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水流と水神コミュの高龗神/闇龗神(水神/龍神)

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タカオカミノカミとクラオカノカミは同一、あるいは対の神と見られ、
総称を「龗神(オカミノカミ)」とされる。
「龗(オカミ)」は龍(蛇)の古語であり、龍は雨、水を司るとされる。

タカオカノカミ=山頂の湧き水を司る神/止雨の神
クラオカノカミ=谷間の流水を司る神 /祈雨の神

オカノカミは
イザナギの剣、アメノヲハバリ柄に溜つた血から生まれた子であり、
天照大神の兄弟。

古事記での表記=淤加美神(オカミノカミ)
日本書紀での表記=龗神(オカミノカミ)

別称=
 オカミ
 オカミノカミ
 オカノオオカミ
 大山祗大神
 大雷神(オオイカツチノカミ)
 大水上御祖神(オオミナカミノミオヤノカミ)
 大水上祖神(オオミナカミノオヤノカミ)
 大水上神(オオミナカミノカミ)

●オカミを祀った代表的な神社
貴船神社本社(京都市)
http://kibune.jp/jinja/

《目次》
愛知県
●高龗神(福徳町 八龍社)=書き込み87
●籠神(諏訪山龗神社)=書き込み84/85

茨城県
●高籠神(龗神社)=書き込み23/29
●闇籠神(貴船神社)=書き込み30/31
●闇龗神(村上佐志能神社)=書き込み60/61
●高龗神(染谷佐志能神社)=書き込み64/65

大阪府
●高龗神(住吉大社末社貴船社)=書き込み82/83

神奈川県
●高籠神(大山阿夫利神社上社 前社) =書き込み16
●高籠神(大山阿夫利神社下社)=書き込み=書き込み11/13/14

京都府
●高龗神(貴布禰總本宮貴船神社)=書き込み35/51〜53
●高龗神/暗龗神(貴布禰總本宮貴船神社 奥宮)=書き込み37
●高龗神(貴布禰總本宮貴船神社本社)=書き込み36

島根県
●境内社 貴布祢稲荷両神社(神魂神社)=書き込み30

千葉県
●高龗神(高龗神社)=書き込み39

東京都
●高籠神(荏原神社)=書き込み18/19
●高籠神(和泉 貴船神社)=書き込み2/5

奈良県
●闇籠神(丹生川上神社下社)=書き込み66〜72
●闇籠神(室生龍穴神社)=書き込み57


↓MAP
http://www.google.co.jp/maps/ms?ie=UTF8&hl=ja&om=1&t=k&msa=0&msid=113844027188609943916.00000112a039420e9a4c4&ll=35.677997,139.648864&spn=0.003046,0.003063&z=18

コメント(89)

●貴布禰總本宮 貴船神社 御神水
京都市左京区鞍馬貴船町

本社に流れ出る御神水は、有料で分けて頂く事が出来る。
日本の「ルルド」として、その関係の人達では、有名らしい(?)
ちなみに、300円でした。
●貴布禰總本宮 貴船神社 水脈環境・思ひ川
京都市左京区鞍馬貴船町

橘道貞の心を取り戻そうと願った和泉式部は、貴布禰に詣でる。
和泉式部の頃は、今の奥宮が本社だった。
そして、この川で禊ぎしてから参拝している。
「思ひ川」は、禊ぎの川、物忌みの川だった。
そして、いつの頃からか、和泉式部の恋の川、「思ひ川」と呼ばれている。

さて、結社と奥宮の間に「思ひ川」は流れる。
訪れた時は、水量は僅かだった。
昔は、ここが禊ぎの川であり、結界の入り口だった訳だ。

もうひとつ。
「思ひ川」の上流には滝がある。
祈雨神事の霊地だ。
雨乞の滝、あるいは龍王ヶ滝と呼ばれている。
一の滝から三の滝までの三段の滝らしい。
禁足地なので、立ち入る事も拝観する事も出来ない。

他に見られないものは、奥宮の龍穴、貴船山の鏡岩も御神体なので、見てはいけない。
●貴布禰總本宮 貴船神社 水脈環境・貴船川
京都市左京区鞍馬貴船町

貴船川は、鞍馬川と合流し、鴨川、そして淀川となり、大阪湾にながれる。
つまり、淀川の水源でもある。
非常に綺麗な渓流である。
貴船菊を初めとして、貴重な動植物が生息している。
ヒマラヤ山脈と貴船川にしか生息しない、生きている化石「ムカシトンボ」。
「キブネダイオウ」という植物も、何故か遠く離れたヒマラヤと貴船川にしか生えていない。
他にも絶滅危惧種の、フタバアオイの繁殖地でもある。
もう他ではほとんど見る事の無くなった蝶なども観察出来る。
もちろん鹿、狐、猪、猿、熊も出る。
それ位自然が豊かだ。

今年二回目の参拝の時、京都市内の気温は27度だった。
本社に温度計が有ったので見てみると、なんと17度。
市内と10度も気温差がある。
京都市になっているとはいえ、やはり鞍馬貴船は、昔からの異境なのだ。
●貴布禰總本宮 貴船神社 水脈環境・貴船川
京都市左京区鞍馬貴船町

上記の書き込みは、10月の貴船川だが、夏になると様相が一変する。
有名な川床である。
実に京らしい風情があって好きだ。
問題は、お値段だけだ。
昼のランチなら数千円で済むが、夜はそうはいかない。
少なくとも三万円は必要だ。
お酒を召し上がる方だと、もっと持っていた方が安心だろう。
まして、舞妓はんや芸妓はんなんか呼んだ日にゃあ……。
私とは生きている世界が違うとだけ言っておこう。

※写真の写りが悪くてごめんなさい。
●貴布禰總本宮 貴船神社
京都市左京区鞍馬貴船町

水占。
御神水に神籤を浮かべる。
神籤に神託が浮かび上がる。
>さとちゃんさん

船形石はおもしろそうですね。
多くの磐座もそうですが、
人工物なのに、自然物のマチエールしか使用されていない。
これは水田も同じですね。
>萌さん

>何ゆえに八坂様でも八幡様でもなく高龗神なのか

湧き水があった可能性はないですか?
周辺に鎌ケ谷とか、藤ケ谷という谷地らしき場所があり、
貯水池が多い場所ですね。
>ニギハヤヒさん

鳥居の柱とまっすぐ伸びた龍穴杉が妙にマッチングして、
堂々たる境内ですね。
写真から凄い湿度を感じます。
●闇龗神(村上佐志能神社)
茨城県石岡市村上

12月1日月曜日午前中に
マイミクMythiqueさんのリクエストで
やはりマイミクそらみつ みそらさんのワンボックスに同乗して
浅草から石岡市の村上佐志能神社に向かった。
首都高から常磐自動車道を経由したものと思われるが、
進路は運転するそらみつ みそらさんとカーナビにおまかせだ。
常磐自動車道を下りて村上佐志能神社のある村上に向かう
途中、村上のコンビニでマイミク両氏は日本酒と水を購入。

村上佐志能神社は表通りから奥まった路地の先にあり、
ワンボックスでは入れないので、途中に停めて、歩くことになった。
うねった路地には元豪農のお屋敷らしきもの、石碑、堂、祠などが点在している。
路地の突き当たりに石碑、石造りの明神鳥居、短い石段があった。
それが村上佐志能神社だったが、ぼくが目を吸い寄せられたのは、
石段下の脇に設けられた2m×3m方形ほどの貯水池だった。
湿気でコンクリート枠は苔むし、池底に枯れ葉が落ち、雑草で囲まれた
その池の水は透明で、複雑な波紋を描いており、それを木漏れ日が透過していた。
その池には水の落ちる水路があり、水量は多くはないが、静かに水が落ちていた。
水源を辿ると、上の段に
トタン屋根が設けられた大きな丸岩で囲まれた少し大きな貯水池があった。
屋根の下を覗き込むと中は真っ暗で、池の深さもわからなかった。
その池にはさらに上方から水が落ちていた。
『新編常陸国誌』によると、ここには「龍門」「君門」と呼ばれる、
深くて底が分からない2穴があり、そこから清水が噴出し、
村上の人々の飲料水や灌漑用水になっていたという。

両氏に続いて、石段をあがり、鳥居をくぐると(写真左)、
正面の拝殿(写真中)に向かって、さらに石段がふたつ伸びている。
ふたつめの踊り場の参道脇に巨大な岩が地中から頭を覗かせており、
その前に稲荷社が祀られていた。
プレート境界の地下深部で高温高圧下にさらされて形成された
泥質の露出変成岩で、表面が剥離状になっている。
変成岩は関東域では中央構造線の南側に露出例が多いというが、
帰ってしらべてみたら、ここは中央構造線の北側だった。

石段を登りきると、正面に瓦屋根の拝殿があった。
鈴と扁額が無くなっている。
拝殿の階段の上に長い辺が20cmくらいありそうな猿の腰掛けが置いてあった。
癌の特効薬だ。
この大きさだと、密教寺院などに市が立って、山伏が民薬などを販売していると、
2万円以上したりする。
左隣には無人の社務所があって、その狭間から奥に入ってみると、
ここは拝殿と本殿が離れており、本殿の真ん前に出ることができた。
本殿の正面の桟には彩色された龍のレリーフが装飾されていた。
それは通常の社の桟の装飾とは異なって、ボリュームのあるものだった(写真右)。
現在の祭神は日本武尊と闇龗神(クラオカノカミ)となっているが、
闇龗神は龍神とされている。
そして、『新編常陸国誌』には

「村上神社 茨城郡村上村ニアリ 土人龍神ト称ス 今新治郡ニ属シテ雄龍山ノ麓ニアリ 龍神社ト称ス」

とあり、祭神はただ、「龍神」となっており、社名も「龍神社」となっている。

ぼくの背後ではそらみつ みそらさんの祈祷が響いていた。

3人とも村上佐志能神社の杜がいたく気に入った。
拝殿前に同行両氏は神酒と神水を撒いた。
この社殿の後ろには異形の巨木と地下から噴出した岩である
龍神山(りゅうじんさん)が立ち上がっていた。
その標高は163mとのことだったが、
村上佐志能神社は湧き水、磐座、神木に相当するものが散らばった神体山が
実にコンパクトにまとまった神社だった。
その不思議な空間の杜はあくまでも穏やかだった。
●闇龗神(村上佐志能神社) 水脈環境
茨城県石岡市村上

Mythiqueさんが村上佐志能神社社務所の脇に回ると、鳥居を見つけた。
鳥居先に奥宮があるのだろうか。
鳥居をくぐって龍神山の上方に向かう、
シダの葉の切れ目のある道らしきものがあった。
こういう場合、私的には逃さず進んで、よく怖い目に会ってきたが、
この日も突進することにした。
Mythiqueさん、やはりマイミクのそらみつ みそらさんも後に続く。
道は砂利と落ち葉のミックスされた状態で、少し進むと道は荒れ、急になって
入り口あたりよりも、はっきりした山道になった。
本殿の裏には根や枝のひねくれたシラカシの巨木や
幹の根元が複雑に分かれたスダジイ古木が何本も育っていた。
途中、水の干上がった深い水路の跡があり、
元の山肌には人口的な樋のような龍口にあたるものが突き出ていた。
地図を見ると、この水路跡の麓には池があるが、
航空写真では水は無くなっているから、湧き水が枯れてしまったものと思われる。
この水路に下りてみたところ、肩の高さくらいある。
どうもこれが「龍門」湧き水の跡で、
境内の入り口にある池が「君門」湧き水池のようだ。
山肌はどんどん急になり、道はどんどん険しくなった。
さらに進むと、ひねくれたスダジイの巨木とともに
磐座と呼んでもいいような巨岩が山の斜面のあちこちから頭を覗かせている。
どれも同じ泥質の変成岩だ。
イヤイヤ、これを目の当たりにしたら、この場に何事も起きないわけがない。
神は下りてくるだろうと思う。
さらに登ると、巨木は失せ、正面に岩壁が垂直に立ちはだかり、
まっすぐに進むことができなくなった。
ここまでやってくると、この山は一枚岩の表面に土が被っていて、
そこに灌木が生えているだけだということがわかってきた。
龍神山の標高は163m。われわれがいるのは110mあたりだろうか。
道らしきものはそこから左右に分かれているように見える。
ぼくは左手に進んだ。足場は悪く、もはや立っては歩けないので、
木の根や岩に手を掛けてソロソロと進む。
途中、岩肌から水が染み出ているところがあり(写真左) 、
横に帯状になった節理が見られた。
つまりこの龍神山全体が大昔には地中深くにあったのが、
マグマに押し上げられたものであることを意味している。
このあたりからは女性が進むには困難な状況になり、Mythiqueさんはストップ。
ぼくはもう少し行って様子をみようと進み、そらみつ みそらさんが後に続く。
頂を見上げると、山まるごとが岩であるのが見て取れる(写真中)。
この岩の頂点に祠でもあるのだろうか?
さらに進むと先には断崖があるようで、麓の工事現場らしき広場の一部が見える。
拝殿前に聞こえていた低いモーター音はこの工事現場の機器の音だったようだ。
それはあとで調べたところ採石場だった。
ここの石は骨材として、コンクリートや道路の路盤などに利用されているらしい。
国土開発によって、龍神は被害をこうむっているわけだ。
断崖には柵があるわけではなく、足下の安全度がわからないので、
近づかないようにして、そこから折り返して岩山の割れ目を登った。
途中には飲み物のパッケージが落ちていたりして、
誰かがここを通ったのは間違いなかったが、ここまで来ても先は見通せなかった。
龍神山の頂は見えている頂の先にあるような感じがした。
多少の危険度もありそうなので、今回は戻ることにした。
下山途中で、岩山の反対側にも迂回してみたが、やはり、先は見通せなかった。
神社に来て、ついでに頂上まで登るという感じではなかった。

龍神山からほぼ西にある筑波山までは12kmほどだが、
ここで湧く水はおそらく筑波山系の伏流水なのだろう。
かつてはここ龍神山の麓まで
流海(ながれうみ:霞ヶ浦)の流域が迫っていたといい、
2kmほど霞ヶ浦寄りには「波止岩」という小山もある。

村上佐志能神社の石段を降りて、来た時気になった貯水池を覗き込むと、
美しい波紋が広がっていた(写真右)
●高龗神(染谷佐志能神社)
石岡市大字染谷

村上佐志能神社から南西400m地点にある染谷佐志能神社に向かうが、
その間に広大な採石場があるために、大きく迂回することになる。
佐志能神社のあった村は「村上千軒」といわれるほどの大きな村だったが、
採石場ができたこととと関係があるのかどうか、分村された。
佐志能神社は染谷村側の現在地に祀られたので、
後に、新たに村上村にも佐志能神社が設けられた。
これが2神社が対になっている由来だが、
染谷佐志能神社が高龗神(タカオカノカミ:雌龍)、
村上佐志能神社が闇龗神(雄龍)を祀った。
佐志能神社は承和4年(837)ころから祀られた。
この地は地下1〜2mの深さまで岩盤で、井戸を掘ることができなかったといい、
村人は竜神山からの豊富な湧き水「おみたらし」からもらい水をして
飲料水として使用していたという。
村人は手桶や天秤棒に桶を下げて竜神山から水を運ぶことが日課となっていた。
「おみたらし」は旱天でも水が枯れることはなかったので、
かなり遠方の農家からも弁当持参で祈雨のための水を汲みに来たという。
佐志能神社で祈祷を受け、竹筒に水を入れて持ち帰るが、
帰るときは途中で休憩することはなかった。
それは、途中で休むとその場所に雨が降ってしまい、
自分の土地に雨が降らないのは困ると信じられていたからだった。
この風習は戦前までみられたという。
持ち帰った水は神棚にあげられ、今でも農家の人たちは
初米ができると、佐志能神社へお供えに行く風習があるという。

樹木に挟まれた一本道をワンボックスは進む。
一ノ鳥居を車でくぐると、道はかなりの急坂になった。
二ノ鳥居の手前に駐車スペースがあったので、
そこに停車して二ノ鳥居から立ち上がる長い石段を上がった(写真左)。
この階段は今回のツアーでは最長で、
さっき登った村上側の龍神山で太腿の筋肉がなまっていたこともあって、
途中で休みながら登った。

石段を登りきると、右手に縦格子の装飾の施された良くできた拝殿があった。
(写真中)
質素な村上佐志能神社の拝殿より大きくてデラックスだ。
境内には石灯籠や石碑があり、苔むしているが、乾いた感じだった。
石段をあがってきたそらみつ みそらさんが頭をかしげている。
神が居ないとか、ちゃんと祀られていないとか、いう意味のことを言う。
それを聞いたら、拝殿が急に倉庫に見えてきた(笑)
実際、この建物には正面の30cm四方の覗き窓以外に空気の通る場所が無く、
右側面に袋がもうけてあり、おそらくそこに神楽の道具が納められているのだろう。
そらみつ みそらさんは追いついてきたMythiqueさんとともに、あっちかと、
拝殿の向いている反対側の方に向かっていく。
ふたりの後を着いてゆくと、途中に注連縄の張られた神域や、干上がった池があり、
その脇には不動明王の石造が立っている。
つまり、神仏習合の場だ。
途中に神楽に使われると思われる鉄パイプで組まれた舞台があった。
干上がった狭い水路をまたぐと、拝殿と向かい合う向きに素木の祠があった。
ただし、何も祀られていないようで、荒れ果てている。
両氏はその前にお神酒とお水をあげて、参拝を始めた。
たしかに、あとで地図を見ると、現在の染谷側の龍神山のピークは
その荒れ果てた祠の真後ろにあった。
祈祷が終わると、ここでも祠の周囲にお神酒とお水が撒かれた。

拝殿に戻り、崖の隙間を抜けて、拝殿裏に回ると、
拝殿は2面が絶壁の縁に建っていることがわかった。
拝殿の裏は採石場で、広大な空間がスッポリと抉られ、
赤い土が覗いている。意外なことに粘土質のようだ。
龍神山で見られる岩が泥質の変成岩になっていることと関係があるのかもしれない。
当コミュメンバーうほっちゃさんの指摘で龍神山の等高線を見てみると、
なるほど、山頂付近からいきなり等高線が消えているのがわかる(MAP右)。
拝殿の背後には何も無くなっているのがわかる。
はたしてこの欠けた部分は頂だったのか、谷だったのか。
この染谷佐志能神社は心霊スポットとして知られているらしい
●高龗神(染谷佐志能神社)  水脈環境
石岡市大字染谷

同行したMythiqueさんが
拝殿前の崖の上から樋が通っているのに気づいた。
崖の途中に妙な設置のされた石額がはめ込まれている。
こんな石額の取り付け方も初めて遭遇した。
水は完全に枯れているが、そらみつ みそらさんは崖の上の水源に向かって
通路の無いところを登って行った。
後に続くと、狭い平地があり、その頭上に崖から龍口(写真)が突き出ている。
水行場になっていたようだ。
そらみつ みそらさんによると、悪い呪詛に使われた可能性があると言う。

神楽舞台脇の水路も完全に水が涸れていた。
龍神山の湧き水は筑波山の伏流水だと思われるが、
採石のために龍神山の中央部が削り取られたことで、
水脈が断たれたのだろうと考えられる。
●闇龗神(丹生川上神社下社)
●奈良県吉野郡下市町長谷

祭神は闇龗神。
高龗神という説も、丹生都比売という説もあるが、ここは記紀以前からの水神の匂いがする神社だ。
おそらく背後の丹生山が御神体だと思う。
丹生山山頂には古代の祭祀遺跡があるらしいが、未確認。
神武東征の時、ここで何らかの祭祀を行ったらしい。
既にその頃には、何らかの形で存在していたと思われる。
社殿によると正式には、天武天皇白鳳四年(676年)の創建。
神社では、「日本最古、水の神様」と称しているが、本当に最古なのかもしれない。
丹生山、丹生川、このあたりは昔は水銀が採れたのだろう。
神社の創建時は役行者が現役だった。
そしてこの神社は、吉野〜熊野という奥駆ルートの麓にある。
修験の跡は見えないが、匂いはプンプンしますな。
●闇龗神(丹生川上神社下社)
●奈良県吉野郡下市町長谷

柏手を打つ。
ものすごく柏手の音が響く。
共鳴するというのか。
気持ちが良い。
すごく良い。
行ったことのある神社の中で、柏手が響く神社No.1だ。
横から神社の構造を見て納得した。
拝殿と、斜面の飢えに建つ本殿を、屋根のある木の階段で繋がっている。
神社建築は、全く分からないんだけれど、何造って言うのだろうか。
この構造が、柏手を響かせていたのだろう。
●闇龗神(丹生川上神社下社)
●奈良県吉野郡下市町長谷

境内には井戸があって、御神水が頂ける。
一口頂いた。
美味い!
御神木のところからの柏手も凄い。
御神体の丹生山自体が震えてるんじゃないかと、錯覚するくらい響く。
●闇龗神(丹生川上神社下社)
●奈良県吉野郡下市町長谷

産霊石(むすびいし)。
高皇産霊神と神皇産霊神が宿る。
産霊の神が、衰えようとする魂を奮い立たせる。
子宝に霊験があるのは言うまでもない。
他に境内には、牛石、蛙石という磐座もある。
●闇龗神(丹生川上神社下社)
●奈良県吉野郡下市町長谷

多羅葉(たらよう)。
本州の静岡県以西、四国、九州の暖地に分布。
別名、葉書の木。
珍しい木だと思う。
近郷には、この木1本だけしか無いという。
葉の大きさは、長さ20cmくらいだったか。
生の葉の裏に、堅い物で字を書く。
すると文字の部分が、黒く浮き上がってくる。
その葉を乾燥させる。
そうすると、何十年たっても、その文字が消えることはないという。
不思議な木だ。
葉書の語源は、この木の葉だった。
●丹生川上神社下社 水脈環境・丹生川
●奈良県吉野郡下市町長谷

丹生川はとても水が綺麗だ。
清流である。
鮎だって住んでいる。
そう!
このあたりの名物は、鮎なのだ。
しかも6月1日に鮎漁が、解禁されたばかり。
それも上流域の若鮎だぜ!
これは食べて帰らない手はない。
が、この日はこの後、大峰山・山上ヶ岳に登拝する予定だったから、ここで生臭物を食べる訳にはいかない。
帰りに、絶対に鮎を食べるぞと、心に決めて、天川村に向かったのだった。

この続きは、「役小角ゆかりの場(県別)」コミュにて!
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=2548699&comment_count=226&comm_id=370449
●丹生川上神社下社 水脈環境・鮎の塩焼き
●奈良県吉野郡下市町長谷

「役小角ゆかりの場(県別)」コミュから、帰って来ました。(笑)
そう、鮎の塩焼きを食べるために!
だが、時間が少々遅くなってしまった。
時計は18時を過ぎている。
このあたりは、お店の閉まる時間も早い。
1軒目の塩焼き屋さん、閉まってる。
2軒目の土産物屋、ああっ閉まってる。
諦めかけた時に走りすぎた食堂に、一瞬「鮎」の文字が。
行き過ぎて、Uターンして、戻って確認した。
有った!
そこには「鮎の塩焼き」の文字が輝いていた。
で、喰ってやったぞ、鮎。
しかも、鮎ざるセットだぞ、鮎。
久しぶりに喰ったが、美味いモンだな、鮎。
でも、鮎ざるセット、1,000円は、ちょっと高くないか、鮎・・・・・・。

余談。
以上、とっても良い一日だった。
丹生川上神社下社の柏手。
母公堂での口伝の相伝。
最高のコンディションの山上参り。
温泉が無料。
そして鮎の塩焼き。(笑)
みんな、私のことを、運が良いなどと、思ってはいけない。
私は、日頃の行いが良いだけだ。(キッパリ!)
う〜むハンドルネームを「山中 鮎」にした時は
このコミュを立ち上げることになるとはまったく予想してなかったのだが…
                              ―管理人
> ?夏蓮(かれん)?さん

ナイス情報ありがとうございますぴかぴか(新しい)わーい(嬉しい顔)

あの階段、めっちゃ昇ってみたかったんです!

6月1日行けるように頑張ってみますハート


長々とコメを書いたのでわかりづらいかも知れないので簡潔に書き直しました\(^o^)/

6月1日

【丹生川上神社下社】の大祭です

とても素晴らしい氣を頂けますので…

ワチキも去年同様参拝させて頂きます(^o^)v



> ☆美夕☆さん


いえいえどういたしまして(^o^)v

つうか長々コメしたので簡潔に書き直しました(笑)


ワチキは丹生川上神社下社の神様にぞっこんLOVEハートハートでして…v(^o^)(^o^)v

結構参拝させて頂いてますので…(^o^)v
> ?夏蓮(かれん)?さん

情報ありがとうございます。
イベントスケジュールのトピックにも書き込んでいただけると幸いです。
m(_ _)m
> さとちゃんさん

遅くに成ってしまいすいません(^o^;)

イベントの方に書き込みをさせて頂きました(^o^)v

駐車場は鳥居横に6台と隣に臨時駐車場も有りますが、やはり限りも有りますから…

何人かでご参列される方は1台の車で乗り合わせて行かれる事をお薦めしますよ(^o^)v



【丹生川上神社下社】さんの大祭日…



今年も参加させて頂けました\(^o^)/



改めて感謝?(≧∇≦)




●末社貴船社(住吉大社)
大阪府大阪市住吉区住吉2丁目9-89

5月中旬 晴れ。
今宮戎から大坂と和歌山とを結ぶ紀州街道の一部を継承する26号線で
住吉公園に向かった。
住吉大社は住吉公園の東に位置する。
「住吉公園前」という表示を認識した時には
すでにその入り口を通り過ぎていた。
やむなく住吉公園の南側にそって流れる細井川沿いの路地に入った。
「細井川」の名称はネット地図には表示が無く、
正式名称は「細江川」だという。
実際に細江川沿いを走ってみると、川幅は7mほどで、
水量も多くはなく、護岸された水面は低い。
細江川の水源はわずか、2.4kmほど東にある長居公園あたりだという。
この地域には池が多く、
住吉公園、住吉大社、長居公園、ともに敷地内に複数の池がある。
さらに住吉大社から東北860mあたりにも大きな池を中心にした公園があり、
湧き水の豊富な場所であったことが想像できる。

西、つまり海に向いた住吉大社の社頭に着くと、
参道両側には松の多い杜だった(写真左)。
石造の一ノ鳥居と「反橋」と呼ばれる太鼓橋を渡り、
4社の本殿、多くの末社を巡って境内東の奥に至ると、
参道の南に面して北を向いた朱色の棟入りの社があった(写真中)。
朱塗りで棟入りの形式は住吉大社の本殿の住吉造に倣っているのだろうが、
屋根は住吉大社の本殿が檜皮葺(ひわだぶき)なのに対し、瓦葺きだった。
これらはほかの多くの末社とも共通した形式だ。
社殿の大きさには不釣り合いな石灯籠を両前に設置されている。
社殿の高床を模した柱の裾は朱が禿げてきている。
その床にあたる部分には板書きが置かれていた(写真右)
社名は「貴船神社」、祭神は「高龗神」。
本社が京都府の貴船にあり、「祈雨の神」とする説明が筆書きしてあった。
京都から熊野三山詣をするさいには
旧淀川河口の難波津から住吉大社に至る南北に長い台地を通る
熊野街道を辿るのが常道だった。
●末社貴船社(住吉大社) 水脈環境
大阪府大阪市住吉区住吉2丁目9-89

貴船社の背後には比較的大きくて深い水路の跡があった(写真左)。
この水路の存在は、貴船社がここに祀られていることと関係がありそうだ。
かつて、ここにも湧き水があったのか、あるいは水が引かれていたようだ。
この周辺に多い池はこの周辺だけにとどまらず、
天王寺の台地から住吉大社に至る地域に多くの池が点在している。
これはかつて、湧き水が点在していたことによる可能性が大きいのだが、
天王寺の場合は具体的に「天王寺七名井」と呼ばれた湧き水や井戸が存在した。
窪津王子跡の泉の神・坐摩神(イカスリ)も湧き水に対して祀られたものだろう。
御田植神事の説明文でも特に
「神聖な水(湧き水)で田の水を清める」という一文が見られる。
貴船社背後の干上がった水路は
住吉大社境内の整地された池に(写真中/右)流れ込んでいたようだ。
●諏訪山龗神社
愛知県名古屋市緑区鳴海町諏訪山159

1月の上旬 晴れだが気温は低い。
東西に走る国道一号線に近い南側にある諏訪山諏訪社に向かった。
地図表記の「諏訪山」とは山名ではなく、町名だが、

『緑区の歴史』(榊原邦彦著/昭和59年発行)にこうある。

「諏訪山の旧字は多く、平部山(ひらぶやま)、蛇池(じゃいけ)、諏訪、諏訪前、諏訪下、前山などである。」

町名だが、ここにある山に由来する町名であることはまちがいない。
地図には諏訪山に諏訪山諏訪社と下諏訪社が表示されている。
南東を向いた社頭には一般道を兼ねた参道両脇に幟を立てる石柱があるのみで、
鳥居はその参道の70mほど奥の突き当たりにあった(写真左)。
ところが、その石鳥居の南脇に朱の鳥居が連なり、
石段ではなく、スロープになった参道が山の上に向かっていた(写真左)。
当初、稲荷社かと思ったが、鳥居の両側に連なる白い幟には
墨書きで「諏訪山龗神社」とあった。
とりあえず、諏訪山諏訪社の拝殿に向かい、参拝を済ませて、
下諏訪社に向かおうと参道の分岐道を南に進もうとしたころには
すでに夕闇が迫っていた。
分岐道に入るととすぐ左手に、東に向かって並ぶ
諏訪山龗神社の朱の鳥居と白い幟が連なっていた。
その鳥居のトンネルをくぐってゆくと、
本殿前には石造の明神鳥居があり、参道は鳥居前を東西に抜けている。
鳥居の正面、参道脇には
凝った龍の浮き彫りが施された手水桶が設置されていた。
本殿は3方を壁で囲った銅板葺屋根の覆い屋の中に祀られていたが、
すでに屋内は真っ暗だ。
鳥居をくぐると、覆い屋は鉄筋造で、
床は一段高くなって石畳が敷かれていることがわかった。
入り口脇には「龗神 拝所」の石標が立っている。
屋内で参拝して外へ出ようとすると、明かりが点灯した。
見ると、コンクリート造の基壇の上に神明造の本殿が祀られていた。
明かりで、本殿に向かって右奥に“おもかる石”が
座布団に置かれていることに気づいた。
なんで、こんな目につかない場所に?
●諏訪山龗神社 水脈環境
愛知県名古屋市緑区鳴海町諏訪山159

諏訪山龗神社の本殿の前以外の参道は朱の鳥居で埋まっており、
白い幟も同様に、参道の朱の鳥居の外側に隙間なく立ち並んでいた。
幟の社名の上には諏訪山龗神社の龍の神紋が染められている(写真左)。
諏訪山にかつて存在したという
室町期以前に造られたため池、蛇池(じゃいけ)の場所を
見たかったこともあったが、
諏訪山龗神社の神紋を撮り忘れていたこともあって、
ふたたび、諏訪山龗神社にやってきたのだが、
本殿前の参道を挟んだ正面には素晴らしい龍の浮き彫りの施された
手水鉢が置かれていた(写真中)。
2度目は明るい時間帯にやってきたので、重要なことに気づいた。
本殿を囲む低いコンクリート造の塀に密接する形で、
井戸があることに気づいた。
龗神は湧き水に対して祀られることが多いので、この井戸を見つけるまでは、
ここ諏訪山に湧き水があったのだろうと推測していたのだが、
この井戸に対して諏訪山龗神社は祀られたのかもしれない。
なぜなら、井戸と龗神が無関係なら、
こんなにも井戸と本殿の塀をくっつけて窮屈な設置をする必要がないからだ。
井戸はコンクリート造の井桁に火山岩のような自然石を装飾に使ってあり、
目立たない色と形状で、開口部の直系は40cmくらいしかなく、
そして、あきらかに目の付かない位置にある。
井戸にはワイヤーネットが掛けてあり、中は暗くて見えなかった。
●高龗神(福徳町 八龍社)
愛知県名古屋市北区福徳町3-8

1月下旬
庄内川の南岸にある天台宗寺院を訪問した時、その寺院の山門前の路地に面して
東に社殿らしきものが見えるので、 愛車で東に向かうと、
ずいぶん高い場所に 流れ造の本殿が設置されているのが見上げられたが、
(写真左)
ここから190mほど北北西に庄内川の堤防があることから、
庄内川の氾濫対策の側面があることがわかる。
社頭はもう1本南の路地にあるようなので、回ってみた。
南南東向きの社頭は丘の上に向って石段が延びており、その麓に灯明門と
「八龍社」と刻まれた社号標が立っている(写真中)。
周辺は平地なのだが、八龍社を祀るために古墳規模の土を積むとは思えないし、
この周辺に古墳は見つかっていない。
周囲は100%住宅街なので、ここだけ残して整地された可能性はある。
「八龍」とはおそらく「八大龍王」のことなのだろう。
石段の上には石鳥居が立っている。
社頭の石垣沿いには自転車を斜めに止められるほどのスペースが設置してあったので,そこに愛車を突っ込んだ。
石段を上がって、鳥居をくぐると、参道の西側に
黒御影の『八龍社略記』石碑が置かれていた。
祭神は以下。

御祭神 高龗神(たかおかのかみ)
 合殿 白山比メ命
    建速須佐之男命

創建は江戸時代。
高龗神は湧き水に対して祀られる神であり、庄内川との関わりよりも、
『由緒』によれば、旱魃対策で神徳とされている
「祈雨」のために勧請された神のようだ。
高龗神は鴨氏の祀った神である可能性があるが、
白山比メ命と建速須佐之男命も尾張北部には多く祀られた神であり、
同族の神とみられる。
周辺に祀られていたものがここに合祀されたものと思われる。
鳥居の正面に本瓦葺棟入り吹きっぱなしの拝殿があった(写真中)。
拝殿の奥に回ると、石垣の上に比較的新しい
銅板葺棟入りの幣殿と本殿が祀られていた(写真右)。
この丘の上からの眺望はさほど良いものでもないが、高い場所にあることで、
開けた空間を感じさせる杜ではあった。
●高龗神(西八龍社)
名古屋市北区中味鋺1丁目203番地

4月下旬 晴天
旧稲置街道(いなぎかいどう=木曽街道)を辿って、
中味鋺(なかあじま)の西八龍社にやってきた。
西八龍社は現在の木曽街道に面しているが、
旧稲置街道の570mあまり西に位置していた。
西八龍社は庄内川北岸の堤防下に社地があり、
西側の木曽街道で社地に接近したことから
木曽街道に面した脇の入口から境内に入ることになった。
入口は社地の木曽街道沿いに張られた新橋色のワイヤーネット塀の
開口部があるだけだった。
社内には玉垣で囲われた部分があって、社内に入ってから気付いたのだが、
その外側の木曽街道沿い部分は駐車場を兼ねた広場になっており、
鳥居は社地南側の堤防の麓の方に在った。
入口脇の車道沿いにバイクを停めて社内に入り、まずは社頭を観に向かい、
鳥居から外に出た。
ほぼ真南を向いた石造の伊勢鳥居と、この部分では東南東に延びている堤防との間には、この杜の全体を視野に入れるだけのスペースは無く、堤防の上に上がった。
堤防上からは杜の全容を眺めることができた(写真左)。
鳥居の直前から堤防の麓に沿って幅3mほどの道が東に延びているのだが、
鳥居の東側の社地に巡らされた玉垣沿い部分だけ、
さらに3mほど通路が広げられている。
一方、鳥居の西側の玉垣前には1.5m幅の通路があるのみだ。
「西八龍社」と刻まれた社号標が鳥居の脇にあり、
鳥居の正面奥、10mあまりの場所に吹放しの拝殿が設置されている。
境内には砂利が敷いてあるが、敷きつめられている感じは無く、
特に参道も設けられていない。
拝殿の奥には玉垣で囲われたスペースがあり、
その部分は社叢で覆われ、本殿は見通せない。
改めて鳥居をくぐると、目の前の本瓦葺棟入りの拝殿を通して、
奥に瓦葺平入りの社殿があるのが見えている(写真中)。
拝殿を奥に迂回すると、すぐ、短い石段があり、
30cmほどの高さの石垣で土段が上げてあり、石垣の上に玉垣が巡らされている。
玉垣の両側の親柱には
白地に天色の左三つ巴紋と「西八龍社」の墨書きの入った幟が
この日の強風ではためいている。
石段を上がると、玉垣内は神社というよりも、旧い屋敷を訪問した雰囲気で、
樹木も饅頭形に剪定されている。
正面奥の、両袖の木塀とともに瓦葺で、
木部がすべて烏羽色に染められた神門が拝所になっている。
神門の開口部は板垣で閉じてあり、欄間には縦格子がはまっている。
すぐ奥には1.5mほどの高さに小型の玉石で目地を広めに組んだ
末広がりの美しい基壇が設置され、素木の本殿が祀られていた(写真右)。
土段下の境内の神木の前に掲示された板書『雷除 西八龍社 略記』には
こうあった。

「御祭神 高龗神(たかおうかみ)
  祭日 七月二十八日(雷除祭)
 鎮座地 名古屋市北区中味鋺1丁目203番地

  由緒
 朱雀天皇の御代 承平年間(921〜938)に創立されたと伝えられている。
 文政のころ(1818〜1830)から雷除の神、日ごいの神として崇敬されてきたと伝えられている。
 太平洋戦争で、本殿以外は焼失した。庄内川堤防の改修工事の溜め、鳥居はそのままの位置に残し、六ヶ月かかって社を60米北の現在地へ移し昭和25年7月に竣工した。
 現在の本殿は平成9年6月に新築されました。」

一般には「たかおかみのかみ」と読むのを、
「たかおうかみ」と読む例は初めて遭遇したが、
聞き書きの間違いである可能性もありそうだ。
板書タイトルにある「雷除」は、この神社にある、
落雷を受けた杉の神木に由来しているようだ。
落雷被害を受けた神社を、龍神とはいえ、「雷除」の神として祀るのは
西洋的な発想ではあり得ないことだ。
さらに、龍神なので「雨ごいの神」なら解るのだが、
真逆の「日ごいの神」としているのもおもしろい。
「雨ごいの神=天候を左右できる神」と考えれば、
「日ごいの神」もありではある。
運動会や結婚式などの晴天を望む願いに対応したものだろうか。
参拝して、奥を望むと、本殿の周囲はゆったりした空間が取ってあり、
境内社は見えず、どこからでも本殿の全容を望めるものと思ったのだが、
社叢はまばらなのにも関らず、社叢にうまく遮られ、
社地の外側を周回してみたのだが、本殿の全容を観られるポジションは無かった。
●高龗神(西八龍社)  水脈環境
名古屋市北区中味鋺1丁目203番地

西八龍社の社頭を流れる庄内川は岐阜県恵那市の夕立山を水源とし、
名古屋市港区で伊勢湾に流れ込む河川だ。
その庄内川の南240m辺りを流れていた矢田川は、
ちょうど西八龍社の南側あたりを起点に昭和5年(1930)に
矢田川が北側を流れる庄内川に堤防を共有して沿う形に
付け替え(流路変更)が行われた。
それ以前の庄内川と矢田川の間の土地は上流域の地質が花崗岩であることから、
その土砂による堆積で水害に悩まされ、
輪中(わじゅう:堤防で囲われた土地)を形成してきたのだが、
矢田川の付け替えは、その水害リスクの改善策だった。
そして、西八龍社はその輪中の東端の対岸に位置していた。
現在の庄内川と矢田川の水路は西八龍社の下流200m以内に架かっている、
ふれあい橋から見下ろすことができる)。
ふれあい橋上から庄内川を見下ろすと、この日は、かなりの強風で、
欄干を掴んでいないと、身体を持っていかれそうな強風で、
川面には風で波が立っていた。
ふれあい橋の北側の堤防上から庄内川を眺めると、
矢田川の南岸沿いに立ち上がっている
アストロタワー(北スポーツセンター)が望める。
矢田川は、ふれあい橋の下流2.8kmあたりで庄内川に合流している。

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