存在を信じざるを得ない。

 所詮、人の子は、時代の産物でしかないかもしれないが、みんな別々に生きているのに、なんとなく同じ方向を向いていたりするのを知ると、“世の中”で“人”に揉まれて、切磋琢磨せんきゃいかんなとつくづく思った。

タイトルに書いた“「絶望」を超えて”というのは、今現在の鎌田慧のスタンスでもあると思う。最近の彼の著作にははっきりと“絶望”とうたっているものは少ない。これは、彼が“絶望”を超えて達観してしまったからなのか“絶望”することすらあきらめてしまったのか、本意はわからない。

しかし、われわれは、世の中に「絶望」することなく、ちゃんと自分の足で歩き、それぞれが「世間師」なり、「裸足の研究者」を目指していきたいと思う。

(鎌田慧は、未だに絶対に人間に対して“絶望”していないと信じる。もし“絶望”してしまったら、彼自身の存在が危なくなるであろうから。)


(参考文献)

○ アジア太平洋資料センター編『鶴見良行の国境の越え方』アジア太平洋資料センター 1999

○ 佐野眞一 『宮本常一が見た日本』 日本放送出版協会 2000

○ 佐伯修「アジアを見る目 中央を拒みつづけて海を見る」、別冊宝島編 『学問の仕事場』 JICC 1992

○ 鎌田慧 『アジア絶望工場』 講談社文庫 1987

○ 鎌田慧 『ぼくが世の中に学んだこと』 ちくま文庫 1992 (単行本 ちくま少年図書館70 1983)

補筆:

 最近、「鶴見良行 『東南アジアを知る −私の方法−』 岩波新書 1995」を古本屋で見つけて読んでいる。すでに5年も前の本なのに知らなかったのかと言われればそれまでだが、彼の思想の変遷が伺えて興味ぶかい。(2000年3月23日)

(この項 了)
そうだ、本当に身近にいる開発コンサルタントの先輩のことを取り上げていませんでした。

実は、前の会社のとき当社が受注した仕事に専門家として一緒に参加してもらっている日本人の参加型開発の一人者のひとり(間違いなく10人の中には入ると思います。)であるこの方は、ブログをやっています。会社では非常にお世話になっているのですが、なぜか私は同じプロジェクトに入ることがありませんでした。
でもいろいろ相談やら意見交換を適宜させていただいているのですが、非常に的確で現場の地に足のついた答えをすぐに返していただき、いつもいつも学ばせていただいています。

とても素敵な写真が中心のブログで、ほぼ毎日更新されています。

NO DAY BUT TODAY  生きる
"Seize the day (carpe diem). Life is extraordinary!" 写真のテーマ、撮った国をカテゴリーにしています。

http://axbxcx.cocolog-nifty.com/axbxcx/

これがまたいいんだ。
ぜひ訪問してあげてください。


ずっと、フォローしていきたいすばらしい先輩です。

ではでは^^?
灯台元暗しとは、よく言ったもので、あとで気がついて、あ〜あということが最近多い。実は、以前より見落としが多かったりして^^?

さて、今回、紹介するのは、穂坂光彦先生。

たぶん、初めてお会いしたのは、愛知県の日本福祉大学でおこなわれた国際開発学会大会だったと思うので、もう何年前のことだろうか。(ちょっと調べたら、2003年11月29日〜30日というのが一発でわかりました。)
ともあれ、共通演題は「社会開発と福祉」実行委員長が余語トシヒロ先生で、事務局長が、斉藤千宏先生でした。そういえば。

その後、愛知にUターンしてから、同じく日本福祉大学の小國和子先生の「開発ファシリテーションとフィールドワーク」の勉強会でも何度かお会いした。

ところがである。確かにお名前としては、それなりにビックネームだとは思っていましたが、元々、都市開発の専門家で、もうずっと以前に名古屋の国連地域開発センターにいらっしゃったことや、国連の職員でタイのESCAP(国連アジア太平洋経済社会委員会や、国連の人間居住センターのチーフアドバイザーとして、スリランカにいらっしゃったことなど、いわゆる来て越し道を全く知りませんでした。

穂坂光彦 『アジアの街 わたしの住まい』 明石書店 1994年12月

この本を、たまたま地元の幸田図書館で見かけて、そういえば日本福祉大学の先生のということで、手に取ったのですが、非常にその生き方に共感を覚えました。

かなり具体的な開発途上国の都市開発の国連のみならずNGOの開発戦略やその実践について述べられているので、それだけでも都市問題やスラム問題を考えるヒントになるのですが、わたしが、気になったのは、この一節。

「私は通算してすでに十七年も国連職員をしているのであるが、この本に書かれていることの多くは「本務」以外の「NGO的な」場で感じたことである。それは国連機関と草の根の間にはまだまだギャップがある、ということの反映でもある。いっきにNGO活動に専念するのも一つの立場だけれども、それぞれの場で努めることがあるのと私は思うので、ギャップの狭間に身をさらして働くことの方を私は選んできた。つまり大げさに言えば、国連を住民に近づけようと試みてきた。 (中略) それでも限界を感じて、仕事の合間に「ひとりNGO」としてスラムの現場で新しい動きをつくりだすことをいくつか試みたが、それらはおおむね手ごたえのある楽しいことだった。」 (P344〜345)

この、それぞれの現場で(20年間)がんばるということも、「ひとりNGO」という生き方も、まるで私がずっと言ってきたことで、ここにも、また優れた‘歩く仲間’の先達を(17年ぶりに)発見した思いである。

(続く)
(続き)

さらに引用すると、

「(前略)こうして立ちつくすたびに私は、ネパールで医療活動をつづけた故伊藤邦幸・聡美夫妻のことを思い起こす。

(引用)毎日毎日の食事にジャガイモばかり出たら私たちはどうするでしょうか。「アーア、今日もまたジャガイモか、もっとおいしいものにしてくれ」と言うでしょう。

 しかしジャガイモさえもなかなか口に入れることができない人たちが、アジアやアフリカにたくさんいるのです。こんな不公平なことがあってもよいのでしょうか。 (中略)

そこに貧しい人がいると見るか、この関係は不公平だと感得するか、それは直感的なことなのだが、この二つの感じ方の間には天地の隔たりがある。スリランカ政府も、私たち「外国人専門家」も、貧しい人たちのためプログラムをつくろうとしてきた。(プログラムに傍点)それに対してルーパたちの活動は、いままでになかった人と人との、また地域と地域との、新しい関係をつくりだす一歩となるに違いない。(関係に傍点)それはひとくちにいうと、伝えあい、分かちあう、ということである。その関係を受けとめて日本にまで広げることができるかが、私のこれからの課題である。」 (p347〜348)

この引用にある伊藤さんの言葉をどうとらえるのかも私としては微妙なところで、かつ保坂先生の続く文章とのつながりがいまいちわからないのですが、穂坂先生のいう「伝えあい、分かちあう」ということは、私も、自分で身をもって開発途上国のフィールドワーカーとのやり取りから学びました。(ex. Three Maria's Tale などを参照)

Three Maria’s Tale (3人のマリアの物語)開発コミュニケーション論におけるチェンジエージェントの一例として)2003年5月4日

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00019.htm

この本が出た1994年の当時は、私も社会人二年目で、右も左もわからずにひとり東京で慣れない東京での‘会社員’生活に苦闘しだした頃、まあ全然、接点がなかったわけですが、当然、私が‘気づいた’ように、当時47歳の穂坂先生も気がついていたということ。

この本には、私がこのコミュで語ってきたことがもっと具体的に学問的?に書いてありました。

特に、第三章は、そのまま私の問題意識とつながります。

III コミュニティをつなぐ

1. 学んで伝える−よそものの役割について 
     こうして私は始めた・・・・・(ホルヘ・アンソレーナ) ※コラム
2. スリランカの住民ワークショップ
     コミュニティによる居住環境計画
3. ネットワークによる開発協力 − ベトナムでの実験
     この家が好きだから(グェン・ティ・ノック・ハー)
4. 二つのネットワーク

ここらを読むと、国連職員という顔と、ひとりNGOという二つの顔を使い分けた穂坂先生の実践とその思索の深まりが伺えます。

そして「キャタリスト」(カタリスト)の重要性を取り上げている点も、私と全く同じ。

ともあれ、現場を持っている人は強いわ、というのが、本稿の結論。

また、保坂先生の実践の具体例については、別途、とりあげたいと思います。

※とりあえず図書館に本を返すので、次が何時になるのかわかりませんが^^?

ではでは^^?

(続く)
(なぜか?の続き)

蛇足ながら、

保坂先生は、「願わくば、そのような歓びを日本の若い世代の人たちと分かち合いたいものだ」(前出、ひとりNGOの文章の続きです。p345)ということで国連職員という実務家から若者を育てる側にまわったわけですが、私はどういう方向を考えるべきなのでしょうか。

以前、(開発)コンサルタントの仲間(同僚)のひとりが「実務家」にこだわりたいと言っていたことを、ふと思い出しました。

わたしはといえば、・・・。たぶん、若者と一緒に考えるのは好きだけど、たぶん自分の本音は、日本人の考え方自体を変えてゆくこと、私が生きているフィールドの中で。 ということは、究極的には、民俗‘学会’や人類‘学会’を変えてゆくことなのかなあという妄想がまた膨らんでいくのでした。

ただ、ひとこと付け加えれば、民博などの学者の先生方が始めた‘実践’の学問というスタンスには、なにか本質的に違うと私は思っています。

当然、正解はないけど、もっと平の人からのアプローチが必要ではないか。軽々しく龍谷大学の中村尚司先生の唱えている「民際学」と結びつけて考えてはいけないと思いますが。※私自身が、‘民際学’を言葉として聞いたことがあっても、その内容についてきっちりと押さえていないため。

ところで、もう一つ、保坂先生のこの本より引用。

「日本のNGOがその後発性ゆえに「開発協力のプロ」を多く擁していない、ということは、欧米に比してひとつの可能性をも示している。NGOの標榜するのが「市民の海外協力」ということであるならば、いたずらに「専門化」を追うよりも、視野の広い経験交流をめざす方がよい、と私は思う。数週間でも数年でも南のフィールドで汗を流した経験を胸に抱きながら、サラリーマンや看護婦や主婦や運転手や自治体職員をしている人たちが日本のあちこちに住んでいたら、そしてそのような人たちを結ぶネットワークが広がっていったら、私たちの社会の風通しもいくらか良くなるに違いない。」 (前出目次の、III 4.中の、コミュニティをつなぐ−ACHRについて の結語 p314)

まさに我が意を得たりといった感じで、まったく納得です。さすが、保坂先生、リスペクトです。

ではでは^^?

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