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量子論と複雑系のパラダイムコミュの反証主義1934年 カール・ホパー

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科学とエセ科学をどのように判断したらよいのだろうか?

 次の科学史の事実を例題に考えてみる事としよう。

 [アインシュタインの相対性理論は1919年の皆既日食によって「確認」された。同時にニュートン力学は「否定」された。]

 さてまずここで理解しなければならないのは「確認」されたことは「証明」したことにはならないことだ。なぜなら、例えば「スワンは白い」という命題は、1000匹のスワンを白と観測できても、1001匹目に黒いスワンが観測されれば、たったひとつの「反証例」によってその命題は完全に否定される。これは「証明と反証の非対称性」と言われる。

 次に、理解しなければならないのは、否定されたニュートン力学も科学的理論であることを止めないという点だ。占星術や宗教などであればいくらでも言い逃れができたのだろうがニュートン力学が反証されたのは、それがもともと科学的であったからである。

 この「反証可能性」が科学とエセ科学の境界となる。

 さてここで、気を付けなければならないのは、科学という言葉の範囲には結果としての「理論」からプロセスとしての「仮説」まで、つまりシロからグレーのゾーンまでを含むということです。グレーのゾーンを解き明かすことが研究なのですから、これを省いてしまっては、科学はなりたちません。

 ホパーの境界線はどちらかというと「シロ」と「グレー」間にひかれてしまうようだが、例え、仮説であっても、反証可能性があれば、科学的仮説であり、反証不可能であれば、似非科学となる。

コメント(10)

すばらしい定義ですね。

ニュートンの力学が宇宙空間のどのエリア内なら通じるのか?
相対性理論はどのエリアまでのことをいっているのか?
で整理するとわかりやすいと思いますね。

地球上だけで通じる理論、太陽系内で通じる理論、銀河系内で通じる理論

宇宙すべてで通じる理論が最終理論といえるのでしょうね。。 
カール・ホパーの反証可能性の本当の意義は知の活動を静止的なものではなく、同的なものとして捉えたことにあります。

つまり、科学の世界から反証されたもの、反証可能性のないものを追い出しても、残ったものは全て、科学的な地位を保証されてはいないのです。

「これは科学だ」というものに到達することはなく、科学かもしれないものを更に科学の篩で吟味することが科学的姿勢だというにすぎないのです。

♪Goethe♪
反証は、科学的なものでなかればならず、科学故に再反証可能な余地は常にあるということですね。

一度は否定されたエーテルやλ項が、真空のエネルギー、ダークエネルギー、ダークマターとして復活するようにね。
プラトテレスさんに乾杯ぴかぴか(新しい)

 まさにその通りですよねぇ。
 
 「プラスとクワス」の話の中で,クリプキもそんなことを言っていたのを思い出しました。
ちょっと、誤字があったようで言っている意味が伝わらなかったみたいですね^^;

(正)

カール・ホパーの反証可能性の本当の意義は知の活動を静止的なものではなく、動的なものとして捉えたことにあります。

科学に最終的な安寧の場所などなく、常に批判に晒されるのです。
これでいいという状態はありません。科学的姿勢こそが大事なのです。

天動説は似非科学でしたか?
そして、地動説は科学ですか?

それらは、時代と、対象の範囲などの制限によって、科学にも宗教にもなるのです。

♪Goethe♪
私が哲学にはうといからでしょうが、悪魔の証明の話を思い出しました。
反証主義の趣旨とは「反証できる=偽」ということでしょうか?
私が知る限りはニュートン力学は現在でも有効な近似理論として広く用いられているので、エセ科学だとは思いません。故に「確認=反証」ではないという理解でよいのでしょうか?
それとも、「科学」の定義が近似理論を含まないということでしょうか?

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