Trivia
●生まれてから現在に至るまで、本を1度も読んだ事が無い。だが自身のお洒落哲学を書いた「That Extra Half An Inch」を発表。
●ナルシストとして有名で、首下のタトゥーにヘブライ語で「I am my beloved, my beloved is mine(私は私の最愛のもの。私の最愛は私。)」と刻まれているほど(これはユダヤ人夫婦の結婚指輪によく刻まれる言葉である)。
●夫の不倫騒動のたびに、高価なブランド品を要求している(勿論億単位の品物である)。
●ポッシュの名は自だけのものだとして、ポッシュを愛称としているピーターバラ・ユナイテッドFCを訴えようとして周りに咎められる失態を犯している。
●日本のブランド、サマンサタバサのキャンペーン・モデルとなり、製品のプロデュースにも参加した。
●余りの細さに拒食症疑惑、以前よりも胸が大きくなったので豊胸手術疑惑、顔がスパイス・ガールズの頃より華やかになったので、美容整形疑惑が浮上している。
1996年
1996年7月8日、デビュー曲Wannabeをついにイギリスでリリース。またこの曲のミュージック・ビデオが音楽チャンネルを支配するようになった。1週目はチャート3位だったが2週目には1位をマーク。7週間続いた。たちまち世界中で大ヒットとなる。31カ国でチャート1位をマークした。これは女性グループの記録的な売り上げだけではなく、記録的なデビュー曲の売り上げといわれている。イギリスの歌手がアメリカ市場で人気を得るのは難しいが、この曲はビルボードチャートで1週目で11位をマーク。それまではビートルズの12位という記録が最高だったがそれを塗り替えた。11月に人気急上昇でアルバムSpiceをヨーロッパでリリース。7週間でイギリスだけで100万8,000枚を売り上げ、それまで1番だったビートルズの売り上げ記録を抜いた。トータルでは300万枚を売り上げ、15週間アルバム・チャート1位をマークした。10月には2ndシングル、Say You'll Be There、12月には2Become1をリリースした。この2曲は53カ国で1位を記録し、世界中に名声をもたらした。特に2Become1はクリスマス・ソングとして大人気であった。デビュー・アルバム、Spiceからの最後のシングルとして、Mama / Who Do You Think You Areをリリース。これもまた、チャート1位を記録した。
1997年
デビュー・アルバムはヨーロッパで1997年に最も売り上げたアルバムとなった。ヨーロッパで800万枚を売り上げたとして、プラチナ・レコード(×8)に認定された。アメリカでもアルバム・チャート1位をマークし、同国でも1997年最も売り上げたアルバムとして、プラチナ・レコード(×7)に認定された。11月には2ndアルバム、Spiceworldをリリース。同アルバムからのシングル、Spice Up Your Lifeをリリース。アルバムはすぐに世界中で人気となり、2週間で700万枚を売り上げるという最速記録をマークした。ヨーロッパ、カナダ、アメリカではそれぞれ1,000万枚を売り上げた。また、それからはToo Much、Stop、Viva Foreverをリリース。このうちStopだけがイギリスチャート2位にとどまった。また、Too Muchは1997年のクリスマス・ソングとしても人気があった。しかしながら、アメリカで「デビューしてから2枚目のアルバムをリリースするまでの期間が早すぎる」という批判があり、またメンバー自身、「家での生活があまりにもメディアに報じられすぎている」という苦難もあった。また、約20もの企業とスポンサー契約を結んでいたこともプレッシャーであったと後にメンバーは語っている。そして、このあたりから母国イギリスを除く各国のチャートでの衰えをみるようになっていった。それでも1997年、1998年の両方の年で最も売り上げた歌手として認められた。この年の6月には映画、スパイス・ザ・ムービーの製作にとりかかった。内容はスパイス・ガールズが初ライブ前夜にマネージャーと喧嘩をして失踪してしまうというコメディー。エルトン・ジョン、ロジャー・ムーアなど有名人もたくさん出演している。7千万ドルを世界中で売り上げた。しかし、この映画はゴールデンラズベリー賞(その年のハリウッド映画のワーストを決める賞)にて幾つかの部門でノミネートされ、結果、最低主演女優賞を受賞した。11月にはマネージャーとサイモン・フラーを解雇。理由に、自由が制限されすぎたというものがあった(メンバーのジェリとメラニー・ブラウンが特に嫌っていたという説がある)。
1998年
この年の早い頃に、スパイス・ガールズは102日に及ぶヨーロッパ・北アメリカツアーをはじめる(2月24日にアイルランドのダブリンで始まった)。メンバーのジェリが胃腸炎で最後の2公演、オスロ、ノルウェー公演を休んだ。このころからジェリがメンバーに幻滅し、脱退しようとしているという噂がながれはじめた。このツアーの後もいくつかのパフォーマンスをジェリは休んでいたので脱退は確実視されつつあった。5月31日にジェリの弁護士を通じて脱退が発表された。またジェリは次のようなコメントをのこしている。「残念なことに、私はスパイス・ガールズから脱退したことをお伝えします。私達には違いがあったからです。これからもスパイス・ガールズは成功し続けていくと思います。追伸、また戻ってきます。」ジェリは過度の疲れと自由な時間がないということを告白し、またメラニー・ブラウンとの不仲説がながれた。ジェリの脱退はファンにショックを与え、またこの年の大きなニュースにもなった。それでも残った4人のスパイス・ガールズは残っていた北アメリカのツアーを続けた。ジェリの脱退はグループに混乱をもたらした。予定されていたライブ・アルバムのリリースもキャンセルされたほど。7月20日にシングル、Viva Foreverをリリース。ジェリの脱退後のリリースとなった。同曲のビデオはスパイス・ガールズはアニメとして出演している。理由に、世界ツアーで忙しかったことと、ジェリが脱退して撮影が不可能になってしまったということ。(結局ビデオでは5人のスパイス・ガールズがアニメとして出演した。)また、この曲の次にNever Give Up On The Good Timesもリリース予定だったが、レコーディング、編集の時間がないということと、またしてもジェリの脱退が理由でビデオが作れないという理由でキャンセルされた。クリスマスにはGoodbyeをリリース。この曲はジェリ脱退の前に作詞されており、ジェリへの感謝の意をこめてのリリースとなった。また、スパイス・ガールズ自身3度目の大ヒットクリスマス・ソングにもなった。またカナダでは16週間チャート1位をマークし、1990年代に最も成功を収めた曲となった。
2000年
11月にアルバム、Foreverをリリース。いままでとは違い、R&Bの制作陣を迎えたが、ファンの反応はいまいちであった。USチャートではアルバム・チャート39位と振るわず、またイギリスチャートでは同じ頃にウエストライフがデビューし、そのデビューアルバムに負けてしまった。このアルバムからのリード・シングル、Holler / Let Love Lead The Wayをリリース。これはスパイス・ガールズにとって9度目のUKチャート1位をマークしたが、ビルボードチャート100にはランクインしなかった。(Hollerはダンス・ミュージックチャートで31位をマークした。)また、アルバムのプロモーション活動として、グループを2つに分けて活動するようになった。エマとヴィクトリアがアメリカを、2人のメラニーがヨーロッパを主に活動していた。また、この頃から各メンバーはソロ活動をし始めた。