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背理・逆説・パラドックスコミュの一票の差!?

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最近まで悩んでいたものです


選挙に投票へ行くと行かないとでは、一票の差しかできません。これで、結果が左右されることはまず無いと言っても過言ではありません。

よく「100人の人がそう考えて行かなければ、100票の差にもなる。だから行くべき」などと言う人がいますが、この考えは明らかに間違いです。
なぜなら、自分が選挙へ参加するかどうかと、他の99人が選挙に参加するかどうかには、なんの関連性もないからです。

ですから、投票に行くコスト(時間的・物理的)を考えれば、行かない方がよい。と結論づけれそうです。

しかし、候補者の立場に立ってみましょう。連日「アナタの一票がぁ〜〜〜」と言いながら選挙カーを走らせてます。
そこで、目の前に、誰に投票するか迷っている人がいるとしたらどうでしょう。きっとあなたは必死になって「是非私に入れてください!」と頼むでしょう。

自分が投票するときはたかが一票、しかし自分が候補者の時は一票でもっ
パラドックスと言えないでしょうか?

コメント(218)

で、一般的に選挙の際の戦略というのは

・支持者プレイヤーを熱烈支持者プレイヤーに変更させるような戦略を考える。

・A候補支持者プレイヤーを、B候補支持者プレイヤーに変更させるような戦略を考える。

これが一般的にいう選挙運動ですよね?

こういう場合に、そもそもゲーム理論は適用できるのでしょうか?

#要するに、与えられた利得行列を解いて、最適解を求めるのではなく、利得関数を変化させることにより、目的を達成する、といった手法です。

これが前にちょっと質問してそのままになっている

>これもどうかなあ。学習等による利得行列の動的変化を扱う
>理論もあるようですが・・・

に絡んでくるのですが、利得行列をいじくることによって目的の結果を得ることができる、というのであれば、例えば「囚人に自白をさせるなら、利得関数を変更して、自白した囚人の刑期をゼロにすれば、みんな自白する」「今まで投票に行かなかった人を投票に行かせるには、投票コストをゼロにすればみんな投票に行く」というのが通用してしまいますよね?
> 利得関数を変化させることにより、目的を達成する

利得関数は変化していません。
自分に有利な戦略を選択しているだけですね。
178、179>SPLさん
ゲーム理論と囚人のジレンマでなくパラドクスとしてはどうなんでしょうか?難しい話で無ければ会話が出来そうです。178は感覚的にわかります。僕はなんとなくパラドクスになるのかも、と思ってきてます。
>181:NARさん

>ゲーム理論と囚人のジレンマでなくパラドクスとしてはどうなんでしょうか?

結論を言ってしまうと、前にもちょっと書きましたが

「候補者は別に一票を集めているわけではない、すなわち、トピ主が感じている1票の重さと、候補者の感じている1票の重さになんの違いもない。」

ということになります。

パラドックス的なものがあるとすると、
「選挙カーから連呼している「あなたの一票が・・・」という言葉」
だと思います。

実際の選挙では、178に書かれている内容でほぼ全てです。

・候補者の「得票数」に価値を見いだしている。
あるいは
・投票所に行くことに何のコストも感じていない。
といった人たちを、ここでは「熱烈支持者プレイヤー」と名付けていますが、こうした人たちの投票で選挙結果はほぼ決まってしまうのです。

当落のみに興味があり、なおかつ投票所に行くことに高いコストを感じている人たち(ここでは「トピ主タイプ支持者プレイヤー」と名付けています)は、結局棄権することになります。

そしてそれは全員にとって合理的判断で、どこにもパラドックスもジレンマもありません。

「トピ主タイププレイヤー」が全員選挙に行ったとしても、(対立候補の同様プレイヤーが投票行動を同じように行えば)選挙結果には何の変化もありません。


じゃあ、実際の選挙の戦略がどうなっているのか?

もっとも重要な作業は
・自陣営の熱烈支持者プレイヤーに確実に投票所に行ってもらう」
ことです。
そのために選挙では、組織作り、後援会の体制固め、といったことが最重要ポイントになります。

もちろん、それ以外に
・自陣営の「トピ主タイプ支持者プレイヤー」を「熱烈支持者プレイヤー」に変化させる。
・相手陣営の「熱烈支持者プレイヤー」を自陣営のプレイヤーに変える。
といったことができればさらに良いのですが。


しかし、これらの戦略は、どれもこれも

「ゲーム理論でいうところの各プレイヤーの価値観を変化させる」という作業なので、
・実際の選挙の戦略にゲーム理論を直接適用することは難しい
・プレイヤーの価値観を変化させないような、通常のゲーム理論で選挙を考察すると、178に示すように各プレイヤーの戦略は一意に決定されてしまって、適用する意味が無い
ということになるのではないかと思うのです。


例外的にゲーム理論が適用できそうな場合というのが、

・候補者の支持者数が拮抗していて、いわゆる無党派層の動きで選挙結果がどちらに転ぶか分からない

という場合なのですが、このトピックではまだその話は書いていません。
> 「ゲーム理論でいうところの各プレイヤーの価値観を変化させる」という作業なので、
> ・実際の選挙の戦略にゲーム理論を直接適用することは難しい

普通はそれを利得関数に組み込むんだよ。本当に何にも知らないんだな。
ゲーム理論をどこで勉強したの?『まんがで分かるゲーム理論』みたいな感じの本を読んだの?
既に書かれているかも知れませんが、書き込みをすべて見れないので重複していましたらすみません。

書き込まれた問題ははぶん「投票のパラドクス」のことかと思いますが、このことはアンソニー・ダウンズが著名な論文で指摘しておりますので、参考までに読まれてみるといいのではないかと思います↓

Anthony Downs, An Economic Theory of Democracy, 1957

また、このダウンズのモデルはのちにライカーとオーディシェックによって発展させられ、「ライカー=オーディシェックモデル」として知られていますので、こちらも理解の一助になるかと思います。
>184 prince!!さんへ。洋書を買って読むつもりは無いので、その論文に書かれている概要を教えていただけないで
しょうか。
184>>prince!!さんへ。僕も概要が知りたいです。ただ りちゃぼうさんほどの理解力は無いですが。。。

182>SPLさん 結論の

>「候補者は別に一票を集めているわけではない、すなわち、トピ主が感じている1票の重さと、候補者の感じている1票の重さになんの違いもない。」

に、疑問を感じます。候補者は別に一票を集めているわけではないというのは現実問題でこのトピにおいては仮定になってしまいませんか?トピ内の最後の文章に着目していき、ゲーム理論も囚人のジレンマもフリーライダーも忘れて自分を外し立場を除けると

>たかが一票、(されど)一票でも

なんとなくパラドクスになってくるような気がしてるんです。
明らかにパラドクスを勘違いしてますか?
>184: prince!! さん

投票のパラドックスは、このトピックで議論されている問題とは、ちょっと違った問題のようです。

また、ダウンズ論文の原典は読んでいないのですが、ダウンズ論文を引いているドキュメントをざっくりと見てみた限りでは、政策決定に関する話題、投票行動における政策情報の影響などがほとんどで、このトピックで話されている話題とは、やっぱりちょっと違いそうです。

#極端な話、このトピックで問題となっている「投票」は政治的な問題ではないもの、例えば「二者択一のアイドルの人気投票」といったもので成立する問題です。

とはいえ、もしかすると関連する話題があるかもしれないので、ダウンズ論文に詳しそうな知り合いに話を聞いてみることにします。
> 186: NAR さん

>候補者は別に一票を集めているわけではないというのは現実問題でこのトピにおいては仮定になってしまいませんか?

これがちょっとよく分かりませんでした。

現実の候補者や、現実の選挙から離れた世界を設定して、このトピックでは、その(現実とは異なる)世界での選挙の話題を話しているということでしょうか?
俺のツッコミ所もちょっとおかしいな。

れいやさんの言っている話は『熱烈支持者プレイヤー』が無くても成立する話である。
だから、『熱烈支持者プレイヤー』が主要な要素になっているモデルはオオハズレである。

というあたりが、一番ツッコマなくてはいけない所だな。



俺一人くらい投票しなくても、と考える人が増えたらどうなるか。

俺一人くらいゴミを道路に捨てても、と考える人が増えたらどうなるか。

俺一人くらい髪の毛1本抜いても、と考える人が増えたらどうなるか。



だいたい俺は選挙関連の『熱烈支持者プレイヤー(他人勧誘する人)』なんて街頭演説が聞こえたくらいの縁しかないよ。ほとんどの人がそんな感じじゃないのか?

れいや氏がパラドックスを感じるのは『熱烈支持者プレイヤー』とは全く関係が無いと思うぞ。
一円玉が一枚落ちていたら拾わないが、
一円玉が一億枚落ちていたら拾うな。
そのときは1枚1枚拾うかもしれないが。

という話で終わってしまうなら、

> 投票に行くコスト(時間的・物理的)を考えれば、行かない方がよい。と結論づけれそうです。

に対して何の答えにもなっていないよな。
>184: prince!! さん

ダウンズ論文は、訳本が出ているようですね。
訳本の方は明日にでも借りられそうなので、ざっと読んでみます。


で、ダウンズ論文がらみの資料をいろいろ調べていたんですが・・

今回の問題の場合、ダウンズの方ではなく、少なくとも発展系のライカー=オーディシェックモデルの方でないと適用は難しいような感じがします。

さらに、ダウンズモデル→囚人のジレンマ、というラインでは、実際の選挙の説明がなんとも難しく、それに対して支持者の組織(ここで私が「熱烈支持者プレイヤー」と呼んでいる人たち)という要因を入れて説明を行うモデルを構築することによってうまく説明ができる、といった関連の文献も見つけました。
このドキュメントではさらに、支持者の組織化(要は、どうやって熱烈支持者プレイヤーが形成されるか)といった流れについても調査、検討が行われているようです。

もっとも、政治関連の研究となると、このトピックで検討されている以外の内容(候補者の政策転換・マスコミ報道の影響・選挙制度と民意の反映度)といった視点での検討が山ほど入ってくるので、関連する部分だけを抽出するのがなかなか大変だったのですが。
>192: munou さん

リンク先、読んでみました。

リンク先内容だけでは、ライカー−オードシュック(カナ表記はどれが正しいのだろう?)モデルと、ダウンズモデルの一番の違いというのがよくわからなかったんですが、今日訳本が借りられれば差がわかるかな。

見つけたドキュメントでは、R=P×B−C+Dの式において、ダウンズはBの項目についてのみ検討したが、ライカーモデルではDについての検討をした、といった主旨のことが書いてあったのですが、どうなのかな。

あと、ミシガンモデルというのも頻繁に出てきていました。このあたりのモデルをどう適用するか、というのが「今の日本の」選挙モデルを作るポイントらしいです。
>SPLさん
たしかダウンズの理論をそのまま数式化すると、
R=P×B−C
になるんです。そうしたら、P×BのうちPが限りなく0に近いため、−Cの影響からR<0になってしまいます。これは選挙を棄権することを意味するのです。
でも、実際は多くの人が投票に行っています。それを説明するために+Dという民主主義的な満足を付け加えたのです。これがダウンズとライガーの違いだったと思います
以降は選挙に置いては、いかにCを小さくし、Dを大きくするかが重要、という話になったように記憶しています
> もっとも、政治関連の研究となると、このトピックで
> 検討されている以外の内容(候補者の政策転換・マス
> コミ報道の影響・選挙制度と民意の反映度)

それはれいや氏の疑問に何か関係があるのか?

選挙に行く価値が見出せないという話に対して、
マスコミ報道の影響の話なんてしだすのは、
何か意味があるのか?
188>SPLさん
自分で書いた文ですが、今読むと意味が分りませんね。現実とは違い「1票を集めてるかもしれませんよ。」と言いたかったのだと思います。

190>りちゃぼうさん
>一円玉が一枚落ちていたら拾わないが、
 一円玉が一億枚落ちていたら拾うな。
 そのときは1枚1枚拾うかもしれないが。

これっぽい話で、(普段)1円玉が落ちてたら拾わないが、(金が要りようで)1円玉が落ちていたら1枚1枚(何枚落ちてるかは未知)でも拾う。
( )内は仮定になるかも知れないが候補者と投票者はこんな感じの立場の違いでパラドクスじゃないって思ってましたが話をする内にパラドクスかもとも思える節が出てくるんです。どんどん論理でなく感覚で話してますが。。。
ダウンズ論文、ざっくりと見てみました

300ページくらいの本だったんですが、
・政府と有権者の関係(政策と利益の関係)
・有権者はどのようにして政府を選ぶか
・有権者の意見の分布と、それによる政府の政策転換
・多政党の場合の政策の混乱(投票のパラドックス)
・イデオロギーの形成過程
・投票行動に関連する有権者の情報収集
・情報収集にかかるコスト

・・・・といった話が延々と続いていて、投票コストの話はどこだー、と読み進めていくと

・合理的棄権
という話が最後のほうに15ページほど書かれていました。

その部分の結論は

・投票コストがゼロならば、無関心層以外はすべて投票する
・投票にコストがかかるなら、支持政党がいる人たちの中にも棄権する人が出てくる

とまあ、なんとも当たり前のようなことが出ているだけでした。


ライカーモデルとの差も、194でれいやさんが書いていたことで良いようです。

読んでみた感じでは

ダウンズ論文は、政策決定・投票行動に関する研究のいわゆる古典で、いろんな理論がダウンズ論文の考え方を出発点にしているが、現在では実状に合わない部分もたくさんあり、いろいろな研究によって修正がなされている。
というところでしょうか。事実、発表された直後から評価とともにさまざまな批判が寄せられていたようです。

続きはまた後ほど
ダウンズの論文を紹介したものです。
An Economic Theory of Democracyは確かに批判される面は多いのですが、このトピック自体の論点をモデルを用いて整理できるかと思い紹介させていただきました。また、本論点を1957年に早くも指摘していたという点で意味があるように思います。

また、ライカー=オーディシェックのモデルについては多くの解説本が誤った認識をしているようですので(特に最後のDについて)、少しだけまとめておくと。。

R=pB−C

R:選挙に行くことによって得られるリターン
B:ベネフィット
 B=Um−Un
  Um:支持政党が政権についているときのutility
  Un:支持政党以外が政権についているときのutility
 ただし、実際には支持政党が政権についているとはかぎらないため、現与党に対する業績投票モデルを用いて変数を構成する。すなわち、
 B=Um−EUn
  Um:現与党政権によって得られているutility
  EUn:野党が政権についたときに得られるであろう期待utility
C:cost
 物理的コストや情報収集コストに限らず、機会費用を含む
p:probability
 自分が投票にいったことによって上記m党が政権を維持する確率

とすると、
C>0
p=ゼロに近似
ゆえ、R=pB−C<0となり、有権者が合理的であるならば、誰も投票に行かなくなる。

そこでライカーとオーディシェックは実際に投票に行っている人々の行動を説明するためにデモクラシーを表すDという変数を持ち込みました。
つまり、もし誰も投票に行かなくなったら、極少数の人によって政治が動かされることになり、デモクラシーという価値が失われてしまう。このことに恐怖を感じる人々はデモクラシーを維持するために投票にいく。モデルの中で、デモクラシーは莫大な値として現れるため、Cを打ち消すだろうと考えたのです。

R=pB−C+D

この点までは多くの解説書にも書いてあることなのですが、このモデルでも投票者の行動が説明できないことまで書いてある本が少ないのです。

つまり、最後のDは確かに莫大な数値であるゆえに、Cを打ち消すように見えますが、自分の一票がその国のデモクラシーを存続させるか否かを決定する確率を捨象しているのです。そうすると、本来ならばこのモデルは、

R=pB−C+pD

とならなければならず、結果として先ほどと同様にRはマイナスになってしまい、合理的な有権者の投票行動は説明できないことになります。
>198: prince!!さん

ダウンズ論文は、「合理的棄権」のところだけでなくいろいろとたくさん読むところがありました。
いろいろ興味深いところがあったので、楽しく読めました。論文ご紹介くださってありがとうございました。

で、それらを踏まえてざっくりと見てみたんですが、

1)議論の出発点として、ダウンズ論文というのは特に異議なし。
2)ただし、ダウンズ論文だけでは、合理的棄権の話が説明しきれない。
 Dの値にある程度の意味を持たせないと、ゲーム理論で考えた場合、投票率が極端に落ちてしまう。
 で、ここでDの値に
>もし誰も投票に行かなくなったら、極少数の人によって政治が動かされることになり、デモクラシーという価値が失われてしまう。
 というデモクラシー価値を与えた、というのがライカーモデルで良いでしょうか。

このレベルであれば、「選挙の成立・不成立」や「本当に世論を反映した選挙か否か」に価値を持たせた囚人のジレンマ的なゲーム理論の適用も可能かと思います。
ただ、このモデルは現実とは決定的に違っていて・・・

・現実では、投票率がいくら下がっても選挙は成立する。一票も入らない場合は選挙は不成立になるかもしれないが、実際には候補者本人が絶対に投票する以上、「選挙不成立」のリスクが発生することはない。
・大多数の人は「デモクラシー」の価値より「自分の支持する候補者が当選する」価値の方を多く見積もっている。

という点で実際には適用できそうにありません。

前者は、
「投票率自体が低下することでは誰も困らない」
ということです。

後者は、
「本当はB候補が当選すると嬉しいのだが、周りを見ているとA候補が当選した方が嬉しい人が多そうだ。私はB候補に投票するが、周りのA支持者のみなさん、みんな投票に行ってA候補を当選させてあげてください」
と考える人はほとんどおらず
「周りを見ているとみんなA候補支持だ。私はB候補支持なので、A支持者たちが棄権するとうれしいな。極端な話、私以外の全員が棄権したら、私の投票が全部活きてくるぞ」
と考える人の方が多いということですね。


なので、Dに関しては、もう少し違った考察が必要だと考えます。
で、私はDの値として

「候補者が当選するか当選しないかは二の次、とにかく一票でも多く票を集めさせてあげたい」と考える人たちを仮定しました。これが、ここで私が「熱烈支持者」と名前を付けたプレイヤーです。

実際に選挙に何度か関わって、有権者の選挙行動を見ていると、こうした人たちの票が選挙の行方を動かしていることが実感できます。
知り合いの議員さんたちも、こうした支持者をいかにして作り出すか、というところに活動の主眼を置いています。

で、この「D」の値として「候補者に一票でも」というものを仮定していたのですが、これに関連して最近の研究をいろいろ調べていたら

・候補者に一票でも

の他に

・選挙そのものに行くことで、社会参加したという満足感(これはライカーモデルのDに近い概念)
・そもそも、選挙に行くコストがゼロまたはマイナス(高齢者たちは、選挙に行くこと自体が、レジャー感覚。外出するよいきっかけになるし、投票所で知り合いと会えるかもしれない)

といった要因がありそうだ、ということが分かってきました。

#以前、D−Cの値がプラスの人を「熱烈支持者」と定義していましたが、D−Cがプラスになる要因として、Cが極端に低かったり、Cの値がそもそもマイナスだったりする人がいるということです。その場合、同じようにD−Cがプラスであっても「熱烈支持者」以外に「選挙そのものが楽しい派」を別に作らないとダメですね。


いずれにせよ、D−Cの値がプラスになる人たち(その理由は決して「選挙制度崩壊を気にしている」というわけではない)が、相当な人数居て、その人たちが選挙結果を左右している、ということが、実際に選挙に関わった立場から見た実感なのです。

この状態ではどこにもパラドックスもジレンマもありません。

選挙に行くことが面倒で、当落のみに関心がある人は、全員棄権したとしても何も問題はありません。
この状態で、当選すべき候補は当選し、そうでない候補が落選することがほとんどです。
さらに、いろいろ文献を調べてみると、「誰かが・・・」の効果というのが意外と大きいことが実験で確かめられているようです。


トップに

>自分が選挙へ参加するかどうかと、他の99人が選挙に参加するかどうかには、なんの関連性もないからです。

と書いてありますが、実際にはこれが大ありだ、という話です。

誰かが「選挙行くかー」と出かけると、家族や友達が「じゃ、ついでに行くか、一緒に行く?」となるケースが多いということですね。

こうしたケースを考えると、自分の一票は家族や友達を引きずって数票になり、それがさらに知り合いを引きずると数十票になることも考えられます。実際には自分の票は「一票」でないこともあるわけです。


さらに、何度か書いていますが、候補者は「一票」ではなく「千票、一万票」単位で行動をするわけなので、その意味でも候補者と有権者の意識というのはさほど違いはない、ということになりそうです。
俺は選挙に行くときも『選挙行くかー』と声を出したりしないし、家族もそうだ。

一般家庭では『ボクは今から投票してきま〜す』
『おお!父さんも投票いかなくっちゃ』なんて
安っぽいドラマのようなことが行われているのか?
http://www.akaruisenkyo.or.jp/seach/15/weave15.html

7.  投票の理由に関しては、どの選挙においても、「…義務だから」と理由は上位 2つの理由に入っている。また、首長選挙においては、「政治をよくするため…」という理由が上位に入り、議員選挙においては、「…当選させたい候補者がいたから」という理由が上位に入っている。
8.  選挙を棄権した理由として最も多いのが、「用があったから」で、どの選挙においても、40%近くの棄権者がこれを棄権理由として選んでいる。次に多いのが「選挙にあまり関心がなかったから」である。
>201 SPLさん
参考になるかどうか分かりませんが、幕張メッセなどでの展示会来場者の「来場目的」を調査すると、「特に目的はないが何か新しい情報を探しに来た」という浮遊型来場者が7割を占める、という結果があります。
選挙でも「有権者なのだからとにかく行っておかないと」という理由は大きそうです。

>誰かが「選挙行くかー」と出かけると、家族や友達が「じゃ、ついでに行くか、一緒に行く?」となるケースが多いということですね。
投票日に家族で連れ立って行くというのはよく見かける光景です。ご夫婦連れが多いようです。さらに投票に行ってくれという呼びかけは、選挙日に候補者側からしても選挙違反にはなりません。実際、友達からかかってきますし、これをきっかけに「じゃあ行くか」という事もありますね。
>205: aoinatsunosora さん
展示会の来場者と選挙の投票行動は来場動機は基本的に違うと思います。

また、この手のアンケートは来場者のホンネを探るのはなかなか難しく、来場のコストと利得のそれぞれの大きさと質を測ることは難しそうです。

例えば、「投票に行くことに何のコストも感じていない(それどころか、散歩に行くきっかけになるのでうれしい)」と思っているお年寄りに、こうしたアンケートをとった場合、選ばれる選択肢は「有権者なのだから」「義務だから」といったあたりが選ばれることになるでしょう。
そして、それらのコストゼロ(あるいはマイナス)の人たちに支持政党があれば、それらの人たちは外部から見ると「何があっても選挙に行く」「何があっても投票する政党は変わらない」という熱烈支持者プレイヤーとおなじ振る舞いをすることになります。

ちなみに、一度支持政党が決まると、その支持政党はよほどのことがない限り変わらないとか、じゃあ、それが変わる要因はなんだ、といった研究もいろいろあるようです。

いずれにせよ、一度立候補してみることをお勧めします。立候補が大変なら選挙事務所のボランティアに参加するというのでも構いません。
そうすると、票がどんな形で動くのか、選対がどういう単位で票を読むのか、見えてくると思います。
「何が何でも自○党」という人と、「投票するのは義務なので自○党に投票するが、別に民○党でも公○党でもいいよ。」
という人を区別する気があるのか、ないのか?
>206 SPLさん
>展示会の来場者と選挙の投票行動は来場動機は基本的に違うと思います。
いや、とてもよく似ています。
1.来場するのにコストがかかること。
2.開催日時と会場が限定されていること。
3.「しがらみ」による来場というものが少なからず存在すること。
4.来場による来場者の「安心感の充足」があること。
5.展示会出展者は来場者に少しでも多く来てもらいたいために「来場促進」施策を実施していること。

特に来場促進施策は基本的に票読みのような分析も行った上で実施しています。
さらに会場でのトピックスをメディアで紹介されるなどすることは、浮遊層の来場動機に密接に関わります。

このトピで投票行動の心理についての理解が深まれば展示会での集客行動の理解につながりそうだと感じて、業務上の好奇心からも注目させていただいている次第です。
なるほど

>1.来場するのにコストがかかること。
>2.開催日時と会場が限定されていること。
>3.「しがらみ」による来場というものが少なからず存在すること。
>4.来場による来場者の「安心感の充足」があること。
>5.展示会出展者は来場者に少しでも多く来てもらいたいために「来場促進」施策を実施していること。

これらの部分は、投票行動にいて私が「熱烈支持者プレイヤー」と呼んでいる人たちの行動と似ていますね。

だとすると、この部分は非常に参考になりそうです。


ただ、205にある

>「特に目的はないが何か新しい情報を探しに来た」という浮遊型来場者が7割を占める、という結果があります。

この部分を見ると、

投票所に「特に目的はないが何か新しい情報を探しに行く」という人がいるとは考えられないので、少なくともこの7割に関しては投票行動と無関係じゃないか、と思ったわけです。

#残りの3割に関しては、投票行動につながる部分があるのかもしれません。残り3割の来場動機はどんな感じのものが多そうでしょうか?
>209 SPLさん

残りの3割はその他の目的を持った来場者です。主には商品購入、製品導入のための下見や、商談のために来場した人たちですね。

>#残りの3割に関しては、投票行動につながる部分があるのかもしれません。
ただ、この3割は選挙で言う「確定票・地の票」であり、読めている数です。残りの7割のうちのどれだけにリーチできるかというのもビジネス展示会に於いては大きな課題です。
ここがいちばん選挙運動に近いところかと思います。
有効かどうかはさておいて、そのために派手な演出や目新しい展示方法などを競うわけですから。
>210: aoinatsunosora さん

>ただ、この3割は選挙で言う「確定票・地の票」であり、読めている数です。

なるほど、どこで意見がすれ違ったか分かりました。

このトピックで主に話されている内容が
「漠然とした支持があるだけの人が、なぜ棄権するのか」
という問題なので、私もその問題意識で考えていました。

で、選挙の場合は「確定票・地の票」的な票が全体の半分近くを占めている。
(これは、後援会に入るなどの積極的な活動だけではなく、支持政党は前から決めていて、なおかつ毎回習慣的に投票に行っている人たちを含みます)

なので、それ以外の人たち(漠然とした目的を持った人たち)が全員棄権しても、あるいはランダムに投票しても、さほど選挙結果に影響を及ぼさない、という主旨で話をしていました。


もちろん、選挙運動、政治活動としてやることはたくさんあります。

一番やるべきことは「漠然とした人たち」の票を「確定票・地の票」に変化させていく作業です。
そのためにいろいろと活動をしているのですが、今のところこのトピックではそれらの活動の話題にはあまり触れてはいません。

#あまりそちらに深入りすると、パラドックスからどんどん離れていってしまう、ということもありますです。政治の話はどうしても生々しいものになりがちですし。
何か適したコミュを探して、そちらに誘導する、というのもありかもしれませんが・・・
トピ主さんの
>ですから、投票に行くコスト(時間的・物理的)を考えれば、行かない方がよい。と結論づけれそうです。

というところが理解できない。
有権者は毎年何十万、何百万円もの税金を払って、1票の議決権を買っているんですから。
こーしろさん>
議決権のために税金を納めているかどうかは別として、
何十万、何百万もの対価を払って得たからと言って、そのものに価値があるとは限りません。
思いがけず、100万円を払って東京タワーの上で逆立ちする権利を得たからと言って、実際やったりしませんよね?
>213れいやさん

>自分が選挙へ参加するかどうかと、他の99人が選挙に参加するかどうかには、なんの関連性もないからです。

浮動票は「テレビで優勢だから」「友達が誰それに入れるから」という要因で動くものです。関連が無いどころではありませんが。
aoinatsunosoraさん>
それは大衆が票を入れるから、テレビで優勢になるわけです。その先優勢になる候補者に、自分が一票を入れようと、入れまいが、結局優勢になるのです。
友達が・・に関しては、別のコメントでも書きましたが、決定票になるほどの数の友達が動くとは考えにくいので、一票と変わりません。
>215れいやさん

>それは大衆が票を入れるから、テレビで優勢になるわけです。
順番が違います。テレビで優勢というのは言葉を間違えたかもしれませんが告示期間中の状況分析などの下馬評も含めた情報が、投票行動に与える影響が大きいという意味でした。

これは「自分以外の者はどの立候補者を選ぼうとしているか」という事が投票行動に影響していると言うことです。

>決定票になるほどの数の友達が動くとは考えにくい
そうですか?職場などでの組織票も含め、周りの友達の動きというのは上記のマスメディアの動きよりも投票行動の決定要素になりやすい場合もあると思いますが。
>れいやさん
思いがけず東京タワーの上で逆立ちする権を買うことなんてありえません。
もうちょっといい例をください。

勿論、日本人は皆思いがけず日本に生まれ、思いがけず税金を払っているわけですから、納税と企業に投資する事はちょっと違います。しかし、税金は直接的には選挙権を買うために払っていることは明確ですし、投資の対価だと思いますが。

しかも、日本ではほとんどの選挙場が歩いて15分以内の場所にあるわけですし、朝6時から夜8時までに行って2分で終わるわけですから、コストと呼べるコストはゼロに近いんじゃないですかね?
>しかし、税金は直接的には選挙権を買うために払っていることは明確ですし、投資の対価だと思いますが。

選挙権は当然ながら予算執行の議決を行う議員選出のためのものなので、税の使い道を決める重要な要素であるのですが・・・

「選挙権=税金」とまで言い切るのはちょっと・・

というのも、
税金を払っていながら選挙権の無い人たち(在日外国人・高卒あるいは中卒後にすぐに就職した未成年)
選挙権はあるが、課税対象となるほどの所得が無い人たち、あるいは税額が極端に低い人たち
というのを考えると、さすがにそこまでは言えないかな、という感があるのですがいかがでしょう?

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